つぼみたちの輝き Story.19

「ひとつだけ、伝えたいこと」



早坂ひかり
 12歳 1年3組 身長:136cm 体重:31kg 3サイズ:67-48-68
 バレー部の控え。
白宮純子
 15歳 3年2組 身長:155cm 体重:45kg 3サイズ:82-52-84
 バレー部のキャプテンにして攻守のエース。

(桜ヶ丘中学校バレー部)
旭舞子
 15歳 3年3組 身長:158cm 体重:51kg
 バレー部のレギュラー。守備に長じる。
寺澤由美奈
 14歳 3年1組 身長:160cm 体重:51kg
 バレー部の準エース。跳躍力は純子に次ぐ。
植本美花
 14歳 3年2組 身長:149cm 体重:44kg
 バレー部の控え。隆や純子のクラスメート。
山前希
 13歳 2年3組 身長:153cm 体重:48kg
 バレー部のレギュラー。動きは素早いがぶつかり合いに弱い。
春木絵美
 13歳 1年1組 身長:150cm 体重:42kg
 バレー部の控え。成長著しい1年生。

(けやき野市立第二中学校バレー部)
奥河千賀
 14歳 身長:168cm 体重:56kg
 身体能力に恵まれたアタッカー。
二葉真弓
 15歳 身長:170cm 体重:58kg
 長身のブロッカー。作戦面での司令塔でもある。



 風を切る。
 真夏の関東平野。朝一番から日差しは強く、熱した空気はそよぎもしない。
 風は少年が起こしていた。自転車の等速直線運動が作る、時速18キロメートルの風。その風が、彼の後ろに座る少女の短い黒髪をなびかせていた。

  ぎゅっ……。

 少年の逞しい胴を、少女は一杯に伸ばした腕で抱きしめる。荷台に足を揃えて座った小さな体には、まさに「ちょこんと」という表現がふさわしい。ともすれば風に飛ばされそうな彼女は、自転車をこぐ兄の背中にしっかりとしがみついていた。

 早坂隆、ひかりの兄妹である。
 服装は二人とも、桜ヶ丘中学校の制服。白色のシャツとブラウスは朝日を受けて輝き、紺色のセーラーカラーとスカートは自転車の速度を示すようにはためいている。カゴからはみだすスポーツバッグには隆のユニフォームとグラブが、ハンドルにくくりつけた背負い袋にはひかりの体操着と「着替え」が入っている。二人はそれぞれ試合の場所へと向かうのである。
 もっとも、野球部の4番エースである隆とは違って、バレー部の補欠最後尾であるひかりはおそらく今日出番はないだろう。だが、小学校時代は授業に出席することもままならなかった体の弱さを思うと、毎日の練習に出て、大会に選手登録されるということは大きな進歩である。隆もひかりも、まずはそのこと自体を喜んでいた。
 野球部の試合がある市営野球場とバレー部の大会が行われる市民体育館は同じけやき野市総合運動公園の敷地にある。自転車でひかりを乗せていく、というのはもちろん隆の提案だった。二人乗りはいけないんじゃ……とひかりは遠慮したが、隆に諭されて同意したのである。
 自転車に乗れないひかりが一人で行くとしたら、歩いては1時間以上もかかる距離であるため、バスか電車を使うことになる。もっとも、電車は駅に着くまで15分、JR水里線に5分乗った後また15分は歩かねばならない。バスなら学校の近くから25分乗ればいいが……25分間トイレに行けない状況、というのはひかりにとって苦痛でありすぎる。いつおなかを下して激しい便意をもよおすかわからないからだ。

 そうして、二人は一つの自転車に乗って市街中心部を駆ける。
 田園が目立つ桜ヶ丘を離れて十分、視界の端を流れていくのは商店と家屋、そして車の流れだった。

「お兄ちゃん……あの、重くない?」
「は……?」
 隆を気遣ったひかりの言葉に、言われた本人が目を丸くした。ひかりの体が重いわけないではないか。また、ひかり本人もやせすぎの体を気にしているはずではなかったか。
「あ、そ、そのわたしじゃなくて……荷物……」
「あ、ああこれか。軽々さ。むしろ俺の荷物が重すぎ……っと!!」
「あっ!?」

  キキッ!!

 建物のわずかな隙間から飛び出してきた猫が歩道の真ん中、自転車の真正面に出てきた。隆は普段以上の慣性を振り切って無理やりハンドルを切ったが、ブレーキをかけても間一髪だった。

  ニャア……
 猫は無邪気に鳴いて車道の手前にある低い植木に飛び乗り、その上を軽々と駆けていった。
「ひゅー、危なかった……」
 ほっと息をついて、隆は再び自転車をこぎ出す。カーブには前のカゴに載った荷物が重くはたらくが、直進にはほとんど寄与しない。
「あっ……もう少し、ゆっくり走った方がいいかも……っ!?」

  ぎゅうっ……!!

「……ど、どうした、ひかり?」
 急に強く抱きつかれて隆は困惑する。腕の力だけでなく、体が密着していた。さらさらの前髪を挟んだ額が、体の曲線より制服と襟とスカーフの段差の感触が目立つ胸とが、隆の背中に押し付けられていた。
「あ、ご、ごめんなさい…………え、えと……やっぱり、ゆっくりじゃなくても……っう!!」

  キュルゴロロロロッ……。

 ひかりのおなかから小さな音が響いた。腹痛と便意の前触れ……いや、すでにひかりはそれらを感じていた。強く抱きついたのはおなかの痛みに体を前にかがませようとしたその表れなのだ。バスに乗らなくて正解だった、とひかりは改めて思った。
「…………」
 押し付けた顔を赤らめるひかり。が、彼女のおなかから響いたその音は、自転車をこぎ続ける隆には届いていなかった。しかし、その体から伝わる震えが、押し黙ったひかりの態度が、隆の経験則をすぐに呼び起こした。

「トイレか……?」
「…………………………うん……」
 自転車のペダルがたっぷり3回転する間ほどの沈黙を挟んで、ひかりは答えた。

「あ、で、でもまだ我慢できるから……た、たぶん、体育館に着くまで大丈夫……」
 胸が離れて額がより強く押し付けられる。本当はおなかを押さえて前かがみになりたいのに、手が離せないからそれができないのだ。この状態では、普段のように長い間我慢するわけにはいかないかもしれない。

「……無理するなって。この辺でどこか……お、そこのコンビニで借りよう」
 隆は一も二もなく断言した。我慢できる時間が短いことを見越したわけではなく、ただ単にひかりの苦しみが早くなくなるようにとの配慮である。
「で、でも……時間が……」
「余裕もって出てるんだから大丈夫。……な」
「…………うん………………ごめんなさい……」
 ごめんなさい、は遠慮が消えた合図。
「いいって」
 いつものやり取りを終えると、隆は進行方向の青信号を見送り、道の反対側にあるコンビニエンスストアにハンドルを向けた。


「……とと」
 キュッ、と音を立てて急停止するつもりが、普段以上の重みがかかっているせいでブレーキの効きが悪く、あと一歩で車の車輪止めに乗り上げてしまうところだった。
「あ、ありがと、お兄ちゃんっ……」
 おなかに負担をかけないように片足ずつそっとアスファルトの上に下ろす。両足で地面を踏みしめたひかりは、少しだけ頭を下げて兄に礼を述べた。その動作がきびきびと素早かったのは、元気や活力のためではなく、今にもおしりの穴が開いてしまいそうなほど便意が切迫しているからだった。隆ももちろんそれがわかっている。
「よし……店の人に言っといてやるから、早くトイレに」
「う、うん……ごめんなさ…………っ!?」
 隆の横を通り過ぎようとしたひかりが息を飲んで、足を止める。その視線は、さっき隆を見上げていたときより、さらに上を向いていた。

「……ん……え!?」
 振り返った隆の目に映ったのは……数日前に見た顔。だが、あまり見たくはなかった顔。
 桜ヶ丘中学校教諭、生徒指導担当、大迫義男。
 角張ったいかつい表情が、身長の低いひかりのみならず、それより頭一つ高い隆の視線をも見下ろしていた。その顔つきに、友好の二文字はどこにもない。やがて威圧の波動が音波となり、大きく割れた口から吐き出された。

「3年の早坂隆と、1年の早坂ひかりだな」
「……」
「…………」
 隆は答えなかった。視線を横に送ると、ひかりは小さく震えていた。怯えではない。おなかの痛みとおしりの苦しみのために。
「呼び止められた理由はわかっているだろうな……。おい、返事ぐらいしたらどうだ」
「……」
「…………」
 二人が返したのは、またも無言。隆は返事をしなかったのであり、ひかりは返事ができなかったのである。

「だんまりか。兄妹仲がよくてよろしいことだな、自転車二人乗りにヘルメット着用義務違反まで一緒とはな」
「……っ」
「…………」
 隆は自分に非があることを自覚していた。自転車の二人乗りはもちろん交通規則違反だし、桜ヶ丘中では自転車に乗る際はヘルメットを着用することになっている。後者はデザインが工事現場のヘルメットのようであまり守られてはいないが、少なくとも部活の大会などの公式行事の際には必須とされるのだ。
 本来隆は、模範生とは言わないまでも、好き好んで規則違反をするような人間ではない。3日前の試合にはきちんとした格好で行ったのだが、今はそうではなかった。ひかりを乗せている以上、自分だけ安全を確保しても仕方ないわけだし、ひかりにかぶせるにはサイズが合わなかったのである。そもそも二人乗りが間違いだといわれたらそれまでなのだが、その手段が最適であったことは現在進行形で証明され続けているのだ。

  キュルキュルキュルッ……
「……うぅ……っ……」
 ひかりが苦しげに声を漏らす。だが、先生の威圧感に射すくめられて動くことができない。
(……このままじゃだめだ。俺が何とかしなきゃ……!!)
 隆は心の中で自分に言い聞かせた。数日前に白宮純子がやってのけたように、目の前の規則の亡者からひかりを助けなければならない。しかも今は決して余裕のないタイムリミットを抱えているのだ。隆には純子のような名声も立場も弁舌もない。隆が持ち合わせているのは、自分の体と行動力と……そして何よりも、ひかりを守るんだという意志の力。

「ひかり……!!」
「――!?」
 一歩前に出る。同時にひかりの体を後ろに押しやる。振り返って視線を交わす。
(ここは俺がなんとかする。その間にトイレに行くんだ!!)
 その思いを視線で伝える。あっ、と息を止めたことが、その意思が伝わったことを意味していた。
 が、ひかりは動こうとしない。これは動けないのではなく、動かないのだ。隆と大迫、二人の顔を交互に見る表情がそれを物語っている。

「おい、話を聞いているのかおまえら――」
「話は俺が聞きます。……ひかり、行けっ!!」
「え……」
「行くんだ!!」
 ……結局、隆が取れる最高の手段は直球勝負だった。
 自分の体を盾にしてひかりがトイレに行く時間を稼ぐ。隆はその意思を全身で表明していた。

「……ぅん……ご、ごめんなさいっ……」
  タッ……。
 一度だけ躊躇いの足音を残して、ひかりはコンビニの自動ドアをくぐった。

「……早坂、おまえ、自分がどういう立場にあるかわかっているのか?」
「話は俺が聞きますから」
「……そういう問題じゃないだろう! ちっ、店の中などに逃げ込みおって……引きずり出してでも」
 そう言って、大迫はひかりを追おうとした。だが、隆はその前に立ちふさがる。
「二人乗りとヘルメットのことは反省してます。……全部俺が言い出したことですから、ひかりは悪くありません。叱るなら俺だけにしてください」
「ほう……言うものだな。……ならば望み通り、徹底的に非を正してやろうではないか。……そもそも、規則というものは全員が遺漏なく守って初めて意味のあるものなのだ! それを早坂、おまえは制服を着て、桜ヶ丘の生徒の証を身につけた上で破った。それがどれほど重いことかわかるか!」
「……はい。すみませんでした」
「すまんですむなら規則も法律も警察もいらん!! だいたい、その顔が怒られる立場の顔か! ふてくされおって……」
「……はい。すみませんでした」
 隆には、これ以上大迫を相手にするつもりはない。適当に同じセリフで相槌を打っているだけだ。隆が考えているのは、この後の試合のこと、そしてひかりのことだった。ひかりのこと……もちろん、ひかりが出てきた後どうするか、そして、今ひかりが何をしているか……。


「あ、あの……すみません、あのっ…………おトイレ……その……使わせてくださいっ!!」
 ひかりはコンビニに飛び込むなりレジに駆け寄り、店員にトイレを使う許可を求めた。その小さいけれども切迫した声に、おつりを渡そうとしていた若い女性店員とそれを受け取ろうとしていた男子高校生とは、同時に動きを止めたのだった。
「おなかこわしてて……もう……おねがいします、おトイレ…………」
 なりふり構わぬ告白。それもそのはず、ここでトイレの使用を断られたら、もう他のトイレを探す余力は残っていない。ひかりに残された道は、ここのトイレに飛び込むか、さもなくばおもらし、その二つだけなのだ。ひかりは可愛らしい顔を歪め、おなかに手をあてがいながら、体全体でその窮状を訴えた。
「あ……は、はい、どうぞ……窓際奥の扉ですから」
 店員が慌てて許可を出す。別に意地悪で即答しなかったのではなく、初めて見る女の子の緊急事態に一瞬言葉を失っていたのだった。もし防犯上の理由などでトイレが一般開放されていなかったとしても、この姿を見たら店員の良心がトイレのドアをひかりのために開けさせるだろう。
「あ、ありがとうございま……」
  グギュルルルルルルッ!!
 おなかから響いた重低音に、かすれそうなひかりの声は完璧にかき消されていた。青ざめていた表情が、こみあげる恥ずかしさのために一瞬で紅潮した。
「ご、ごめんなさいっ……!! ……っぅ……」
 謝った後に何かを言いかけて結局言葉にならず、ひかりは制服の襟セーラー・カラーを翻してトイレに向かって走り出した。彼女の便意はすでに、限界を超えたところで波打っているのである。

(あ……あとちょっと……あとちょっとだけ――)
 店内からトイレに通じるドアを開ける。悲鳴を上げ続けるおなかを片手で押さえながら、ひかりはその一線を踏み越えた。公衆の面前から自分だけの個室へ、おもらしが決して許されない場所から、排泄が思う存分にできる場所へ。

「え…………!?」
 目の前に白い壁があった。
(うそっ……)
 扉がもう一枚。個室、便器に至るには、ぴったりと閉じられたこのドアを自分の手で開けないといけない。踏み越えたと思った一線は、数歩と数秒の先にあったのだ。
 たかが数歩、たかが数秒。だが、今のひかりには決して無視できない遠さだった。下ったおなかが生み出す便意が、今にもひかりのおしりの穴を開かせようとしていたのである。

(おなかが……もう……だめっ…………でちゃうっ!!)
  プジュブププププピジュッ!!
 店内に破裂音が響いた。ひかりを襲った急烈な便意は、個室に入って便器にまたがることはおろか、店内と洗面所を結ぶドアを閉める時間すら与えてくれなかった。ひかりは、自らのおしりが奏でる炸裂音を、店内の客や店員にはっきりと聞かれてしまったのである。

(まにあわなかった…………う、ううん……今の、おならだけかも……)
 結局さらしてしまった失態に、ひかりの顔は湯気が出そうなほど真っ赤になった。だが、かろうじて救いの可能性は残されている。おしりが開いてしまった時の感覚、そしてその時に響いた音が、大量の下痢便が下着に炸裂するそれとは違っていたことだ。おしりの穴の感覚こそ麻痺してしまってわからないが、下痢便をおもらしした時の股間前後に広がるぬるま湯の感触も、濁りくぐもった水気の強い音も感じられない。今すぐに個室に駆け込めば、ショーツは汚れていないかもしれない……。
 その希望が、ひかりに力を与えた。開ききってしまった肛門を一瞬ですぼめ、第二波と呼ぶには早すぎる便意を抑え込む。小さな体の力をおしりの一点に集中したまま、ひかりは希望の扉を開けた。

「はぁ…………ぁっ…………」
(やっと……やっと、おトイレ……)
 求め続けた光景を目の前にしてひかりは唾を飲みそうになったが、ほとんどの水分を腸に奪われていた上に息が荒くなっていたため、喉が鳴ることはなかった。それ以上に、切迫した便意が彼女に感慨にふける時間を与えなかったのである。

  ギュルゴロロロロロッ!!
「んっ!! ………………ふぅっ!!」
 駆け下ってきた便意を、おしりの穴に押し当てた右手で食い止める。その隙に左手で扉を閉め、鍵をかける。そして弾かれるように一段高い便器をまたぐ。わずかに便意を解放した分、それだけの行為を行う余裕が生まれていた。おもらしの時を数秒引き伸ばすだけの余裕であったが、紙一重の差が運命を分ける下痢との戦いにおいて、それは絶対的な時間差である。

(あとは……これだけ……!!)
 おしりを覆っているショーツを下ろさなければならない。だが、おしりを押さえている右手を離せば、即座に中身の下痢便があふれ出してくる。これは可能性ではなく断定だった。ひかりは過去に、何度もその経験をしているのである。便器をまたぐところまで我慢しながら、下着を脱ぐことができずにおもらし……そうして汚してしまった下着は、数十枚にも及ぶのだ。
 だが、人間は失敗から学習する生き物である。ひかりも、果てしない恥ずかしさと自己嫌悪を伴う失敗を繰り返した末に、このような場合の対処法を身につけているのである。
「ん……」
 左手でスカートのホックを外す。スカートの腰周りは、それだけで細いひかりの腰部を通過できる大きさになる。そのスカートごと下着の内側に親指を入れ、下に引きずり下ろす。真っ白なおしりが露わになるが、そのずり下げは当然、右手が押さえているおしりの穴で止まる。
 ここからが勝負だ。左手で下向きの力を加えながら、おしりの穴の締め付けを強め、同時に右手の押さえつけを少しずつ弱めていく。足首は倒れないように体を支え、膝はいつ排泄準備が整ってもいいように少しずつ折り曲げていく。右手、左手、肛門、足首、膝関節……どれか一つの力加減を誤れば、今までの必死の我慢はすべて水泡に帰するのである。おしりの穴の決壊は目前に迫っており、最大の繊細さに加えて可能な限りの迅速さが求められる、困難極まりない試練。しかも、腸がちぎれそうな痛みに神経を侵されながらの行為である。
 だが……ひかりはこの複合運動を、寸分の狂いもなくやってのけた。

 むき出しになった肛門の下には、すべての汚れを受け止める便器――。

「――――ぁぁあっ!!」
  ビジュルルルルルブジュビブブボボボボッ!!
  ジュビビビビビビチャブジュビチチチチチブビィィィッ!!

