ろりすかZERO vol.6

「形なきこと水のごとし」


望月 円佳(もちづき まどか)
17歳  私立躑躅ヶ崎(つつじがさき)高等学校 2年3組学級委員長
体型 身長:161cm 体重:51kg 3サイズ:85-58-88

私立高校に通う学級委員長。
肩までのさらさらした黒髪と眼鏡が、真面目そうな印象を強調している。
普段は穏やかな性格だが、不真面目な男子には厳しく当たる。特に……。

海野 愛佳(うみの まどか)
16歳  私立躑躅ヶ崎高等学校 2年3組 チアリーディング部所属
体型 身長:147cm 体重:38kg 3サイズ:77-53-78

円佳のクラスメートにして一番の仲良し。通称は「あいか」。
短めの髪を二房結んだ髪型、可愛らしい小柄な容姿は円佳と並んで人気がある。
誰とでも仲良くなれる明るくさわやかな性格。



「じゃあお母さん、行ってきます」
 着慣れた制服に身を包んだ黒髪の少女が、玄関の扉を開けながら振り向いて声をかける。
「はーい、いってらっしゃい」
 答える母親の声を背中に受けて、彼女は朝の日差しの中へと踏み出した。

「んっ……」
 すぅ、と息を吸い込む。
 家の後ろに広がる森と、家の目の前を流れる川から漂ってくる、緑と青の香りを乗せた大気。
 この空気を胸いっぱいに吸い込み、活力の素を一杯に含んだ微粒子が身体の隅々にまで行き渡っていくこの感覚が、円佳は何よりも好きだった。

 ほっ、とその息を戻す。
 戻した息は、見えない流れとなって大気に飲み込まれていく。その流れが白い水蒸気となるには、11月の気温はまだわずかに暖かいようだ。

 彼女の服装も、冬支度の一歩手前で止まっている。高校に入ると同時に買ってもらったお気に入りのコートは、部屋のクローゼットにしまったままだ。彼女の瑞々しい身体を覆うのは、ライトグレーのブレザーの上下。制服、でひとくくりにできないのは、すらりと伸びた脚を覆う黒のストッキングと、整った顔立ちを縁取る細めのフレームの眼鏡である。
 その服装のせいもあって、17歳という年齢より彼女はずっと大人びて見える。スーツを身にまとったOLと間違われないのは、両手で持った学生鞄と、胸元のリボンが制服であることを示しているからだったった。リボンのチェック模様には、彼女の通う躑躅ヶ崎高校のスクール・カラーである真紅があしらわれている。

 ――彼女は、躑躅ヶ崎高校の2年生、望月円佳。
 躑躅ヶ崎高校、同中学校は、近隣からも生徒が集まる有名な中高一貫の私立校。学力的にも県下一の公立進学校に劣らない成績を示しているし、また運動特待の生徒を集め、野球部や陸上部を始めとして全国レベルの部活も少なくない。その躑躅ヶ崎高校で学級委員長を務めている円佳は、まず一流の優等生といって差し支えない。
 とはいえそれを鼻にかける様子がないのが、彼女の魅力でもある。躑躅ヶ崎を選んだのも家から近かっただけだし、委員長の役目も、中学校の頃に友達に推薦されたのが始まりである。
 もっとも今では、クラスをまとめる委員長であるのが彼女の当然の姿のようになってしまっている。責任感も強く、友達を大切にする彼女の周りには、自然に人が集まるのであった。

 ……好むと好まざるとに関わらず。


「おっはよっ、いいんちょっ」
「う……」
 朝の空気に輝いていた表情が突然曇る。
 朝から嫌なものを見た、と言わんばかりの目つき。その視線は、彼女の気持ちを隠すことなく表現していた。
「……今日は遅刻しないですみそうね、躑躅ヶ崎一の問題児さん」
 攻撃的意思を秘めた彼女の視線のターゲットは、彼女より頭一つ高い身長の男子生徒。同じライトグレーの制服と、同じ真紅の色を胸元にネクタイの形で備えている。
 風見京助、というのが彼の名前である。もっとも、円佳の言葉の通り、躑躅ヶ崎高校一の問題児、と言ったほうが、おそらく通りがよいことだろう。
「へへん、オレはトロっちー奴らとは違う時間の流れを生きてるのさ」
 自信たっぷりに言い放つ表情は、問題児、という言葉が似合わないほどの二枚目。不敵な笑みを浮かべた口元にのぞいた白い歯から、キラン、と輝く音が聞こえてきそうなほどだ。
「……だったら早く着くことはあっても、遅刻はしないはずでしょ」
 とはいえ、そんな外見と口先に惑わされる円佳ではない。すぐさま京助の論理的矛盾を突いて反撃する。

「そっか……んじゃ、こいつは早退するときの言い訳にちょーどいいな」
「……もう……」
 反撃もむなし、相手の方が一枚上手である。はぁ、とため息をついて、円佳は京助にかまわず歩き出す。

 こんな毎日が始まったのは5年前。中学に入学した時からである。あの時席が隣にならなければ……と円佳は何度も思ったが、そうだったとしてもおそらく出会うのが早かったか遅かったかの違いだけだろう。
 とにかく、彼の行くところトラブルには事欠かなかった。飲酒、喫煙、暴力などといったいわゆる非行とは無縁だったが、遅刻やサボりは当たり前、授業中は起きている時間より居眠りの時間が長いほどだ。とにかく不真面目な京助に対し、円佳は一つ一つ注意をし続けた。最初のうちは問題行動の回数を数えて「もう15回目よ!」などとやっていたのだが、中1の1学期の間に3桁台に突入し、とても覚えきれなくなってしまったのである。ちなみに現在は4桁台の後半に達しており、卒業までに委員長のお小言一万回の大記録達成はほぼ間違いない情勢だ。

「いいんちょのカバン、代わりに持ってやろーか? 重そうだしさ」
「結構です」
 セールスの電話を断るがごとく、けんもほろろに言い放つ。いかに授業道具を真面目に持ち歩いている自分の鞄が重く、教科書を学校に置きっ放しの京助の鞄が軽いといっても……
「……って、風見君、鞄持ってないじゃない!?」
 京助の両手は頭の後ろで所在なげに組まれている。すなわちこれ手ぶらであった。部活動で使うような肩掛け鞄も、もちろん見当たらない。
「あー、だっていつも空っぽだし、そんなの持ち歩いたって意味ないもんね」
「教科書やノートは普通持ち帰るの! で、家でその日の復習、次の日の予習をしてから、授業ってのは受けるものなの! もう……何度言ったらわかるのかしら……」
 少しヒステリックな円佳の声にも、京助は動じた様子がない。
「それならだいじょーぶ。オレ、授業なんかずっと寝てるしさ」
「…………もういいわよ」
 呆れた顔で歩みを速める。そもそも、まともに相手をしてやる必要などないのだ。相手をすればするだけ疲れるのだから。

「…………」
「フ〜〜ン、フフ〜〜」
 京助の鼻歌をBGMに、言葉を発せずに歩く。できるだけ彼の方を見ないように歩いているつもりだが、やはり身長も違えば歩幅も違い、常に前を歩くことはできない。どうしても、京助の顔が視界に入ってしまうことがある。
(…………)
 顔も見たくない、と口では言っているが、美形であることは否定しようがない。見ず知らずの女の子からファンレターまでもらうほどの男なのだ。切れ長の目と引き締まった口元は言うに及ばず、おさまりが悪いというよりボサボサという言葉が似合う