 出る、と思う間すらもなかった。
 全開になったお尻の穴から茶色の濁流と爆裂音の奔流が駆け下り、焼けるような痛みと意識が歪むような悪臭が駆け上ってくる。
 限界まで我慢しての下痢便排泄。ひかりの日課とも言えるそれは、あれほどの我慢の末に勝ち取ったものであるにもかかわらず、やはり耐え難い痛みと苦しみにまみれたものだった。

  グルギュルルルルルルゴロロロロロピーーーッ……
「……っく!! うぅぁ…………あぁ、ぁぁぁっ……!!」
  ビビビーーーーッ!! ブビブビッブビビビビビブジュビチッ!!
  ブゥーーーブリブビチャッ!! ブヂヂヂヂブジュビチャビチャビチャッ!!
  ブッブブブブブブブリビヂヂヂヂッ!! ジュボボボボボビチャビチビチビチッ!!
 おなかの痛み、おなかの鳴る音、そして吐き出されていく下痢便。
 それらは一瞬とて途切れることなく、ひかりの小さな体を蹂躙し続けた。
 それだけではない。汚さを極める下痢排泄は、空間そのものを汚染しようとしていた。最初の噴出で一面の茶色に染まった和式便器の水面は、今や汚物の陳列台の姿を示し、繊維質や未消化物の色合いを茶色の海の上に浮かべており、なお降り注ぐ新鮮な下痢便に弾かれて、便器の側面や縁の陶器にもその汚れを広めようとしている。最初のおならでひかりの呼吸器を埋め尽くしたにおいは、数度にわたる……というより連続した一つながりの排泄の中で、同じ濃度で個室中を埋め尽くしていた。最初に炸裂した爆発的な排泄音は、その残響すら消え去らぬ間にさらにけたたましい排泄音で上書きされ、個室の外、さらに洗面所のドアを突き抜けて、店内にも響き渡っているだろう。

「……んぅ…………んぅっ!! ぁぁぅ……はぁ……はっ、はぁぁ……」
  ジュビビチャビチャビチャビチャッ!! ブリリリビチチチチチッ!!
  ブジュビィィーーーーーーーッ!! ジュブリュプジュブププププッ!!
  ビチャブジュビビビビッ!! ジュピピピピピビジャブリュブビーーーーーッ!!
 一心不乱に排泄を続けるひかり。続ける、と言っても、その行為は安定感や着実さとは正反対のものであった。飛沫を撒き散らしながら噴き出していく下痢便、肛門と液状便と水面が奏で上げる排泄音。あらゆる汚さが無秩序の饗宴を繰り広げる、その状態が終わらずに続く……それが下痢便を排泄し続けるということだった。当然、その張本人は壮絶な苦しみを免れない。間に合ったという安堵を感じる余裕さえ、いや、本当に間に合ったかどうかを確認する余裕さえ、ひかりには与えられていないのだ。

  キュルルルゴロロロロロロロッ……
  ビジュリュリュリュッ!! ブジュルルルルビチビチビチビチッ!!
「……ふぅっ!! ん……うぅ………………っ……」
 止まらない排泄を続けながら、ひかりは薄く目を開けた。うなりを上げ続けるおなかの痛みが、体中を強張らせ続けているのだ。目を開けることでおなかを刺激しないようにしながら、ひかりは膝元にずり下ろした下半身の衣服を確認する。
 紺色……制服のスカートの色。幸い、これを汚すようなおもらしは、ひかりはまだしたことがない。今この時も、その初体験をせずに済んでいるようだ。
 透明感の強い白色。スカートの内側にある薄布、スリップの色だ。これも無事。
 白色。履いていたショーツの色である。少しだけおしりの穴が開いてしまったとき、出てしまったのがおならだけだったら、この色は一面同じのはずである。黄ばみなどの汚れは、ひかりの履く下着にはない……なぜなら、どの下着もそのような汚れが定着する前に、下痢便のおもらしで使い物にならなくなってしまうからである。
(おねがい…………汚れてませんように…………)
 もしあの時液状のものがもれてしまっていたら……その時は「かつて下着だったもの」がもう一枚増えることになる。ひかりは限られた視界を必死に探った。白……白……白…………白。

(…………汚れてないっ……!!)
 かすかな喜びが、小さな胸に湧き上がる。おしりの穴の真下にあたる部分、そこも他の部分と同じ、真っ白なままだった。ひかりは間に合ったのだ。苦しかった我慢は、確かに報われたのだ。汚れていないショーツ、他の女の子にとっては当たり前のことが、ひかりにはこんなにも嬉しかった。

 ギュルキュルキュルキュルッ……!!
「うぁ…………」
 おなかがまた痛み出す……というより、痛んでいたおなかがその痛みをさらに強めた。
(……はやく……終わらせなきゃ……)
 だが、何も考えられなかった排泄の始まりと比べて、おなかの中は少しも楽になっていないが、心の中は楽になっていた。おもらしがなければ、排泄の後、みじめな後始末をしなくて済むのである。排泄が終わった後のことを考えるのがつらくない。
(……はやく終わらせて……お兄ちゃんに…………)
 身を挺してかばってくれた隆のもとへ、一刻も早く戻りたい。それはまだ続く苦しい排泄の向こうにある、一条の光だった。

「んっ…………ふっぅ……あっ、ん、うぁ……あぁっ……!!」
  ブチュブチュブチュチュチュチュッ!!
  ビヂヂヂヂヂヂブビジュパァァァァーーーーーッ!!
  ブピピピピブリリブジュビチャブジュジュジュジュッ!!
  ブチョビジュルルルルルビチビチビチビチィィーーーーーーッ!!
  ブリリリリリブーーーーーッ! ジュバババババブピジュブビビビビビビビビビビーーーーッ!!


「はぁっ、はぁ、っ…………はぁぁ…………」
  パチッ……ピチョッ。
 体中の水分を吐き出すような下痢便排泄が、ついに終わる。液状便の残滓を腸内ガスで膨らませた、茶色に輝くシャボン玉がはじけ、便器の中に降り注ぐ。
 一面の茶色。それは下痢便の山であり、また下痢便の海でもあった。流動性の高いそれは、おしりの真下に積み上げられると同時に広がっていき、今や金隠しの下の水たまりすらも茶色の肥溜めに変えてしまっていた。

「んっ……」
  ピチュ……グジュッ……。
 おしりを拭く。乾いた音は全くしない。おしりの穴の周りに残る液状便がトイレットペーパーに染み込む音である。焼けるような汚物を吐き出して赤く腫れた肛門は拭くたびに痛みを発するが、こればかりは我慢するしかないし、また我慢できる。便意の我慢と違って、時間がたつにつれて弱まっていくものなのだから……。


  ジャァァァァァァァァーーーーーーーッ……
「………………」
 かつてひかりを苦しめていた汚物の海が、下水の彼方へと吸い込まれていく。だが、空間に染み付いてしまったにおいは消えない。さらに、便器の淵の裏側に付着した液便の滴も、拭きつくすことはできなかった。おもらしでも野糞でもない、ただ単にトイレで排泄をしただけで、ひかりの下痢便はこれほどの消しきれない痕跡を残してしまうのである。

  ガチャ……
「あっ……」
「え……」
 ドアの前に立っていた青年が声を漏らす。一瞬遅れてひかりも驚きに息を飲み、瞬時に顔を赤くする。音を聞かれていたかもしれない。空気を引きちぎるような汚らしい音を。
 ……。
 そのまま、数秒。
「あの……入ってもいいかな」
「あっ……ご、ごめんなさいっ!!」
 慌ててドアの前から離れるひかり。青年はドアを開けてすぐ足を止め、振り向いてひかりの顔と服装をまじまじと見た。

「っ…………」
 ひかりはすぐ顔を背けた。ドアを開けて立ち止まった理由は、洗面所にまで立ち込めていたにおいのせいだろう。そして、こんな小さな中学生の女の子が、本当にあれほどの音を立てながら、こんなにも臭いものを出したのか、と驚愕の思いで見たに違いない。中学生、だと断定できているはずだ。後ろ襟に二つの花びらの刺繍がついた制服は、地元の人間が見れば桜ヶ丘のものだと一瞬でわかるのだから。
 彼の予想のすべては真実だった。真実であるがゆえに、ひかりはそれ以上その場所にいられなかったのである。


「あっ……」
 急いで店外に出ようとしたひかりだが、外の様子を確認した瞬間、注意を店内に向けていた隆と目が会った。隆の前にはまだあの大迫がいる。隆は首を振った。
(まだ、来ちゃだめだ)
 その言葉が直接、ひかりの心に伝わった。

 ひかりが棚の向こうに身を隠そうとしたその瞬間、隆の首が急角度に曲がった。

「えっ……!?」
 頬を叩かれたのだ。

 ひかりはその光景を見つめたまま動けなかった。
 叩かれた衝撃で横を向いた顔を、隆は元に戻さない。大迫の口が開いて何かを叫ぶ動作だけが見え……彼は歩み去っていった。
 頬をさすりながら隆が正面を向き直ったのは、その忌まわしい姿が見えなくなってからだった。
 ひかりはコンビニを飛び出した。

「お兄ちゃんっ! だ、だいじょうぶっ!?」
 その言葉をかける者とかけられる者が、いつもとは反対だった。
「あ……ああ、平気さこのくらい」
「で、でも……腫れちゃってる……」
 赤くなった頬に、ひかりがそっと手を当てる。叩かれた痛みはまだ残っている。おまけに真夏の暑さの中だ。しかし、腫れた頬の温度をわずかに上げるその小さな手の感覚は、決して不快なものではなかった。

「だいじょうぶ……?」
「ああ。俺は頑丈だけがとりえだからな」
「でも……」
 ひかりは手を離そうとしない。隆が今感じているわずかな痛みに、ひかりは責任を感じているのだ。
(わたしを送ってくれたせいで……わたしがちゃんと、ひとりで来られれば……せめて、自転車に一人で乗れたら、こんなことにならなかったのに……)
「……ごめんなさい……」
「いいって」
 隆は続くであろう謝りの言葉を制止した。隆にしてみれば、自分が進んでやったことなのである。
 ひかりの力になる、今の隆にとって、それはすべてに優先することなのだから。この程度のことで感謝されたり謝られたりしては申し訳ないほどである。
「……それより、店の人にお礼言ったか?」
「え……あっ!」

 ひかりがはっと顔を上げる。トイレから出た直後は、何か買い物をして、レジの人にお礼を言って出てこようと、そう考えていたのだ。隆が殴られる場面を目にして、いてもたってもいられずに飛び出してきてしまったのである。

「あ、えっと……時間……」
「まだ大丈夫だから、行ってきな」
「う、うん……ごめんなさいっ!!」

 ぱたぱたと店内に駆け戻っていくひかり。
 品物を取ってレジで会計を済ませ、店員がするより深く頭を下げて店を出てくる。
 買ってきたのは小さめサイズのジュースだった。
 下痢便の排泄で失われた水分を補給しなければいけない。かといって、あまり多くの量を一度に飲むと、またおなかを下してしまう。不安定な平衡状態であっても、少しでも長く続けられるように、との選択だった。

「よし、じゃあ……」
 ひかりを自転車に乗せようとスタンドを倒した隆だったが、ひかりは逆に一歩後ろに下がった。
「あの……わたし、歩く……」
「え……でもまだ家から学校までくらいあるぞ」
「その……また今みたいなことになるといけないし……やっぱり、二人乗りはいけないって決まりなんだから、守らないと……」
「でも……」
 ひかりの小さな体に、これ以上無理をさせたくない。十数分前、助けを求めるようにしがみついてきた感覚が、その思いをさらに強くしていた。

「わたしなら、大丈夫だから…………ねっ」
 おなかを下した直後とあって、顔色は決してよくなかったが……ひかりは精一杯の微笑みを浮かべた。
「……わかったよ」
 この笑顔の前には、隆も何も言えなくなってしまう。
 隆は一度またいだサドルを降り、荷物だけの載った自転車を転がし始めた。



「……よしっ!」
 隆は三塁と本塁の中間地点で手を叩いた。3回表二死満塁から、7番福島のタイムリーヒット。三塁走者の隆に加え、二塁走者の芝田もホームイン。これで4点目である。

「おかえり、たかちゃん」
「ナイスバッティングでした、早坂先輩っ!!」
 桜ヶ丘野球部の2人のマネージャー、淡倉美典と澄沢百合が隆を出迎える。
「オレの出迎えはなしかよ……」
 本塁上で合流して戻ってきた5番打者、芝田も一緒だったが、こちらには二人の女の子の声がかからなかった。二人の個人的な感情、というのもあるだろうが、歴然たる事実として、早坂の出塁は2点タイムリー二塁打によるものであり、芝田は三振振り逃げでアウトを免れたという記録がある。対応が違うことを責められる立場にはなかった。
「みんな調子いいみたいだな、今日は」
 1回戦から3日が経っている。食中毒の影響が残って体調が悪い選手もいた1回戦とは違い、全員が好調を保っていた。さらに1回戦で経験した苦闘も糧となり、守備の動きもきびきびしたものになっている。堅守に支えられた好投手がそうそう打ちこまれるわけもなく、桜ヶ丘は危なげなく試合を進めていた。
「そ、そうですね……」
 百合が複雑な表情を浮かべる。確かに選手達はみな調子を回復させていたが、マネージャーの百合の体は、全快したとはいえないのだった。十回以上もトイレに駆け込むことはなくなったが、日に何度か、急激な便意に襲われて下痢便を排泄している。今日も朝起きるなり、家のトイレを大量の下痢便で埋め尽くしてしまっていた。
「でも、これだけリードがあれば絶対勝てますよね」
 いつ急にもよおすかわからない不安を打ち払うべく、明るい声で隆に言う。隆の実力をもってすれば、4-0は安全圏セーフティ・リードのはずだ。
「……いや、あと3点取る」
「え……」
 あと3点、という言葉にかけられた真剣さに、百合は驚いた。隆の真面目な性格からして、油断しないという意味での言葉は予想していたが、あと3点取る、という断言には、それ以上の悲壮感が感じられたのだ。
(7点とれば……コールドゲームで勝てる。試合が早く終わる…………あ!!)
 数秒の間に百合は気づいてしまった。地区大会では、決勝以外は7回以降7点差がつくとコールドゲームとなり、リードしているチームの勝利になる。桜ヶ丘は先攻だから、8、9回のまる2イニング分、早く試合が終わる。試合を早く終わらせることができれば……隣の体育館で行われている、桜ヶ丘のバレー部の試合に間に合うかもしれない。
(白宮先輩に会うため……? それとも、妹さんに……?)
 できれば後者であってほしかったが、その割合が100%でないことは百合にもわかっている。そして何より確実なのは、試合が終わったら、隆は百合のことを見てくれなくなるということだった。

『ストライク、バッターアウト! チェンジ!!』
 審判の手が上がる。満塁で打席に入った9番藤倉が三振に倒れたのだ。

「すみません……早坂先輩、澄沢さん……」
「ううん、気にしないで。次、がんばればいいんだからっ」
 百合の顔にはわずかな笑みが浮かんでいた。学の失敗を喜ぶわけではないが、コールドゲームになってほしくないという気持ちが、その表情を作らせたのだった。
「藤倉、守備につくぞ!!」
「は……はいっ!!」
 隆はそれでも、全力疾走でマウンドに向かっていく。


 同時刻。

「純子さんっ!!」
「はいっ!!」
 サーブで打ち込まれたボールを受け、セッターの旭舞子あさひ まいこがそのボールをネットの上に浮かせる。コートの中心から助走をつけて走りこんできた白い姿が、その身を宙に躍らせる。
 白宮純子。桜ヶ丘中学校一とも言われる美少女にして、成績優秀、品行方正、生徒会でも中心的役割を務める才女。そして同時に、バレー部のキャプテンを務め、コートの中でも攻撃の中心となるエース・アタッカーである。俊敏な動作を妨げないよう、腰まである黒髪を結い上げた姿、しなやかな手足の白い肌、真っ白なユニフォームが宙に舞う様は、純白の天使と呼ぶにふさわしい。

「…………はぁっ!!」
 体の後ろでばねのように勢いを溜めた右腕を、頭上から勢いよく振り下ろす。その円軌道の反対側には、緩やかに回転しながら舞う球体。その中心を純子の手のひらがとらえる。細い手首と細い指、しかし質量は小さくても助走と跳躍で生み出された運動エネルギーが一点に集中し、ボールを打つ撃力となる。

 ――より高く、より速く、より強くボールを相手コートに叩きつける。
 純子のスパイクは、その3点を極限まで追求した躍動美の結晶である。

「なっ!?」
「高いっ!!」
 ブロックに跳んだ二中の前衛フロントが表情を凍らせる。自分より背の低い相手の頭が、目線より上にあったのである。伸ばした指先の上を、純子の打ちつけたスパイクが通過していく。

  ダンッ!!
  ピピーーーッ!!

 打ち下ろしたボールは放物線ではない45度の直線を描き、コートの隅に突き刺さった。純子の一撃は、高さ強さ以外に、正確さにおいても追随を許さぬものだったのである。一瞬遅れて審判が笛を吹いた。

『ラリーポイント、桜ヶ丘中。12-13トゥエルブ・サーティーン!』

「ごめん真弓、あたしじゃ止めらんなかった……」
「気にしないでいいわ、千賀。……わかってはいたけど、さすがに白宮は強敵ね。他は雑魚ばかりなのに」
 サーブ権を得た桜ヶ丘が守備位置を変えるローテーションの間に、二中の選手二人が言葉を交わしていた。二人とも、頭一つ抜き出た長身。わずかに背が低い、いまブロックを失敗した女子が、けやき野私立第二中学校3年、奥河千賀おくかわ ちか。低いとは言っても168センチある。これは、早坂隆とほぼ同じ身長だ。後衛に控えていた赤毛の女子は、二葉真弓ふたば まゆみ。こちらは170センチの長身である。バレーの技術も一流だが、その恵まれた体格が彼女達をエース……強豪を誇る二中バレー部のエースたらしめているのである。

 だが、その二人が桜ヶ丘のエース、白宮純子一人に翻弄されている。
「信じらんない……身長タッパはちっちゃいはずなのに、アタックもブロックもあたしたちより高いんだもん……」
「そうね……」
 純子の身長は155センチ。彼女達と比べれば頭一つほども低い。それがネット越しに相対する時には、必ず同じか自分より高い目線にいるのである。市内最強のをほしいままにしている二中の両巨頭ダブル・エースといえど、その動きには驚愕を覚えるしかなかった。

「……でも、心配することはないわ」
「えっ!?」
 落ち着いた顔で真弓がつぶやく。うっすらと笑みすら浮かべながら。
 強がりではない。真弓の自信の原因は、彼女の視線の先にあった。

「はぁ、はぁ……このまま突き放すわ……みんな、がんばりましょう!!」
 コートの中心、前衛中央フロントセンターで桜ヶ丘の選手を叱咤する純子の姿。彼女が肩で息をしていることを、真弓は見抜いていた。
(そうよ。あんな無茶な動き方をして、疲れないわけがないもの)
 15センチの身長差を埋めているものは何か――それはすなわち跳躍力である。
 純子の跳躍力が自分達を大きく上回っていることは認めよう。だが、アタックもブロックも全身運動である。常人を上回る運動は当然、常人を上回る体力を消耗する。細胞に送られる酸素は欠乏し、細胞で生み出される疲労物質は蓄積されていく。
 無理に勝負を急ぎ、自分たちまで消耗する必要はない。この調子なら、次のセットには……いや、この直後のプレーでも、今までのような陸上選手級の高跳びはできなくなっているはずだ。第2セット、第3セットでの圧勝を、真弓は確信していた。

「私達は私達のバレーをするだけ。あなたの長所はアタックの強さなんだから、無理にブロックしなくてもいいわ。私が拾ってあげるから」
「うん……お願い。……よし!」

「い、いきますっ!!」
 桜ヶ丘で後衛右翼バックライトに回った植本美花がアンダーハンドサーブを放つ。彼女は白宮純子と同じクラスであり、トス、フェイントなどでコンビを組む上では桜ヶ丘で一番だ。だが純子よりさらに小柄な体格であり、純子のような動作の鋭さにも欠ける。サーバーとしては力不足が顕著であった。

  ぽーん……

 ライナーというよりは山なりのボールが二中コートへ向かう。狙いはライン際で正確だが、いかんせん勢いがない。

「甘いわっ!!」
  バシッ……!!
 後衛左翼バックレフトにいた真弓は難なくその落下点に走りこみ、腰を落として組んだ腕でボールを弾いた。ゆるりと自軍陣内に上がったボール、完璧なレシーブである。
「頼むわよ!」
「うんっ!!」
 こうなるとエース・アタッカーたる千賀の出番だ。桜ヶ丘の攻撃を鏡で映したように、トスが上がり、千賀の足が床を蹴る。

「やらせません……っ!!」
 純子もその攻撃を防ごうと跳ぶ。だが、足が重い。足の裏に針が刺さったような痛みが走る。それでも純子は跳んだ。

「くらえーーっ!!」
  ズドンッ!!
 千賀のスパイクは純子のような運動学の芸術ではない。長い腕を目一杯に振り、体の勢いをそのままボールに叩き付ける力技である。だが、それだけにボールの勢いは強く、かつ重い。
「く……っ!!」
 純子は必死に手を伸ばす。だが、跳躍の際に走った痛みのせいで、ブロックの体勢をとるのが遅れた。ジャンプの最高点にもまだ足りない。

  ビシッ!!

「あぁっ!!」
 純子の悲鳴。純子の差し出した手のひらは、千賀のスパイクの勢いで跳ね飛ばされたのだった。ボールはコート外に転がったが、純子が触れている以上得点は二中に入る。ブロックは完全に球の勢いを食い止めなければいけないから、腕の筋力の強さ、体の安定感が重視されることになる。平均よりやや小柄細身である純子が千賀のスパイクに抵抗するには、相手より高く跳び、スパイクと同様に勢いをつけてボールを跳ね返すしかない。だが跳び上がるだけで精一杯だった純子には、千賀のスパイクを跳ね返すだけの勢いがなかった。

  ピピーーッ!!

『ラリーポイント、第二中学校。13-13サーティーン・オール!!』
「やった、同点!」
 スパイクを決めた千賀は疲れた様子も見せず喜んでいる。純子が必死の思いで積み重ねた得点を、あっさりと返してしまうのである。
「く…………はぁっ、はぁ……」
「純子さん、だいじょうぶ!? もしかして、指が?」
 膝を折りかけている純子に、美花が声をかける。
「だ、大丈夫だから……まだ同点にされただけよ。取り返しましょう!」
 純子はそう喝を入れて直立した。
 火照った顔から、珠のような汗が飛ぶ。

(……この試合、もらったわね)
 前衛にローテーションした真弓は、間近からその姿を見て一つ、大きくうなずいていた。

「がんばれ!」
「白宮先輩ー!!」
「ファイトーー!!」
 桜ヶ丘のベンチから黄色い声が飛ぶ。
 皆の視線は純子に集中している。二中のダブル・エースに対抗できるのは彼女だけなのだ。
 だが、彼女を誰よりも信じ、尊敬し、あこがれているひかりの姿は、その中になかった。


(はやく……はやく戻らなきゃっ……)
 もちろん、ひかりがいるのは扉で仕切られた1メートル四方の空間……トイレの個室の中である。

  キュルルルルルッ……!!
「うぅっ…………」
 おなかが強烈な痛みを発する。朝、自転車に乗っているときにもよおしたものより、はるかに強力な便意だ。もよおし始めて間もなくトイレに立ったのにこの便意の高まり……。コンビニで水分補給のために買ったジュースがやはり、おなかを冷やしてしまったのだろう。

(はやく……脱がないと……)
 ひかりは腰とおしりを覆うブルマに手をかけた。光沢のある生地でラインが入り背番号が入ったユニフォームの上衣とは異なり、下は体育用のブルマそのものである。昨年ユニフォームを作り直したとき、白色基調の上衣に合わせて白のハーフパンツに変更しようという意見もあったが、「いつも使っているもののほうが動きやすいと思います」という純子の一声で体育用のブルマをそのまま用いることに決まった。
 なお、その本当の理由が「おもらししたときに替えがきくから」だったことを知っているのは、純子本人だけである。ユニフォームの変更に関して純子が主張した、と知ればひかりは気づいたかもしれないが、何せひかりの入学前のことである。もっとも、ひかりもおそらくその恩恵を受ける側なのだから、文句など決して言わないだろうが。

  ズズ……
 ブルマを膝元まで下ろしてしゃがむ。しゃがみながら、ユニフォームの生地を前に引っ張り、おなかを押さえるようにその前で止める。ユニフォームは共用品であるため、サイズも通常のものである。著しく体が小さいひかりにとってはあまりに大きく、放っておくとしゃがんだときに床についてしまうのである。下痢便を吐き出した時にはそこに容赦なく飛沫が飛び散るであろう。
  グキュルル……
「んっ……」
 押さえたおなかに、また一つ痛みが走った。むき出しになっても必死に閉じていたおしりの穴が、ぐっと熱くなる。

(……出るっ……!!)
  ビチチチチチチチチィーーーーーーッ!!
  ジュビビビビビビブリリリリリリリリリッ!!

 黒ずんだ未消化物を無秩序に含んだ茶色い液体が奔流となって、ひかりのおしりから飛び出していく。ほんの数時間前にコンビニのトイレで大量に出したとは思えない、量と勢いを兼ね備えた下痢便排泄である。

  キュル……
  ブビブリブリリリリブビッ!!
  ブジュブピッ!! ブッブブッブピッピピピピピピッ!!
(や、やだ……すごい音……)
 もよおして即トイレに駆け込みしゃがみこんだひかりのおなかの中には、大量のガスがおならとして抜かれないまま溜め込まれていた。それが水状の下痢便と一緒に吐き出されたのだ。結果、液状便は細かい液滴となって、ものすごい音を立てながらおしりの下方向に飛び散り広がった。もしユニフォームを床に垂らしたままだったら、一瞬のうちに茶色のまだら模様が完成していただろう。

「……んくっ!!」
  ブチチチビチビチビチビチビチッ!!
  ジュバババビリュリュリュリュッ!! ブジュリュビチッ!!
  ビチュビチュビシュビビビビビーーーッ!! ジュビビビビビブビッ!!
 細かい飛沫となっての下痢便放射はまだ続いていた。爆裂音がトイレの中で反響し、肛門の直下で弾けた汚物の滴は重力を無視するかのごとく四方八方に飛び散っている。いわば下痢便のシャワーであった。便器の中はもちろん、後ろのタイルにも容赦なく茶色の滴が撒き散らされていた。

「ふぁ……っ…………ん、ふぅぅぅっ!!」
  ビチビチッ!! ビリューーーーーーーッ!!
  ジュルブビビビビビッ!! ブパッ!! ビシャシャシャッ!!
  ビィィィィーーーーーーーーーブババババババッ!! ジュブブブブッ!!
 その茶色のシャワーがやっと終わった。だが、それはいつもの排泄――止まらずに続く下痢便の水流の始まりである。未消化物の凹凸と消化液の酸性度を含む灼熱の液体が、休まることなく肛門を貫き続ける、その痛みに耐えながらの排泄である。ひかりの顔には、我慢していた時以上の汗がじっとりと浮かび、おしりの熱さを表現するかのような真っ赤な色が現れていた。

「はぁっ……あぐっ…………うぅぅぅぅぅっ……!!」
  ブビジャアアーーーーーーーッ!! ビチビチビチッ!!
  ジュビビビビビビチャビチャビチャッ!! ドポポポポポッ!!
  ブジュルルルルルルビジュルルルルルルルルッ!! ジュプビュルーーーッ!!
  ブジュッピリュルルルルルッ!! ブジュビチビチビチビチビチビシャァァァァァッ!!
 だが、その痛みに耐え、ひかりはおなかに力を入れた。トイレに駆け込む回数が多いひかりは、時間に追われながら排泄を行う回数も多いが、今回はその中でも特に急がねばならない。ひかりは桜ヶ丘の出場登録選手になっており、今もなお試合は行われているのだから。力を入れる痛みに対して出し切るまでの時間短縮量が割に合わないとしても、可能な限り早くおなかの中のものを出し切らなければならないのだ。


「はぁ、はぁ、はぁ…………っ……!!」
  プジュブジュッ!!
  ブビ!! ピチュルッ……
 水流のような排泄が止まり、おしりで液便が弾ける状態になる。いつもならここでもう少し出ないかどうか確認するために粘るのだが、今はそんな悠長なことは言っていられない。ひかりはきゅっとおしりの穴を締め、後始末に取り掛かった。


「え…………うぁ…………」
 おしりを拭き終え、立ち上がろうとしたひかりの視界に入ってきたものは、下痢便のシャワーをまともに浴びた便器の後端とその後ろのタイルだった。
(汚しちゃった……早く、きれいにしないと……)
 ひかりは小さな胸をさらに締め付けられながら、再びトイレットペーパーを巻き取り始めた。


「はぁっ…………はぁ………………!?」
(試合は…………?)
 ひかりがおなかから音を鳴らしながらベンチを立ったとき、10-7で桜ヶ丘はリードしていた。憧れの白宮純子の大活躍である。あのままの調子なら、今頃は勝利が確定しているかも……。

「あっ……!!」
 ひかりのそんな甘い期待は、あっさりと裏切られた。

「くっ……」
「もらったわっ!!」
  ビシィッ!
 黒髪の白鳥と赤毛の荒鷲が、空中で交錯する。
 だが、白鳥の高度は、荒鷲のそれに及ばない。何度となく跳んだ疲れが、白宮純子の跳躍力を衰えさせているのだ。それに、スパイクの威力こそ劣るが、純粋な高さの面では身長と脚力の分、奥河千賀より二葉真弓の方が高い。
(ブロックされなければ……私のスパイクでも十分!!)
  シュッ!!
「あっ!!」
 ……純子の差し出した手は、桜ヶ丘のコートを目がけて飛ぶボールに届かなかった。

「と、止める!!」
 後衛にいた旭舞子がスパイクの落下点に飛び込む。高さはないが動きの速さでは純子に次ぐ貴重な戦力だ。一杯に伸ばしたこぶしが一瞬早く、ボールと床の間に割り込む。
 ……だが、それだけだった。

  ダンッ!!
「ぐうっ!!」
  ポン……ポ、ポン……
 舞子が弾いたボールは、無情にも桜ヶ丘の陣内を転々と転がった。

  ピッ、ピーーーーーッ!!

25-21セットポイント・トゥ・トゥエンティワン、第一セット、第二中学校!!』
「やった!!」
「ふふっ……」
「っ……」
「あぁ……」
「…ぅ………」
 2メートル15センチのネットが、選手の感情を色分けする。
 歓喜に沸く二中と痛恨に沈む桜ヶ丘。
 ベンチから離れたところでその光景を目にしたひかりも、同じ表情。

「旭さん! だいじょうぶっ!?」
 美花が上げたその声で、桜ヶ丘の選手、ベンチの面々が一斉に顔を上げる。だがその表情は次の瞬間、一様にさらなる絶望に包まれた。

「うう……あぁぁぁっ……」
 右手を押さえて顔をゆがめる舞子の表情。
 強烈なスパイクを受け止め、床に叩きつけられた手は無事ではすまなかった。よくて突き指、悪ければ骨に傷がいっているかもしれない。

「これは……無理ね。医務室に連れてってあげて。春木さん!」
 顧問の佐々峰先生が指示を出す。言われるまでもなく、舞子は試合ができそうな状態ではなかった。
「は、はい!! 旭先輩、立てますか……?」
「……そうじゃないわ。春木さん……第2セット頭から、行くわよ」
「え……えっ!? わ、私がですか!?」
 当惑の色を浮かべた1年生は、春木絵美。実力的には下から数えた方が早いくらいであり、今日もとりあえずユニフォームを着ているだけで、まさか試合に出るとは思っていなかったのだ。
「もちろんよ。早く用意して。医務室へは早坂さんが付き添って。あ、それと……」
「は、はい……」
「早坂さん……あなたも準備しておいて。登録選手はもう、あなたしか残ってないのよ」
「え……!?」
 ひかりの当惑は、驚きの声こそ小さかったが、同級生の絵美よりはるかに大きかった。練習に毎日出るのもままならないひかりだから、ユニフォームを着られるだけで嬉しいと思っていた。だが、いざ試合にでるとなると話は別だ。絶対に足手まといになってしまう。自分の実力、運動能力を考えれば、尻込みして当然の話である。
「はぁ……はぁっ…………ひかりちゃん」
 純子が、ひかりの前に戻ってきた。まだ息が荒い。
「し、白宮せんぱい……わたし……」
「大丈夫……ミスしたって、責める人はいないわ。もし、また誰かが怪我をしたりしたら……その時は、助けてあげて」
 美しい笑みをかすかに浮かべた、真剣この上ない表情。
 ひかりが初めて見る、純子の表情だった。
「……は、はい……」
 その表情を見て、それ以上弱気を見せることはできなかった。だが、いざその時がきても「はい」と答えられるか……ひかりにはまだ自信がなかった。

「白宮先輩、お水です」
 横から2年生の山前希やままえ のぞみが飲み物を差し出す。第1セットの開始早々、ネット際の競り合いでバランスを崩し、着地の時に足を痛めてしまったのだ。戦線離脱が申し訳ないのか、こうして休憩中のみんなを励ましている。
「あ、ありがとう」
「休めるうちに休んでおいてください……」
「そうね……」

  ピーッ!!

「第2セットを開始します。選手入場プレーヤー・インコート!」

「あ……」
「もう……もう少し休ませてくれてもいいじゃないですか……」
「大会の決まりだから、仕方ないわ。……じゃあ、希ちゃん、ひかりちゃん……行ってくるわね」
「は、はい……が、がんばってください……」
「うん」
 再び真剣な笑顔を浮かべ、純子はコートのラインをまたいだ。


 球場は5回表。7番福島から始まった打順、一死から8番恵庭が三遊間を抜いた。迎えるバッターは9番、藤倉学。

「藤倉」
 待機円ネクストバッターズ・サークルから打席に向かおうとする学を、ベンチから出てきた隆が呼び止めた。
「は、はい。……バ、バントですよね」
「いや……ここは大量点が欲しい。ダメモトで打ってみろよ」
「え……でも、ダブルプレーになったら……」
「その時は次が1番からだ。ヤマはって打って来い」
「は、はい……」

  ザッ……。
 学は左足から右打席に入った。軽いアルミ合金のバットを短く持って、バットに振り回されないようにする。
(さっきの打席は完全に泳いで三振だった……甘く見られてるだろうな)
 陽光台中の投手が投球動作モーションに入る。走者の恵庭は足はさほど速くないから、セットポジションの警戒下では走れそうにない。
(たぶん……初球が甘めのストレート。それを狙い打てば、僕だって……)

「せいっ!!」
 陽光台の背番号1、日暮直也が白球を投じる。
 予想通りの真ん中寄り、甘いコースのストレート。
 隆の球に比べればはるかに遅い。
(いける――)
 学はその軌道めがけてバットを振った。

  ガキン!!
「うぁっ!?」
 学の振ったバットは、球威に押し返された。芯から外れたところに当ててしまったのだ。ボールは力なく内野ファールグラウンドを転がっている。

(……当たる直前に、ボールから目を離してしまったんだ……)
 すぐに原因はわかる。だが、それで失敗が取り返せるわけではなかった。1球目から振ってくるとわかった以上、次からはそうそう甘いコースには来ないだろう。そのボールを打てるか。また引っ掛けてダブルプレーに倒れたら最悪だ。それよりは、バントでランナーだけでも進めるべきではないか……。

「くっ……」
 再びバットを構える。……バントか、強行か。出し方が定まらないバットは、体の近くで揺れ動いていた。
(そうだ、バントをやるなら、1ストライクの今しか……)

「!!」
 同じセットポジションから、外角一杯への直球が繰り出される。学は慌ててバットを寝かせた。
 本来、学はバントが下手なわけではない。だが、初めから寝かせていなかった分、照準がぶれる。

  キンッ!!
「あ……」
 当たりが強い。勢いを殺せなかった打球は三塁手に向かって突進していく。

(切れろ、切れてくれ!!)
 一塁へ踏み出しながら祈る。振り向く余裕はないから、審判の声が頼りだ。何も宣告がなければフェア、この場合は併殺が確実だ。

『……ファール!!』
「あ……」
 足を止める。勢いが強かったが幸いし、三塁手が突っ込む前にファールラインを割ってくれたのだ。最悪の結果は免れ、なんとか首の皮一枚つながった格好だ。

「何やってんだ藤倉!! 振ってけー!!」
 ベンチから隆の声が飛ぶ。スタミナ切れを起こさないだけの肺活量は、ベンチから打席まで届く声をいとも簡単に出せる。

(す、すみません先輩……でも、僕には打って内野を抜く自信が……)
 2-0ツー・ナッシング。スリーバント失敗でアウトになる可能性を含めても、バントの失敗で1アウトより打ってダブルプレーの確率の方が高い。だが、作戦はあくまでヒット狙い。しかもバントに一度失敗している。打つべきか打たざるべきか、それが問題……

「ていっ!!」
「あっ!?」
 だが、ピッチャーは学の決心がつくのを待ってはくれない。料理しやすい相手と見たのか、真ん中に速めの球だ。

(や、やるしかない……!!)
 打ちにいく。
 だが、振り出しがすでに遅れている。それで速球にあわせなければならないから、自然と振りは小さくなった。

  ガッ……
「あ……」
 バットには当たった。しかし、鈍い音が示すように、ボテボテの内野ゴロだ。しかもコースはピッチャー正面。

(やっぱり……せ、せめてゲッツーだけは防がないと……!!)
 学は一塁に駆け込む。
 しかし、肩のいいピッチャーが二塁に送球したボールが、一塁に転送されてくる方が早かった。

『アウト!!』
「……っ……」
 ダブルプレー成立。一死一塁が、一瞬でチェンジである。


「すみません、早坂先輩……」
 ベンチに戻ってきた学にできるのは、謝ることだけだった。
「中途半端なプレーでうまくいくわけないだろ。藤倉がバントの方がいい、って考えたなら、たぶんその判断が正しいんだろう。それなら自信持ってバントしろよ。ピッチャーの球が来てから慌ててるようじゃ、ろくな結果にならないぞ」
「……はい……すみません……」
「ドンマイ、藤倉くん……しっかりリードして取り返せばいいんだから」
「うん……」
(……澄沢さんに、また情けないところを見せてしまった……)
 学はうつむいたままキャッチャーマスクをつけた。せめて併殺だけは避けようと思っていたのに、その最悪の結果……。弁解の余地はない。百合が複雑な表情を浮かべていることが、それを物語っている。もっとも、複雑な表情には別の理由もあったが。

「さあ、気を取り直していくぞ!!」
 マウンドに登った隆が宣言する。チャンスを作れなかったとはいえ4-0でリード中である。隆の能力を考えれば、とても負ける気はしない。油断ではないが、楽観ではある。守備位置につくナインにも、そんな気持ちがあった。


 一方、体育館の中の戦いはそうではなかった。後がない瀬戸際の戦いが繰り広げられていた。
 外なる敵と内なる敵に対して。


  キュル……
「え……!?」
 純子が体の中に違和感を覚えたのは、15点目のスパイクを決めた直後だった。

 十分とはいえないながら休息を終えた純子は、第2セットに入って戦い方を変えていた。防御、特にブロックをチームメイトに任せ、アタックだけに専念したのである。純子だけの意思ではなく、皆の判断によるものだった。攻撃・防御の両方を純子に任せていては、あまりに消耗が激しい。完全にブロックができなくても、勢いを弱めてコート内で拾う、ということを繰り返し、純子にトスを上げる形が整った。二中のアタックエース、奥河千賀以外の攻撃はすべて拾い、ここまで15-4と圧倒的なペースで試合を進めてきた。第1セットでは追いつかれてついにリードを奪われたのが15点目だったから、その喜びもひとしおである。

 その歓喜の得点を決めて着地した瞬間、純子のおなかに鋭い痛みが走ったのである。

(そ、そんな……まさか……)
 痛みはすぐに消えたが、おなかの奥をくすぐられるような感覚が残っている。
 おなかの調子を崩した時の感覚。
 急激な便意をもよおす前兆の感覚……。

(だめ、こんなときにしたくなったら……)
 括約筋が思い通りに動かせない純子にとって、トイレに行けない状態での便意はおもらしと等価である。ましておなかを下してなどいたら、数分どころか最初の便意の一波すら我慢できまい。純子は、おなかに感じた違和感が何かの間違いであってほしいと、心の底から祈った。

 祈りが通じたのか、どうか。
 便意は襲ってこなかった。だが、おなかの中で何かがゆらめいているような、その違和感は消えてくれなかった。

(……だ、大丈夫、なんとか……このセットが終わるくらいまでは……)
 このペースで点数を重ねていけば、あと10分もしないうちに第2セットは片付く。便意をもよおすとしても、今すぐでさえなければ何とかなる可能性は高い。
 ……いや、可能性の問題ではない。他に選択肢はないのだ。退くわけにはいかない。負傷者が相次ぎ、控えの選手はひかりしか残っていない。ひかりを試合に出させてあげたいとは思っていたが、自分がトイレに行くための身代わりにするようなことはできない。ひかりが試合に出るなら、同じコートにいてあげたい……。

(と、とにかく、早く決着をつけなきゃ!!)
 純子は、きっ、と二中のコートに向き直った。サーブ権を得た二中、バックライトの二葉真弓がサーブを放り込んでくる。

「あっ……!?」
 レシーブ。第2セットから入った1年生の春木絵美だ。1年生にしてはよくがんばっているが、動きの精度は完璧ではない。ボールはサイドラインより外側に上がってしまった。

「大丈夫!」
 純子がコートを蹴ってその落下点に滑り込む。自分がいない状態で相手のブロックを突破するのは難しい。山なりでも相手コートに返球して、次のチャンスを待つのが上策だ。

「はいっ!」
  ポム……!!
「それっ!!」
  ボンッ……!!

 純子が陣内に返したボールを、3年の寺澤由美奈てらさわ ゆみなが敵陣に送り込む。3年生の山前と旭を欠いた今、純子の次に頼りになるのは彼女である。

「ちぇ……あたしがレシーブか……っと!!」
 由美奈の狙いは正確、アタッカーの千賀にレシーブの役目を負わせることに成功した。
「それならこちらも同じ手よ!」
 頭一つ高い打点から、真弓のスパイクが襲う。
 狙いは、競り合いに参加していない純子。

(持久戦……!? そ、そんなことされたら……おなかが……)
  キュルルルルルルルッ!!
「――っ!?」
 まさにレシーブを受けようと腰を落とした瞬間。純子の体の中で鋭い痛みが巻き起こった。そして、肛門の感覚神経から伝わってくる熱さ……。
(だめ、出ちゃう……!!)
 便意、すなわちおもらしの前兆。すぐにでもおしりの穴を押さえない限り、食い止めることはできない。だがその両手はちょうど、ボールを弾き返そうとするところだった。

  バンッ!!
「あっ……!?」
 力が入らない両腕は、真弓のスパイクすらも止めることはできなかった。ボールはあさっての方向へ飛んでいく。だが、純子の驚きの声は、そのレシーブ失敗の結果に対するものではなかった。その結果を見る余裕すら、彼女にはなかったのである。

  ミュル……。
「!!」
 おしりに広がる生温かさ。
 おしりの穴の周りだけだが、やわらかくねばねばした物体が純子の肌を包み込んでいる。

(出ちゃった――!!)
 疑問すら感じる必要のない、明らかな感覚。
 ブルマの中、ショーツの中に、やわらかい大便を排泄してしまった。
 おもらしをしてしまったのだ。

(だ、だめ、これ以上は……!!)
 慌てて体を硬直させ、肛門を閉じる……いや、閉じようとする。だが、括約筋が締まる感覚は全く伝わってこない。
 それ以上のおもらしが起こらなかったのは、単に少量の放出で便意が一時的におさまったからなのだ。

「……白宮さん!!」
「……え……」
 同級生の美花が声をかけてくる。
「白宮さん、大丈夫!?」
「あ……だ、大丈夫よ……」
 嘘をつくしかなかった。真実は「うんちをもらして驚いてレシーブに失敗し、それ以上のおもらしを食いとめようとして体を震わせていた」のだから、そんな事を言えるわけがない。

「ごめんなさい……一瞬だけ、集中が途切れてしまって……もう大丈夫だから」
 自分とチームメイトに対する気休め。純子はチームの中心であり、自分が退くことはチームの敗北を意味する。
(このまま……このまま、おさまっててくれれば……)
 崩れかけたリズムのまま交代はできない。あと何点かを奪って、チームの勝利を確実にしてからなら、下がっても大丈夫。
(お願い、あと少し、あと少しだけもって……)
 純子はそっとおなかに手を当てて願いをかける。

(もう少しだけ我慢させて……)
(会場の外に出たら、全部おもらししちゃってもいいから……)
(今だけ……今だけは……!!)
 その願いが通じたのか、鈍く続いていた腹痛が少しだけ弱まった。
 純子は再び前を向いた。

 すでにプレーは始まっている。

(白宮せんぱい……)
 それを見ていたひかりは、純子の動きに異常を感じ取っていた。
 ……自分がいつも陥っている異常を。

(おトイレに……? ううん、おなか押さえてた……もしかして、おなかこわしてるの……?)
 純子の体質のことは、本人からの告白で知っている。我慢する力がほとんどなく、もよおしたらすぐに出てしまう、と。
 ……もし、激しい便意が繰り返し押し寄せる下痢に、純子が襲われたとしたら。

(た、たいへんっ!!)
 今すぐにも起こるかもしれない最悪の事態を想像して、ひかりは慌ててコートの中を確認した。
 ……まだ、その惨劇は起こっていなかった。

 だが、その序曲はすでに始まっていた。

「白宮さん、お願いっ!」
「は、はいっ!!」
 美花のトスが上がる。おなかに不安を抱えたままの純子は、それでも二中のブロックをかわせる高さまで跳んだ。

(やらなきゃ……決めなきゃ……!!)
「――っ!!」
  ダンッ!
 純子にしてはめずらしい、力任せのスパイク。
 ボールは一直線に二中のコートに突き刺さる。

「やった……」
  キュルルルルゴロロロロロッ!!
(……っ!?)
 いまだ空中にある純子の体。その中心から、重苦しい音が響いた。
 間髪を入れず、おなかの痛みとおしりの熱さ。
 同時に、襲ってくる――。

(だめっ……出ないでっ……!!)
  バンッ……
 着地。と同時に……。
  ブリュルルルッ!!

(……っ……)
 心の中ですら、何も言えなかった。
 あれほどの決意、あれほどの必死さ。
 純子の願いは、自分の体によって、いとも簡単に裏切られたのだ……。

  キュルルルルルッ!!
「あぁ……」
 さらに押し寄せてくる便意。ここに至ってはもう、おなかの調子がおかしいことは明らかだった。普段、おなかを下すことは決して多くない純子。その数少ない機会が、よりによって最悪のタイミングで襲ってきたのだ。

  ミュチュッ!! ブピュルッ!!
(も……もうだめっ……)
 おしりの周りの気持ち悪い広がりが、その面積を増していく。
 ブルマの中に閉じ込められているものの、かすかににおいまで感じられるようになってきた。他の人に見とがめ……いや、嗅ぎとがめられるのも時間の問題だろう。

(でも……私が代わったら……)
 ひかりを一人で、コートの中に放り出すことになる。
 守ってあげようと思っていたひかりに、よりによって自分の身代わりを押し付けることになる。そんなことはできない。潤奈とひかりと、3人で誓った相互援助同盟。純子は、あくまで二人を守るつもりで、あの提案をしたのだった。

(私は、ひかりちゃんを守る……私のせいで、ひかりちゃんを矢面に出すようなことはできない……)
 その意志は固い。他に代われる選手がいれば、すぐにでも交代を申し出ているところなのだ。

  ギュルルルルルッ!!
  プリュッ!!
「っ!!」
 緩んだおしりの穴からは、柔らかい便がわずかな抵抗すら受けずにもれ出している。
 もう、無事に試合を終える事など考えられなかった。遅かれ早かれ……いや、遅いなどということはありえない。次のプレー中にも、破滅的なおもらしの姿をさらすことになる。

(私……私…………どうしたらいいの……)
 進退窮まる、とはまさにこのことだった。

  キュルルルルルル……!!
(あ……もう……もうだめっ……!!)
 さらに腹痛が追い討ちをかける。純子は心だけでなく体まで、身動きができない状態にまで追い込まれていた。
(ごめんなさい…………私……もう……)
 すべての終わりを覚悟した時、助けを拒んでいた心の枷が消えた。
 閉じかけた瞳が、見つめた先には――。


(白宮せんぱい……やっぱり、もう……)
 便意が限界に達している……いや、もうもらしてしまっているかも知れない。
 体質のことを聞かされていなければ気付かなかったかもしれないが、聞いていれば難なく想像できることだった。ましてや、いつも便意との戦いに苦しんでいるひかりにとっては。

(せんぱい……もしかして、わたしと代わりたくないから……?)
 なぜ、純子が試合に出続けようとするのか。ひかりには、その理由もわかっていた。

 試合前に言われた言葉がある。

「ひかりちゃん……少しでもいいから、試合に出ましょう?」
「え…………む、無理です、わたし……その、みなさんの足手まといに……」
「大丈夫。私も一緒だから。……コートの中で、伝えたいことがあるの」
「…………」
「……ね?」
「…………は……はい……」

 純子は、コートの中で一緒にプレーすることで、ひかりに何かを伝えようとしていたのだ。
 だが、もよおしてしまった便意のせいで、それができなくなってしまった。それどころか、自分がコートから下がれば、助け導いてあげようとしていたひかりを置き去りにすることになってしまう。それが嫌だった……そんなことをする自分が許せなかったのではないか。

(でも……このままじゃ……)
 純子の我慢はあと、何秒もつかわからない。
 大勢の人……クラスメート、先生らが見守る前でのおもらし、それがどんな事態を招くか、ひかりは知っている。哀れみか蔑みか、好意とはかけ離れた両極にある視線に四方から突き刺され、長い間にわたって突き刺され続けることになるのだ。ましてや、知らない人もたくさんいる。見も知らぬ人の方がかえって無慈悲な視線や言葉を投げかけてくるものだということも、通学路や他学年のトイレでおもらしをしてしまった経験からわかっている。
 敬愛する純子が、そんな目に遭うのは耐えられなかった。

(わたしが……わたしが代わりに出れば……)
 選手交代を申し出る。純子の異常にはみな気付いているだろうから、交代に不自然さはないはずだ。
 ……あとは、ひかり自身が、足手まといにならずに動けるかどうか。
 精一杯に練習に励んでいたといっても、もともとの体力のなさは拭いきれない。動きの正確さはともかく、鋭さ、力強さには欠ける。小学5年生の平均程度すらない身長は、アタックやブロックの役には立たない。せっかくリードしている試合を、自分のせいで壊してしまうかもしれない。

(わたしが出れば……白宮せんぱいを、助けられる……)
 純子が試合に出続けたら確実におもらしをしてしまい、存在そのものすら否定されることになる。一方、ひかりが出て失敗したところで、補欠の1年生がミスで無様な姿をさらすだけ。
 ……いや、そんな足し算引き算は関係なかった。

(いま……白宮せんぱいを助けられるのはわたしだけ……)
 ひかりの頭の中には、数日前に交わした約束が浮かび上がっていた。

「誰かがおもらししそうな時は、トイレに行けるように助けてあげる」
 衣服だけでなく、心と体の純白を守るための同盟。

 ひかりは、きっと自分は助けられる側にばかり回ってしまうんだろうな、と思っていた。
 それだけに、助ける側に回る時が来たら、精一杯、できる限りのことをしよう、と思っていた。
 まさか、最初が助ける側になろうとは思っていなかったが……だからといって迷う理由はない。

(わたし…………白宮せんぱいを……助けたい……!!)

  すくっ。
 小さな体が、座っていた椅子から立ち上がる。

 ひかりが、精一杯の勇気を振り絞って立った瞬間。
 純子が、その小さな体を……大きな決意を秘めた瞳を見た。

「――先生……わたし……白宮せんぱいと、交代しますっ!!」



「…………」
 心配げに駆け寄るチームメイトを制止して、純子はコートの外に出た。
 ひかりが待っている。

「白宮せんぱい、あの……」
「……ひかりちゃん……ごめんなさい……」
 悲痛な表情。それが便意の苦しみによるものか、おもらしの悲しみによるものか、ひかりに助けられた情けなさによるものか……おそらく、その全てだろう。
「……い、いいんです……約束……ですから……」
 約束。
 その言葉を聞いて、純子は初めて、交わした約束の全てを思い出した。我慢できなくなったら、いつでも助けを求めて……そう言ったのは純子自身だった。なのに、自らがその通りにできなかった……それでも、ひかりは助けてくれた。
「…………ありがとう……」
 純子はただ一言、胸を一杯に満たしている気持ちだけを言葉にした。
  キュルルルル……
  ブチュ……
「あ……!!」
 おなかとおしりから、同時に小さな音が響く。
「せ、せんぱい……早く……!!」
「ご……ごめんね…………すぐ……すぐ、戻ってくるから……!!」

 純子は駆け出した。
 便意はこらえられないが、涙はこらえることができる……。



「く……うぅぅっ…………んっ!!」
  ブリュ、ブチュゴポッ!!
 コートと観客席の喧騒から離れた、体育館の廊下。
 純子は走りながらおもらしをしていた。……おもらしをしながら走っている、と言う方が正しい。
 紺色のブルマは、そのふくらみが目立ち始めていた。……今まで目立っていなかったのが奇跡である。もらした量は決して少なくないが、便質が十分にやわらかいために、ブルマの中で塗り広げられ、おしりを汚しまくることと引き換えに、外に膨らませる割合が軽減されているのだ。
 もし、おなかの具合の悪化が少しでも弱かったとしたら、固さを保った便がブルマの中で変形せずに布地を押し広げ、最初のおもらしの時点で誰かに気付かれていただろう。逆にもう少しおなかの調子が悪くなっていれば、水気が過剰な便はショーツとブルマを透過してブルマの表面におもらしの痕跡を現していたことだろう。妙な言い方だが、程よくおなかが下っていたからこそ、純子のおもらしはひかり以外に露見せずに済んだのである。

 だが……本当の限界はすぐそこまで迫っていた。

「はぁ……はぁ…………ぅあっ!?」
  ギュルルルルルルルッ!!
 廊下を駆ける足音にも消されない音がおなかから響き……おなかから生まれた痛みが体中を貫いた。足を止めて前かがみになり、壁に片手を突いて体を支える。

「……ぁあぁぁっ…………!!」
  ブピグジュッ!!
  ブジュルルルゴポポポポッ!!
 周りに人がいたら何事かと振り向くほどの破裂音が、ブルマの中で響いた。
 ふくらみが一回り、二回りと大きくなる。

(だめ、止まらない……っ!!)
  ブプププブリゴボボボッ!!
  ブジュブリュリュリュリュリュブブッ!!
 もう止まらない。
 軟便を押し分けて出てくる軟便。純子のおしりの穴は、熱いどろどろの汚泥に常に貫かれている。ひかりが想像した通り、おなかの調子を崩した純子は、まさに軟便の垂れ流し状態になっていた。
 こうなってしまうともはや、おしりの穴を指で押さえるという最終手段も通用しない。逆にブルマからあふれさせる引き金にもなりかねないだけに、純子は手をおしりに当てることはできず、右手で痛むおなかを押さえ、左手を壁について体を支えていた。

「く……」
 それでも歩みを止めない。
 押し寄せる痛みと苦しみと不快感で立っているのもままならないはずだが、それでも純子はトイレを目指して歩く。決して自慢できることではないが、おもらしした状態、あるいはもらし続けている状態で歩くことには慣れているのである。

「うぅ…………はぁっ…………」
  ブリュブピグビュルゴボボボボッ!!
  ジュプブリュビジュブビブボビビビビッ!!
 おもらしが続く。
 これだけの量をすでに出しているのに、一度に出る量、出続ける時間、ともに単調増加を続けている。
 ブルマのふくらみは張力の限界に達し、おなかをいっそう強く締め付けている。それが便意を加速させ、そのままの勢いで便の出る速度を大きくしている。排泄速度と排泄量が破滅的な発散に転じようとする頃、ようやく純子はトイレの前にたどり着いた。

  ブジュブポブボボボボボッ!!
「つっ…………くぅ……!!」
 脇目はおろか自分のおしりで奏でられる音にすら注意を振らず、純子は一番近い個室に駆け込んだ。
 十数分前には、誰にも真似のできない輝きをコートの中で放っていた純白の天使。今や、ふくらんだブルマの中から誰のよりもひどいにおいを放つ微粒子をトイレの個室外に撒き散らす、茶色の堕天使。その凋落を悔やむ余裕すら、純子には残されていなかった。
 とにかく便器にまたがりたい。それだけの思いで、純子は永遠とも思える、十数歩の道のりを駆け抜けた。

  バタガチャン!!
 扉を閉め、鍵を閉める。
 一つだけ扉が閉まったトイレ全体を、一瞬の静寂が包む。
 ……嵐の前の静けさだった。

「……ふぅぅうっ!!」
  ズジュルベチョブビビビビビビビビビビビビッ!!

 どれ一つ取っても白宮純子が立てた音とは思えない濁音が3つ、連続して響いた。

 粘着性の軟便がべっとりついたブルマとショーツを下ろす音。
 後から出した流動性の高い軟便が便器に落ちる音。
 ブルマを降ろす前から出続けていた軟便が便器とその淵に打ち付けられる音。

 汚さの限界を極めた三連符はしかし、これから始まる排泄の序曲に過ぎなかった。
 ……いや、すでにこれだけもらした後なのだから、間奏曲と言うべきか。
 とにかく……さらに勢いを増した軟便が、茶色にコーティングされた純子のおしりの穴から吐き出されてくるのである。

「んっ!! うっく……んぅっ!!」
  ブジュブププッ!! ビュジュブリリリッ!!
  ブピブボボボボッ!! ブボッ!! ビブブブブブブッ!!
  ジュブリブビュルッ!! ブポブビジュブボボボボボブボブボブボッ!!

 軟便が便器の中に降り注ぐ。
 最初に便器を汚したのは、すでにもらしたブルマの中の軟便だった。ある程度の量がまとまって落ち、便器の中に茶色の小山を作った。
 今はもうその山は見えない。その直後に肛門から吐き出されてきた大量の軟便に同化してしまったからである。その後端は便器の淵にまで達している。しゃがみきらないうちに出てしまっていたのだ。
 一つになった山はとめどなく降り注ぐ軟便によって総量が増え、少しずつ自重で崩れることで、高さでなくその裾野を便器の奥へと広げていく。

「んっ……う!! ふぅぅっ…………」
  ジュピブチュルルルッ!! ビビビッ!!
  ビチュビチュビチュッ!! ブジュピブブブッ!!
  ブブブブリブリブリブジュッ!! ジュルブビーーーッ!!

(い、いやっ…………止まらないっ……!!)
 濁り果てた音を奏でながら、純子のおしりはゆるゆるの便を吐き出し続ける。
 音量を増していく破裂音、密度を増していく悪臭に美しい顔をしかめながらも、その勢いを止めることができない。出る前すら我慢することができないのに、一度始まってしまった排泄を止めるなどという真似は、純子には不可能もいいところである。

(あ……早く戻らないと……ひかりちゃんが……)
 排泄の勢いを弱めようという無駄な努力にいそしんでいた純子は、そのことに気付いて方針を180度転換させた。今も、コートの中ではひかりが純子の帰りを待っている。ただでさえおもらしの後始末に時間がかかるのだから、一刻も早くおなかの中のものを出してしまわなければ……。

「ふっ!! ………………あぐ……っ!!」
  ブジュルルルルブリリリリブピッ!!
  グギュルーーーーッ!!
  ビブビジュルブビビビッ!! ブピブピッ!!
  ギュルゴロロロロロッ!!
(い、痛いっ……!! おなかが、おなかが痛いっ……)
 おなかに力を入れた瞬間、その力を強烈に押し返すかのような痛みが襲ってきた。排泄音に隠れがちではあるが、おなかからも不気味な音が鳴り続けている。あらためて純子は、おなかの調子の悪さを思い知らされたのだった。

(な、何か悪いもの食べたのかしら……!?)
 終業式は3日前に終わっているから、給食は関係ない。家で食べたもの、となるとメニューが多彩すぎて思い出しきれない。調理自体には純子や母、雪子も参加するが、栄養士資格を持つ家政婦さんが毎日のメニューを考えてくれているのだ。材料も彼女が選んできているから、それが悪いということはまさかないだろう。
 だとすれば、昨日、一昨日の部活練習に持っていったお弁当が暑さで痛んだ、という路線か。しかし、それなら味もおかしくなるし、もっと早く症状が出るはずだ。じゃあ一体何が……。

「あぅ…………んっ!!」
  ブジュブジュブジュビィーーーーッ!!
  ブリュチュチュチュチュッ!! ブブブブブボッ!!
  ブリブリッ!! ブブブブビリュッ!! ジュブブボボボボッ!!
 とりとめのない思考を止めたのは、再び始まった排泄だった。出したいと思っても出せず、止めたいと思っても止められない。体の中から出てくる汚物に対して、純子は全くの無力だった。

(は、早く……早く終わってっ…………)
  ブビッ!! ブピピピピピピッピリュッ!!
  ジュブチュッ!! ブリュブリリリリリブビビビビッ!!
  ビチャッ!! ブリュブジュビブッ!! ブジュビプブボッ!!
  ベチョベチョベチョッ!! ブリジュビビビビビブボブピピピピピブビーーーーーッ!!
 純子は、言いようのない敗北感を覚えながらも、何ひとつ積極的な行動はできなかった。調子を崩したおなかの命ずるまま、排泄の波に身を委ねるしか、彼女にできることはなかった……。


  ブジュビチャッ!!
「うぅ…………はぁ、はぁ……っ……」
 最後のひとかけらが軟便の山の頂点をわずかに崩し……少しずつ和らいでいたおなかの重みが、ついに消える。

(これで……終わったの……?)
 あれほど苦しかったおなかの痛みを、今は全く感じない。残便感もなく、おなかを下した割にはあまりにもあっさりと排泄が終わってしまった。深刻な食あたりなどではなく、一過性のものだったのかもしれない。

(もしかして……さっきのお水がいけなかったのかしら…………)
 第1セット終了後、体力を回復させようとがぶ飲みした水。氷で冷えた液体を胃腸に流し込んで、すぐに激しい運動をしていた……腸が刺激されて当然であった。

「…………あぁ…………」
 後始末をしなきゃ、と視線を下に向けた瞬間……純子は眼を閉じて顔を背けた。
 直視できなかったのだ……自分が作り上げた惨状を。

 膝元までも下ろせていない、ふとももに架かったままのブルマとショーツ。……いや、ショーツはほとんど見えていない。茶色に塗りつぶされているのだ。おしりの真下にあった部分はショーツの中だけで納まりきらず、ブルマの布地にまで軟便が押し広げられていた。その茶色の表面は脱ぐときに肌に擦られたせいで、ぐちゃぐちゃに崩れかけながらもところどころ角が立ち、その無秩序さをさらに強調している。
 どろどろの茶色。それが通常以上の水分を含んでいることは、軟便とショーツの境界線を見ればわかる。軟便の支配区域は会陰部から尾てい骨まで、実にショーツの内側全長の半分以上に及び、その領域では白い布地はわずかにも見えない。べったりと軟便に塗りつぶされている。だが、その境界の部分に、わずか数ミリだけ、茶色く染まった繊維が見える。内側の軟便から滲み出した水分だった。それでもなお便は水っぽさを失わず、脱ぐときにたっぷりと純子の肌を汚していったのだから、肛門から出る瞬間はもっと水気にあふれていたに違いない。激しい排泄音が漏れてしまったのも当然である。

 そして、おしりから出たどろどろの便を直に受け止めた便器の中。おしりの真下には、便器の淵まで届きそうな茶色の山が作られていた。しかもその裾野は広い。ブルマやショーツから落下した軟便をも飲み込んで、便器の後ろ半分を完全に埋め尽くしていた。
 便器の中の軟便には肌に擦れたものと違って尖った部分はないが、後から後から振り注いだ軟便自体によって変形し、波打ったような形をそのまま残している。容易に変形し、なおかつ変形した後形を崩さない。固形便と液状便の中間である軟便特有の光景が生まれていた。
 しかもそのやわらかな便は徐々に水に溶け出している。便器の前方、軟便に侵食されていないはずの部分の水も、はっきりわかるほどの茶色みを帯びている。それだけでなく、軟便そのものの一部がゆるい結合から離れ、その薄茶色の水溜りの中に流れ出していた。

 極めつけは、彼女の体そのものである。
 神聖な雰囲気すらまとった完璧なお嬢様、白宮純子。その体の中で、最も神聖であるはずの部分。
 その部分が今、臭く汚く醜くおぞましい物体によって覆われていた。その物体はもちろん、彼女が吐き出した軟便。出てきたのはその汚れの中心、彼女のおしりの穴からである。
もよおしてしまった便意を我慢できず、コートの中で、廊下で、トイレに入ってからも、ブルマとショーツの中におもらしを繰り返した……その結末がこの汚れである。下の肌すら見えないほど、どろどろの軟便によって塗りつぶされていた。
 前はぴったり閉じた秘密の部分のさらに上から、後ろはおしりの谷間よりも上まで、白い肌を容赦なく塗りつぶした軟便。そこから立ち上るにおいは、生み出した主である純子の嗅覚を破壊するほど強烈な悪臭を放っていた。


 思考力が失われるほどの惨状が、彼女の腰から下に広がっている。

(…………やらなきゃ……)
(後始末……しなきゃ……)

 だが、純子の心は、その衝撃に耐えた。もともと精神力が弱いわけではないし、なによりこの手の衝撃を受けるのには慣れてしまっているのだから。

「…………っ……」
 ブルマとショーツを膝から下ろす。
 ショーツを汚物入れに押し込む。
 ブルマをタイルの上に広げて置く。
 トイレットペーパーを一杯に巻き取る。
 下ろすときにふくらはぎについた汚れを拭く。
 ふとももについた汚れを拭く。
 紙を換える。
 股間の前の方についた汚れを拭く。
 全然落ちない。もう一度紙を換えて拭く。
 まだ落ちきらない。新しい紙で拭く。
 おしりの横についた汚れ……。
 おしりの後ろについた汚れ……
 おしりの穴にまとわりついている汚れ……。
 拭く。ぬぐう。綺麗にする。きれいに……。

 純子は手を止めず作業に没頭した。
 手を止めたら、自分の惨めさに押しつぶされそうだったから。

「…………これで…………」
 純子は後始末を終えた。
 おもらしの証拠は完全に消えてはいない。純子のおしりを覆うものは、茶色の軟便によるコーティングではないものの、おもらしした軟便を必死に拭き取った跡の残るブルマである。着替えは荷物の中にあるが取ってくる余裕はなかったので、これしか下半身を覆うものがないのである。ショーツが再起不能であることは言うまでもない。 個室から出たら、すぐに荷物から新しいショーツとブルマを出して履き替えなければならないだろう。

(急がなきゃ……)
 コートではひかりが、チームのみんなが、純子の帰りを待っている。
 すでにかけてしまった迷惑を、少しでも早く取り返さねばならなかった。

 純子はドアを開け、外の世界へ飛び出していった。



「ラリー、第二中学校! 23-23トゥエンティスリー・オール!」

「くっ……」
「追いつかれちゃった……」
 二中にポイントが入り、桜ヶ丘のメンバーの表情が沈む。16-5の圧倒的大差から追いつかれたのだ。沈まない方がおかしいとも言えるが、絶対的なエースであった純子を欠いては、桜ヶ丘と二中の間には実際にこれだけの実力差がある。

「ごめんなさい……」
 レシーブした手を弾かれて得点を許してしまったひかりが、うなだれている。手首の辺りがまだ赤い。
「ううん、早坂さんはよくやってるよ」
「あいつらがひかりちゃんばっかり狙うから……」
 3年の植本美花、1年の春木絵美がはげましの言葉をかける。絵美は同学年だし、美花は隆とも同じクラスだから、ひかりのことをよく気にかけてくれる。事実、ひかりの動きはこれまで決して悪くなかった。練習以上にいい動きであった。ただ、純子でも止め切れなかった二中のエース二人の攻撃が、ひかりに集中しただけである。

「白宮を下げて出してきたからどんな秘密兵器かと思ったけど……ただの数合わせだったみたいね」
「あのちっこさじゃブロックの役にも立たないだろうし……あと2発、さっさと決めちゃお」
 奥河千賀、二葉真弓の両エース。最初はひかりを警戒していたが、特に反応が早いわけでもなく、ブロックに跳べるわけでもない、ただの控えだと見抜いた真弓が、集中攻撃の指示を下したのだった。
 試合であり真剣勝負である。弱いところを狙うのは立派な戦術であり、文句を言えることではない。それでも釈然としない思いはぬぐえなかった。

「わ、わたし、もっとがんばりますから……っう!!」
 立ち上がろうとしたひかりが苦しげな声をあげ、体をこわばらせた。
「ど、どうしたのひかりちゃん……?」
「だ、だいじょうぶです……だいじょうぶですから……」
 つむった目をすぐに開けて答える。
 答えたその言葉は、全くの偽りだった。
 音こそ鳴らなかったが、激しい痛みがひかりの下腹部に走ったのである。

(ど、どうしよう……また……またおなかが……)
 第1セットの終わりにトイレに駆け込んでから、まだ1時間も経っていない。だが、もはや下っているのが普通とも言える彼女のおなかは、強烈な便意を再びよみがえらせつつあった。
  グリュグギュルルルルルッ……
「あ、あっ…………」
 圧迫感が下のほうへ降りてくる。
 発端からわずか10秒、おなかの痛みは便意の苦しみ……下痢の苦しみに変わった。
 熱く溶けた液体がおしりの奥でうごめいている。

(も、もう少しだけ……がまんしなきゃっ……!!)
 ひかりはおなかを少しだけさすって前を向いた。現在のスコアは23-23である。最短2ラリーで勝負は決まるのだ。だが、同点でデュースになったらすぐには終わらないかもしれない、ということも、ひかりの思考は導き出していた。

「サーブ、第二中学校!」
 ラリーが始まった。
(あと2点取って、終わらせなきゃ……)
 それしかない。それ以外のことは考えない。

「はいっ!!」
「はいっ!!」
 絵美がレシーブ、美花がトス。
 細かいプレーをやらせたらこの二人は優秀である。
 そして純子がいない今、唯一二中のブロックと渡り合えるアタッカーは3年生、寺澤由美奈。身長だけなら純子より5センチ高い彼女のアタックは、少なからぬ威力がある。

「えいっ!!」
「甘いわっ!!」
 アタックとブロックの激突。
 ブロッカーは真弓。二中最大の壁を崩すのは、純子以外には荷が重かった。

(そんな……)
 ゆっくりと自由落下していくボールを見ながら、ひかりは目の前が暗くなっていくのを感じた。これが落ちたら、相手がリード。追いついてもデュース。そうしたらもう、ひかりのおなかは……。
  ギュルルルルルッ……
 さらにおなかが痛み、ひかりはいっそう腰を引いておなかを押さえる。

「まだっ!!」
 桜ヶ丘コートにこぼれたボールを、絵美が間一髪しゃがみこんで拾う。動きの俊敏さは一流である。2年後には今の純子にも匹敵するエースになれるかもしれない。
「ひかりちゃん!!」

「う……あっ!!」
 絵美が拾ったボールがひかりの目の前に。
(ボール……返さなきゃ……!)
 おなかから手を離してボールを胸の前で待ち構える。
  ギュルルルゴロロロロロロロッ……
(ま、まだ……まだ大丈夫……)
 おなかの苦しみをなだめながら、ボールが手に触れる前の一瞬、コート全体を見渡す。
 ひかりの本来の役目はセッターである。アタッカーにベストな球を上げること……だが、スパイクを防がれた由美奈と無理な体勢でボールを拾った絵美はバランスを崩したまま。他の3人は後衛に位置したまま。
 ならば直に返球しかない。相手の布陣に隙は……あった。ブロックを決めた真弓の真後ろ。これで決まったと思ってか、二中の後衛は動きを見せていない。

「おねがいっ……」
 おしりの穴に集中させていた全神経を、指先に回す。今にももれそうな感覚がおしりからあふれてくるが、ひかりのおしりはそう簡単には開かない。望まずとも繰り返した我慢によって、便意をこらえる力が強くなっているのだ。

  ぽーーん……
「なっ……!?」
 片手をついて着地していた真弓が驚きの声を上げる。一杯に手を伸ばしても届かない。

「誰か!」
「あたしが!!」
 無理だと悟った真弓は助けを求める。それに応えたのは千賀。後衛中央バックセンターから駆け込み、寸前でボールを拾い上げた。ボールはそのまま桜ヶ丘コートへ。

「あちゃ……」
「いいの、拾えただけで十分…………千賀、向こうから上がったときも、行っていいわ」
「え……?」
「裏をかかれたお返しよ」
 独り言のようにつぶやいて、真弓は立ち上がった。

「はいっ!!」
 美花のレシーブ。
「はいっ……!!」
 ひかりのトス……
  グルルルルルゴロゴロゴロゴロロロロロッ!!
(おねがい、もうちょっと、もうちょっとだけっ……!!)
 苦しげに閉じられかけた眼を無理やり開き、ひかりはトスを上げる。
 暫定エース、由美奈の真正面、ネットの真上。絶好の打点アタック・ポイントだ。

「これなら、あたしだって…………もらったわ!!」
 由美奈が跳ぶ。

「……それはこっちのセリフだ!!」
 ネットを挟んで千賀が跳ぶ。

(ブロックの勢いじゃ……ない……!?)

「な……」
「くらいなっ! カウンター・スパイク!!」
 普通のスパイクよりやや小さく、だがそれだけに早く振り下ろした千賀の拳が、由美奈のそれより早くボールをとらえる。そのまま引くように手を下ろした。ルール上は、ネットを手全体が越えない限り、半分以上相手陣内にあるボールだろうがスパイクしてもかまわないのである。

「止めなきゃ……!!」
 空白地点であるライン際に向けてボールが急角度で落下する。反応しているのは、千賀のジャンプがブロックでないと予期していたひかりだけだった。この勢いの球を拾いきれるかどうかわからない。でも拾わないと……。
(あと2歩…………っ!!)
  グギュルゴロギュルルルルルグルルルルルッ!!

「あ…………っ…………」
 ひかりは猛烈な腹痛と便意に貫かれて足を止めた。
 動いたら下痢便が出てしまうから止まったのではない。あまりの痛みに体の自由がきかなくなったのだ。体を動かそうとする運動神経の信号が、下腹部で狂乱する痛覚の感覚信号にかき消されてしまうのである。純子も便意のせいで動きが鈍くなっていたが、それとは次元の違う痛みであった。

  ドンッ……。

『マッチポイント、第二中学校!!』
 誰も動けない一瞬の後、コートにカウンター・スパイクが突き刺さる。
 24−23。ついに桜ヶ丘は逆転を許してしまった。

「あ、あぁ……」
 これで桜ヶ丘が勝つにはデュースが必要になる。そうなったらひかりはおもらしを免れない。おもらしを避けるにはこのまま負けるしかないが、そうしたら2セット先取された桜ヶ丘はその時点で敗北である。純子が戻ってきた時にはすでにすべてが終わっている、ということになる。
(白宮せんぱい……ごめんなさい……)
 純子が戻ってくるにはもう少しかかるだろう。自分の経験から言えば、おもらしをした時の後始末には30分以上の時間がかかる。ましてや、下痢に近い軟便のおもらしに慣れていない純子であれば、もっと時間がかかってもおかしくない。

「千賀、あれを使うわ。一気に決めるわよ」
「え……ちょ、ちょっとやりすぎじゃん? まだ2セット目だし、勝ってんだよ?」
「……あの子と白宮を組ませるのが怖くなったの」
「あの子って……?」
「……大丈夫、ここで終わりだから。このセットも、この試合ゲームもね」

『サーブ、二中!』

「うぁ……」
 極限の便意に震えたままのひかりを置いて、試合は再開された。

 ボールが飛び交う。

  ギュロゴログギュグギュルルルルルルルルッ!!
(もう……もうだめっ……もうもれちゃうっ……)
 肛門に押し寄せる便意をこらえきれず、ついにひかりはおしりに手を当てた。
 こうなるともう何もできない。歩くのもままならない以上、あとはおもらしの時間が早いか遅いか、それだけである。せめて、その時間を一瞬でも先に延ばす……それだけが、ひかりにできることだった。

  グキュルゴロギュルルルルルグルゴロッ!!
(白宮せんぱい……お兄ちゃん……ごめんなさいっ……)
 そのささやかな抵抗すらも便意が打ち砕こうとする。
 すべての終わりを覚悟した瞬間。

「まだよ!!」

 声が響いた。
 透明感を含みながらも芯の通った声。

「まだ終わってないわ!!」

 ひかりが、おそらくこのセットには間に合わないだろうと思っていた人の声。
 それでも、心のどこかで待ち望んでいた人の声。

「ひかりちゃんっ!!」

「……白宮せんぱいっ……!!」
 呼びかけに顔を上げる。
 便意は波の最高潮に達している。痛い。つらい。苦しい。でも、最高潮ということは、これ以上高まらないということだ。それを今我慢できているのだから、1秒後も2秒後も大丈夫だ。
 めちゃくちゃな論理を心の中で振りかざして、ひかりは体を起こした。

「…………うぅ……っ……」
 相手のセッターがトスを上げようとしている。
 エースアタッカー、奥河千賀がそれにあわせて跳ぼうとしている。
 他にはレシーブをしたばかりのバックセンター、それに……

「……もう遅いわ。千賀!!」

(アタッカーの名前を呼んだのは初めて……!?)

 トスが上がる。
「くらえぇっ!!」
 千賀が腕を引き絞って跳ぶ。
「させない!! 白宮さんが待ってるんだから!!」
 由美奈がブロックに跳ぶ。
 全力と全力のぶつかり合い――

  スッ……

「え…………うそっ……!?」
「へへ……残念でしたっ!」
 千賀は手を引いた。
 ブロックに上げた由美奈の手がむなしく空を切る。

「時間差攻撃……!?」
 コートのすぐ脇で交代を待っていた純子が、この瞬間に気付いた。千賀をオトリにしてブロックをひきつけ、別の選手がタイミングをずらしてアタックを決める時間差攻撃だ。
 だが、純子が声を上げたところでもう止められない。ブロックは空振りした。おそらく本当のアタックを打ってくるのは……

「これで……終わりよ!!」
 真弓のスパイクがボールをとらえる。威力は千賀に劣るが、極めて正確な照準は桜ヶ丘コートのライン上をとらえていた。

 万事休す。

 ブロックを空振りした由美奈が、タイミングを狂わされて体勢を崩した美花と絵美が、そして、コートの外で何もできずにいる純子が、敗北を覚悟した。

 ただひとり、静止した時の中で動けた少女がいた。

「――ひかりちゃん!?」
「……っ!!」
 ひかりの小さな体が、ボールの落下点に滑り込もうとしていた。

(これさえ……これさえ拾えばっ!!)
 戻ってきた純子にバトンを渡す。それだけのために、ひかりは苦痛と戦いながら体を動かした。もっとも、時間差攻撃が決まってから反応できるものではない。ひかりは、その攻撃を読んでいたのだ。顔を上げた一瞬に相手の動きをとらえ、千賀のスパイクを必要以上に目立たせようとしているのに気付いていたのだ。

  グルゴログギュルグルルルルルゴロッ!!
「っ!!」
 だが、さらに高まる便意が、ひかりの体を縛りつけようとする。前のラリーと同じ状況だった。

(おねがい、あと一歩、あと一歩だけっ!!)
 すべてを飲み込もうとする痛覚と、必死に体を動かそうとする意思。体の本能と心の理性の戦いが、初めて肛門以外の場所を舞台に行われていた。

 一歩。
(……動いたっ……!!)
 キュルゴロロロロログギュルルル!!
「うぁぁぁ……」
(……間に合ってっ……!!)
 数分前、動かなかった体を、その時以上の腹痛をはねのけて、あの時必要だった以上の素早さで動かす。
 一杯に手を伸ばす。直立ではない、前かがみでもない、倒れこみながらのレシーブ。
 倒れてもいい、この指先だけ――。

(おねがい、届いてっ!!)

 床とボールの隙間、ひかりの小さな手が滑り込んだ。
 床と一体になった反発力で、ボールを上に跳ね上げる。

  バシッ!!

「っ……!!」
 形はどうでもいい。
 ……レシーブは確かに、成立した。

「ひかりちゃんっ!!」
 純子が歓喜とも驚嘆ともとれない叫び声で、ひかりの名前を呼ぶ。

「っあ、あぁっ……」
 ……レシーブを決めたひかりだが、無茶苦茶な体勢はもちろん、立て直せなかった。飛び込みながらレシーブをして前転する回転レシーブという高等技術もあるが、ひかりはそんな技術はおろか、受け身すら満足に取れなかった。体全体が、床にしたたかに打ち付けられる。

 衝撃、そして。

「――っ!!」
  ジュブビビビブジュブビュブビュビッ!!

 おしりを熱いものが駆け抜ける、感覚。
 おもらしの、確かな感覚。
 だが、不思議と……おもらしの時にいつも感じる思い、すべてが終わってしまった、自分はおもらしをしたんだ、という実感が、この時は生まれてこなかった。


 ラリーは続いている……いや、事実上は終わっていたのかもしれない。
「う、うそ……初めて出した時間差を見切るなんて……」
「……今度こそ決める!!」
 由美奈が跳ぶ。ブロックはいない。

  ダンッ!!

『ポイント、桜ヶ丘……24-24デュース!!』

「やった!!」
「これで勝てるっ!!」
 敗北の淵から一転、起死回生の同点劇を実現した桜ヶ丘の選手が、喜びを爆発させる。

「ひかりちゃんっ!!」
「……!!」
 純子の声で、誰もがその同点劇の主役を見た。
 倒れたまま、立ち上がれない。

「ひかりちゃん……ごめんね、私、もっと早く……」
「ううん……試合……間に合ってくれましたから……」
「でも……もう少しだけ早ければ……」
 足の付け根、ブルマの淵に、茶色い液体がにじんでいる。
(おもらしをさせずにすんだかもしれないのに……)

「……大丈夫? 歩ける?」
 ひかりの軽い体を助け起こして、純子は尋ねた。
「だいじょうぶです……ひとりで……行けますから」
 真っ赤な顔にべっとりの汗。
 激しい運動による熱でそうなったのか、便意をこらえすぎての苦しさでそうなったのか。おそらく両方だろう。
 ……今もまだ、少なからぬ量の下痢便を我慢して、汚れたおしりの穴でせき止めているのだ。
 純子にはとても真似のできないことだった。

「せんぱい……あと……おねがいしますっ……」
「うん……」
 言いたい言葉が多すぎて、一刻も早くトイレに駆け込まねばならないひかりにかけるべき言葉が見つからない。

「……ありがとう……」
 その言葉にひかりは、苦しげな顔を必死に崩して笑顔を浮かべようとした。目も満足に開けられなかったため、とても笑顔には見えなかったかもしれないが……純子にはそれで十分伝わっていた。

「っ……!!」
 ひかりが駆け出す。
『選手交代、12番早坂アウト、1番白宮イン!!』

 純子はコートのラインを踏み越えた。
(ひかりちゃんが守ってくれた試合……)

 結い上げた髪を結ぶリボンを、もう一度引き締める。
(チームのために、私のために、あんなに必死になってくれた試合……)

 二つの手のひらを重ね、拳を握る。
(私は、ひかりちゃんのために……)

 顔を上げる。

(あと2点――絶対に取る!!)



「うぁぁぁ……っ……」
  ブジュジュゴボボボボボッ!!
  プビュルブビビビブボビビビブビジュビュッ!!
 体育館の廊下。コートや観客席の喧騒は今は最高潮に達し、この廊下にも聞こえてくる。その喧騒を作り出した小さな立役者は、おもらしをしながら走っていた。押さえているおしりの下、ブルマの中から、茶色の流れがいくつも内腿に伝っている。その姿を見れば、この少女がおなかをこわしておもらしをしているのは一目瞭然だった。

(おトイレ……おトイレっ……!!)
  ビチゴボボボボボブボブリュッ!!
  グビュルブジュビブブブブブブブッ!!
 目指す場所に着いても、おもらしは止まらない。限界を超えたところで続けていた我慢を、さらに限界を超えた便意が打ち破ってしまったのだ。いくらひかりが下痢の我慢に慣れているといっても、もうどうしようもない。一刻も早く便器にしゃがみこまなければならない。

「うぅぅ……んっ!!」
  ブジュブジュブジュブピッ!!
  ジュビブリュビチュジュブブブブブブビジュボボボボボボボボボッ!!
 もちろん一番近い個室に飛び込む。鍵を閉めるためにおしりから手を離すと、おもらしの勢いがさらに加速された。倒れるようにしゃがみながら、ショーツごとブルマを下ろす――。

(…………!!)
  ビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチーーーーーーーーーーーッ!!
  ジュビブジュビリュブジュビチブチャジュボボボボボビジュブブブブブブビビュブビュビュビュビュビュビチーーーーーーーーーーーーッ!!
  ブピピピピピジュビビビビビビュバババババドポドポドポブジュジュジュジュジュビシャシャシャシャシャビビビビビビピュルルルルルルブリリリリリビチャァァァァァッ!!

 何も考えられない、かすれた声すらも出せないほど激しい排泄。
 ひかりの小さなおしり……茶色に汚れたおしりから、とどまることなく下痢便が吐き出された。わずかばかりの未消化物が浮かぶ液状便。腹痛に苦しみながら、爆音を立てながら、止まらない液便を排泄し続ける。
 それが、ひかりの下痢であった。
 これと比べたら、数十分前に同じ場所で行われていた純子の排泄は、穏やかで安らぎに満ちたものにすら見えてしまう。

「あぁぁぁ…………っぅあ!!」
  ブジュビチチチチチッ!! ビジュビチャァァァッ!!
  ブリビチビチビチビチビチビチブチュルッ!! ブチュブパパベチョビュルッ!!
  ビチャシャシャシャシャビビビビブビュルビチビチビビビーーーーーーーーーッ!!
 倒れそうなほどに前かがみになり、両手でおなかを抱え込みながら、脚だけでなく体中を震わせて下痢便を垂れ流す。便意の我慢という苦しみからようやく解放されたひかりは、新たに下痢便排泄の苦しみに耐えねばならなかった。
 熱い刺激性の液体が、腫れ上がった敏感な肛門を駆け抜ける。皮膚を灼かれるような痛み。
 肛門を押し広げる液状便が、弾けるように空気を振動させる。鼓膜が麻痺するような爆音。
 便器の中や外に飛び散った下痢便が、空中に粒子を撒き散らす。鼻腔が塗りつぶされるような悪臭。

「うんっ……くっ…………ぁああっ!!」
  ビチャビチャビチャビチャドパッ!!
  ビチュビチュビチュブビュルルルルビリュルルルルルルルルッ!!
  ジュパブジュビビビビッ!! ブジュジュッ!! ビチビチビチビチーーーーッ!!
  ギュルピーーーーーーーゴロゴロゴロゴロッ!!
(いたい……おなかいたい……苦しいっ……!!)
 無理に力を入れているわけでない、ただ垂れ流すだけ。それでこの苦しみ、この激しさである。だが、早くこの苦しみから解放されるためには出さないわけにはいかないし、出ているものを止めるのはさらに不可能である。息を詰まらせ、おなかの中で荒れ狂う下痢の嵐がおさまるのを待つことしか、ひかりにはできなかった。

「ふぅぅ……っくぅ…………んぅ……!!」
  ジュビビビビビビビビリュブジュビシャァァァッ!!
  ドポドポドポブビビビビビビブジュビチャビリュッ!!
  ジュルブピュルビジュッ!! ビュボボボボボブジャビリュッ!!
  ビシャブチャブジュリュリュリュリュビチチチチチブビビビーーーーーーーーッ!!
 少しも衰えぬ轟音と激臭を個室の外にまで撒き散らしながら、ひかりの排泄は続いた。



「…………はぁ…………はあっ……うぅ……」
  ピチャッ……
  ポタ、ポタッ……
 嵐の後。
 ……そう表現するしかない惨状が、排泄の爆裂音が収まった個室の中に広がっていた。
 純子のおもらしと排泄の後も惨憺たる有様だったが、あの状態はまだ可憐な少女が我慢できずおもらしをしてしまった、という言葉で表現できる。ひかりが下痢便を爆発させた跡は、その程度の言葉ではすまないのだ。

 便器の中はまさに洪水。肥溜めをひっくり返したかのような茶色の液体と濃褐色の未消化物が、刺激臭を放ちながらあふれかえっている。その水面に白色はない。金隠しの下の排水口との境界はわずかに高くなっているが、その高さすら下痢便の水面が上回ってしまっている。
 もちろん、それほどの量の下痢便は静かに流れ込んだのではなく、爆発的な勢いで叩きつけられたのであるから、その飛び散りようも尋常ではなかった。便器の底につながった側面は茶色の滴と陶器の白とのまだら模様になっており、それより一段高い、タイルとつながった縁の部分にさえも便滴が飛び散り、わずかに出っ張った部分から下痢便の海に落ち、いくつもの波紋を生み出している。
 そこから立ち上るにおいも、尋常なものではない。汚物を満載した便漕型の仮設トイレを密封状態で一週間放置したかのような、アンモニアの強烈な刺激臭。そんな激臭が、出したてのひかりの下痢便から生み出されているのだ。

 純子とは比べ物にならないほど下ったおなかの中身を、比べ物にならないほど激しくおもらししてしまったひかり。だが、今膝元に架けられているブルマとショーツ、そしてひかりの肌自体の汚れは、純子のおもらしほどひどくはなかった。
 ……あまりに便が水っぽかったため、排泄の間に便器の中に流れ落ちてしまったのである。
 それでも少なからぬ量の汚物が肌とショーツとブルマに残り、強烈なにおいやおぞましい感触とともに茶色い不気味な光沢を放っている。その水気ゆえにショーツは便をせき止める役目を果たさず、ブルマの厚い生地がかろうじて押しとどめた下痢便の海の中に浮かんでいた状態で、繊維の内側から余すところなく茶色に染め上げられている。そのブルマ自体も、おしりの直下どころかおしっこの穴の前から背中のゴムに至るまで、水状下痢便を吸い込んだ黒っぽいしみが現れている。それどころか、水分自体が飽和して表面に浮かびだし、吸水性であるはずの繊維の上に茶色い水滴が浮かぶという光景が実現していた。そして内腿との境界線には、重力とゴムの弾力の釣り合いでここに溜まったゲル状の未消化物と腸液が、危なっかしく垂れ下がっていた。固形物……いや、かろうじて水状でない物質だけがここに残っていたのだから、水分そのものはそこから垂れこぼれた後である。
 ひかりのおもらしの悲惨さをこれ以上なく強調しているのが、脚を伝った茶色の水筋である。ブルマの中からあふれるほど水っぽい大量の便を、立ったままおもらしした。その動かぬ証拠が、両足に一つならず浮かんでいる茶色の流れだった。

「…………」
 恥ずかしく悲しい、おもらしの跡。
 ひかりはしゃがみこんだまま動かなかった。
 おなかの痛みが引かなかったわけではない。あまりの情けなさに気力を失ったのでもない。

(どうしよう…………紙が…………)
 ひかりの視線は、芯だけになったペーパーホルダーを見つめていた。

 大量のおもらしをした上に、駆け込んだトイレには紙がない。
 悲劇としか言いようがなかったが、ひかりにとっては過去最悪の悲劇というわけではなかった。
 小学校5年の夏、水泳の授業中にプールから上がると同時にもらしてしまい、脚に茶色い筋が流れるどころではなく、水着の股の部分から下痢便そのものをこぼしながらトイレに駆け込んだ。汲み取り式で、紙が残っていない個室に。下痢便でどろどろになった手で肌にこびりついた汚物を擦り取り、便器の淵になすりつける、みじめすぎる繰り返し。授業が終わった後、裸でシャワーを浴びながら涙を流し続けた。
 その時に比べれば、汚したのはショーツとブルマだけ、しかも水洗トイレだから、水で洗いながらその「作業」ができる。あのときに比べればずっと。……比べなければ、惨めなおもらしであることに変わりはない。

(やらなきゃ……)
  ジャアアアアアアアーーーーーッ……
 ひかりは決心して、便器の中をまず流した。おぞましい茶色の海が渦を巻き、数秒の氾濫の後に浄化されていく。真水の新鮮な水蒸気が、病んだ口腔を満たして気分を晴らしてくれる。トイレのありがたみをこれほど実感する瞬間もないであろう。

  コン、コン……
「え……?」
 水洗の音が止んだ瞬間、ドアを叩く音。他の二つの個室は空いているはずなのに……一瞬そう思ったが、すぐに思い直した。
「ひかりちゃん……だいじょうぶ?」
「はい……もうだいじょうぶです……」
 予想通りだった純子の声に応える。もう大丈夫、というのはさっきまでは大丈夫ではなかったということでもある。まだひかりのおしりと両足の間には大丈夫ではない状態が残っているが、少なくともおなかの中は一安心できる状態になっている。

「勝手に荷物開けちゃったけど……着替え、持ってきたわ。……開けていい?」
「え……あ、ちょ、ちょっと待ってください……!!」
 いつかこの個室のドアを開けねばならないとわかってはいたが……突然すぎた。せめてこの汚れたおしりとどろどろのショーツだけは何とか隠したい。肌の方はもともとサイズが大きいユニフォームを引っ張れば容易に隠せそうだが、ショーツは……。
「あ、あの……えっと……紙……取ってもらえませんか?」
 半ば時間稼ぎのため、情けなくはあるが切実な願いを口にする。
「紙……あ! ……ご、ごめんなさいっ!!」
 純子は、ひかりが入った個室に紙がなかった理由に思い当たり、急いで清掃用具入れを開けた。
 理由は簡単。純子がすべて使ってしまったのである。急いで戻らねばならなかったので、紙を補給しておく余裕もなかったのだ。
(私と同じところに、ひかりちゃんも……そうよね、限界だったんだもの……)
 便意の限界、というより限界をとっくに超えてもらしながら駆け込んだトイレ、一歩の距離も惜しいのは誰でも(そんな境遇に陥る女の子は少ないが)同じである。一番近い個室に脇目も振らず駆け込むのは当然といえる。

(同じ個室……)
「あ……!! ひ、ひかりちゃん、あの……」
「…………っ!!」
 とあることに気付いた純子が個室の中にそれを伝えようとした。
 その瞬間、個室の中から息を飲む音が聞こえた。

「…………見ちゃっ……た……?」
「…………………………ごめんなさい……」

 ひかりがびちゃびちゃの下痢便に浸されたショーツとブルマを押し込もうとした汚物入れの中には、どろどろの軟便に塗りつぶされた純子のそれがすでに入っていたのだ。

「……ううん、いいの……私が悪いんだから……」
「そ、そんなことないですっ…………わたしが、もっと早く交代してれば……」
「私こそ……もっと早く戻ってれば、ひかりちゃんは……」
「……いえ……わたしがちゃんと代わってれば……」
 謝りあう二人。紙一重の積み重ねが招いた二つのおもらし、原因となる紙にはそれぞれたくさんの名前が書かれている。そのうちの一つずつを悔やみあっても仕方ないのだ。
「…………ううん、いいの……それよりひかりちゃん、もう開けても大丈夫?」
 先に気付いたのは純子だった。今のひかりに必要な紙は、責任の判決文ではなく真っ白な巻き紙である。
「え……あ、は、はいっ」
 急いでショーツとブルマを汚物入れに押し込み、ユニフォームの裾で前を隠す。下痢便の跡がユニフォームにつかないよう慎重に。

  ガチャ……。
「………………」
 純子の胸が、憐れみで押しつぶされそうになった。
 ドアを開けた瞬間に漂ってきた、いまだに消えてくれないひかりの排泄物のにおい。
 そして、隠した裾の下、細い足にいくつも走る、茶色の水流の跡。

 ひかりは、こんなにひどくおなかを下しながら、気の遠くなるような腹痛の中、おもらしと引き換えに純子を助けてくれたのだ。

「ありがとうございます……白宮せんぱ……!?」
「…………」
「……ぁ…………」

 抱きしめられていた。

 すぐ目の前に、純子の顔。
 閉じられた眼の淵に、涙の輝き。

「……ひかりちゃん…………ごめんなさいっ……ごめんっ……」
「白宮せんぱい…………せんぱいっ…………うぅ…………ぁっ……」

 ひかりのまぶたからも、涙がこぼれた。

 おもらしをしないように助け合おうと誓った。
 その目的は果たせなかった。二人とも。
 けれど、心は汚れなきまま。
 二人が流す透明な涙が、護られた心の純白を証明していた。


「ひかりちゃん……」
 どれくらいの時が経っただろう。
 先に涙を止めた純子が言った。
「はい……」
 ひかりも泣き止む。

「……第3セット…………一緒に出ましょう」



 同じ頃、桜ヶ丘野球部は理論上、サヨナラの好機を迎えていた。
 同点ではない。4-0で迎えた7回裏。4番早坂から始まった打順、二死満塁で9番藤倉。
 サヨナラの条件は走者一掃。それで7回終了7点差のコールド勝ち条件が成立する。しかし今まで無安打の学の成績から言えば、長打など望むべくもない。四球でつないでくれれば万々歳といったところだ。

「失敗しても気にしないで」
 百合はそう言って学を送り出した。だが、そう簡単に割り切れるものではない。第一、これ以上百合に無様な姿を見せるわけにはいかない。

『ストライク、ワン!』
 初球を見送る。球威は落ちているがコントロールは逆に良くなっている。

(追い込まれる前に振った方がいい……)
 二死であるからバントはできない。打って出るしかないのだ。いつどの球を振るか。自信のない学には、選択肢が少ない方が良いのかもしれない。

「……っ!!」
  バシッ!!
『……ボール!!』
 体の近くに来たボールに一瞬の躊躇。しかし、慌てて打ちに出ることはしなかった。ボール一つ分、目に見えて外れている。

 1-1からの3球目。
  ヒュッ……
(カーブ……真ん中寄り!)
 ストライクゾーンに来たボールを叩く。学はそれだけを考えた。
  キンッ!!

 ボールは舞い上がった。が、やや高い。
(ヒットになってくれっ……)
 そう思いながら走る。
 だが、その足は一塁の手前で止まった。

『ファール!!』
 ライン際50センチ、あと一歩のところで打球は長打になり損ねた。
(ああ……)
 学はすぐにバッターボックスに戻れなかった。
 狙いをつけて振っていった球を打ち損ねる。前の打席と同じミスだった。

(もうだめか……)
 絶望的な気持ちのまま打席に入りなおす。2-1と追い込まれた4球目……

「あっ!!」
「!!」
 球場内外全員が息を飲んだ。
 フェンス直撃の暴投――。

 走者は3人。三塁ランナーは余裕でホームに突入できる……はずだった。

「…………」
「え……」
 ホームのクロスプレイは起こらなかった。
 三塁走者の隆は、塁上から動かなかったのだ。

 確かに、投手であるから無理をしないという理由はあるかもしれない。だが、一番追加点を欲しがっていたのは隆ではなかったか。だからこそこの回の先頭として出塁し、三塁まで積極的に走っていったのではないか。

 答えは塁上から飛んできた。

「打て、藤倉!!」

 それだけの言葉。
 短い言葉に託されたたくさんの意味。
 暴投で一点取るだけじゃ何にもならない。
 学が打って走者を帰すことで決着をつけろ。
 そうすることで、打者としての自覚を身に付けろ。

 国語の問題なら行間どころか紙面の裏までも読み通す学の読解力であったが、この場面でのこの言葉はあまりに唐突過ぎて、きちんと読み取ることはできなかった。
 だから……学は文字通りの意味に従った。

(僕が打たなきゃいけないんだ……)

 動揺した投手は次の球も大きく外し、フルカウント。
 両者ともに追い込まれた。

(次はきっとストライクをとりに……いや……)
 学は首を振った。

 前を見た。
(どんな球が来ようと……来た球を打つ!!)

「やっ!!」
「……!!」
 直球。コースは甘いが球威は初回のそれにも劣らない。

「行けぇっ!!」

  カキーーーン……

 快音を残して打球は真正面、バックスクリーンに向けて舞い上がる。
(落ちろ、落ちてくれっ!!)
 当たった時の感覚からしてフライ性。飛距離が短ければセンターフライで終わってしまう。なんとかその頭を越えてくれ……。そう思いながら学は走った。
 沸き上がる歓声の中、学は一塁を駆け抜け、二塁に滑り込んだ。
 返球はない。

 ……二死からの二塁打なら走者一掃だと気付いたのは、その直後だった。

試合終了ゲーム・セット!』

 鳴り響くサイレン。
 学は初安打を打ったのだ。それもサヨナラとなる3点適時打を。

(や、やった……!!)

 塁上に隆が歩み寄ってくる。
「やったな、藤倉」
「……先輩、あの時走らなかったのはやっぱり……」
「打てる能力があるのに打たない、ってのがもったいなかったからな。これで、自信ついただろ?」
「まだ、自信とは言えませんけど……手がかりはつかんだ気がします」
「なんにしても初ヒットだ……澄沢も記録を気にしてたから、喜んでるんじゃないか?」
(そうだ、澄沢さんに、やっと…………)
 学はわずかに下を向いて、表情を緩めた。

「……ありゃ、いない……」
「え……?」
 慌ててベンチを見る。
 ……。
 百合の姿はなかった。

(そ、そんな……)
 せっかくの勇姿を見てもらえなかった。次があるかわからない機会を逃して、学は伸ばした背筋を再び縮めることになった。

 百合がどこにいたかというと……。


「はぁ、はぁ……………………んぅっ!!」

  ビチャビチャビチャビチャビチャビチャァァァァァァァァーーーーーーーーーーッ!!
  ドボボボボボボボブリリリリリリリリリビジャジャジャジャジャブビビビビビビリュリュリュリュリュジュビィーーーーーーーーーッ!!
  ジュボボボボボビチャビチャビチャブリビビビビビビブジュブジュブジュブジュビビュルルルルルルルッ!!
  ビビビビビビブブブブブブビュバババババババビチュビチュビチュビチュドポポポポポポポビジュルルルブリィィィーーーーーーーッ!!
  ブリブリブリビリュビリュビリュブリュリュリュリュリュリュリュジュバビビビビビビブビビビビビビブリュリュリュリュリュブプププププッ!!

(……危なかった……あんなに急におなか痛くなるなんて……)
 先日の試合中に何度も駆け込んだトイレの中。百合は飛び込んで下着を下ろした瞬間、急激に下ったおなかが生み出した軟便を一気に吐き出したのだ。直径3センチの極太軟便が、時折空気を弾けさせながら25秒にもわたっておしりの穴から流れ続けた。

 おしりを何度も拭いた後、トイレの縁を越える高さにまで積みあがった富士山のような軟便の山を流そうとする。
 流そうとした。
「えっ…………」

(やっちゃった……!!)
 流そうとした水は、軟便の山の一部を削っただけだった。砂の山を波がさらっていくように、ごくわずか外側の部分だけを。
 普段はあまりにも出す量が多いため、何度かに分けて、便器の中でも場所を変えて排泄をしている百合だったが、ここのところはおなかがゆるゆるになっていたために流れないことはなく、何も考えずに排泄だけに専念できたのである。……もっとも、今の急激な便意でそんな芸当ができたとは思えないが。

(お願い、流れてっ!!)
(お願い……)
(おねがいっ……!!)

 百合は悲痛な願いを繰り返しながら、必死にレバーを倒し続けた。
 水洗の音が響いた12回目で、便器の中は白さを取り戻した。……10回目の後に紙を厚く巻き取って手で軟便の山を崩したことが功を奏して。

 百合がベンチに戻ったとき、隆はもうそこにいなかった。


「はぁ、はぁっ……」
 塁上を駆けるのと同じ全力疾走。
 体育館の廊下を駆け抜ける。

 この廊下は、純子とひかりがブルマを膨らませながら歩いた道。

 その道の終着点は、悲痛な気持ちで駆け込んだ個室の、さらに先にあった。

「……え!?」

 純子と、そしてひかりが、コートの中にいる。


「白宮せんぱい……その、わたしに伝えたかったことって、何だったんですか……?」
「えーとね……もう、言う必要はないの」
「え……?」
「ひかりちゃん……今……楽しい?」
「え……あ……はいっ」
「そういうこと……ひかりちゃんが、今やっていることよ」
「あ…………」
「……来た!」

 他の誰にも聞こえない話を終えた二人が、コートに散る。

「ひかりちゃん!!」
「白宮せんぱいっ!!」

 小さくて弱い、けれど決して消えない光に照らされ、傷ついた羽を広げた純白の天使が宙に舞う。

「させるかっ!!」
「止めるっ!!」

 その前に立ちはだかる二つの壁。

「えーーーーいっ!!」
「はああああっ!!」

 スパイクとブロックが交錯する。

「…………っ……」
  ぱさっ……。

 強烈な風圧が集中したのか。純子の髪を結い上げていたリボンが解け、綾なす黒髪が空中に花を咲かせた。

 ボールは頭上、はるか上。
 天井に届く一歩手前で、重力の手にとらわれる。

 誰も動けなかった。
 いや、もともと動けなくなるほどの激戦を繰り広げた末の話である。桜ヶ丘では下痢で消耗しているひかりがトスを上げ、足がつりかけている純子が跳んだ。二中はその純子の攻撃を防ぎ続けた真弓と、得点の大半をたたき出した千賀がそれを止めにかかる。

 ボールはネットの真上に落ちた。
 一瞬の静止の後。
 球形をした裁きの槌は……桜ヶ丘のコートに落ちた。

「あ…………」
 純子の髪は、腰までの流れを静かにたたえている。

「…………」
 ひかりの短い髪がわずかにゆらぎ、小さなまぶたがそっと閉じられた。

 戦いは終わったのだった。




 整列、挨拶、試合後のミーティングが終わった後。

「ひかり! 白宮さんっ!!」
 通路に出てきた二人を呼び止める。

「お兄ちゃん……」
「早坂くん……」
 ひかりと純子がそれぞれ顔を上げる。喜びと悲しみがちょうど半分ずつ入り混じった表情。
「あの……試合、見てくれてたの?」
「……見てたって、言っていいのかな……ひかりが、最後のトスを上げたとこからだけ」
「あ……」
「……ありがとう。ごめんなさい、最後……勝てなくて」
 沈痛な表情。
「仕方ないさ、最後はサイコロみたいなもんだろ。俺よりでかい壁を相手に、あれだけ戦ったんだから……白宮さんはすごいよ」
「……ううん、私だけじゃ、あそこまで戦えなかった……ひかりちゃんがいてくれたから」
「ひかりが……?」
「トスだけじゃなくて、レシーブもしっかりやってくれてたわ。ね?」
「え……そ、その、わたし、夢中でやっただけで……」
「いや……ひかりがこうして、試合に出てたってだけで……もう言うことはないよ」
 隆は純子と違って、小学生の頃の学校にも満足に通えなかったひかりを知っている。それがバレー部で選手登録され試合に出て、エースの純子から評価されているのだ。
「ううん、それだけじゃなくて……ひかりちゃんはいっぱい、私を助けてくれた……」
「せんぱい……」
 最初に交代した時のことを言っているのだと、ひかりにはわかった。


「もう少し……もう少しだけ…………ひかりちゃんと一緒に……試合……したかった……」
 純子の声が嗚咽に変わる。
 隆もひかりも、初めて見る光景。
 ひかりも、瞳を潤ませている。

 純子の足元がふらつく。酷使し続けた脚は今にも崩れそうだった。
 隆とひかりが慌てて支える。
 純子の体に触れてしまったことに気付き、慌てて離れようとする隆だったが、純子も、そしてひかりも離れようとはしなかった。
 胸の中で泣く純子とひかり。ひかりはもちろんのこと、純子の体が、今はとても小さく見えた。

「ぅぅ……く…………」
「…………ぐすっ……ぁ……」

「…………」
 一番大事な二人の少女。
 二人の涙が、押さえ切れない気持ちを乗せて、心の中に滲みこんでくる。

(守りたい――)
 ひかりに対して抱いていた思いが、ぐっと強く。
 そして純子に対しても初めて、その思いを抱いた。
 今まで抱いていた淡いあこがれよりも、隆にとってはずっと強い思いを――。



あとがき

 ひかりと純子をバレー部にした設定のすべてをつぎ込んだ話になりました。

 最初の自転車はひかりがバスに乗ると大変だな、と考えて電車か白宮さんに送ってもらうか自転車かの3択だったのですが、有名な加奈〜いもうと〜の構図が浮かんできたのでこれに決めてしまいました。メインヒロインを病弱妹にした時点でこの作品は絶大な壁として立ちふさがってくるので、実妹設定で粉砕するのと下痢設定で隙間を通り抜けるやり方でがんばりたいと思います。
 コンビニでの排泄は、なんと桜ヶ丘の制服のモデルにした女子高の生徒がコンビニのトイレで破裂音を立てながら下痢をするという目撃談を最近発見したので、それを補完すべくがんばって描いてみました。
 バレーの描写についてはルビを多用して用語の発音をちゃんと書いてみました。ただ、得点の数え方とか正式なのは知らないので、25-21とかどう発音してるのか自信はないです。ここは格好よさと雰囲気最重視で。

 後半は……何と言うかここまで盛り上げるつもりはなかったんですけど。ただでさえひかりと純子の黒髪シスターズが強いと言われているのにさらにそこのつながりを強化してしまって、今後の物語展開が大変です。また、純白同盟と言いながら早速潤奈をつまはじきにしてしまったので、次回はちゃんと彼女にも出てもらいましょう。その2点が反省点ですね。
 長期的にはそれが反省点で、作品として最大の反省点は、せっかく野球とバレーの同時進行を書くはずだったのに野球が全然盛り上がらなかったことですね。藤倉君ではやはり役者不足だな、と。今回多少レベルアップしたので次回からは活躍してくれるはずですが。
 それから最後のネットボールをどちらに落とすかは書き上げる直前まで悩みました。この話の展開から言えば絶対に桜ヶ丘が勝つべきなのですが、今後の展開から涙を飲んでもらうことになりました。この宿題はすぐに解決するつもりですが、いつかまたコートの中でも借りを返させてあげたいものです。
 とまあ反省点は多いですが、前後半ともに読み進める上では話としても盛り上がって感情移入もできる良作に仕上がったと思います。ご堪能いただければ幸いです。

 さて次回予告。
 今回は2試合同時進行で大変でしたが、次回は単純に直球勝負で。

 ひかりが初めて球場に来た。隆は昨日までより桁の違うピッチングを見せる。
「野球部に恨みはないが……二中には借りがあるからな」
 ひかりと純子の無念を晴らす。その思いも、確かな力となっていた。
 積み上げられていくゼロの数字。
 ひかり。純子。百合。美典。叶絵。幸華や瑞奈、江介や雄一も見守る中、早坂隆は27人目の打者に挑む。
 己の三年間……それより前からのすべてを懸けて。

 つぼみたちの輝き Story.20「君の瞳に焼き付けて」。
 晴れた真夏の空の下、潤んだ瞳に映るものは――。


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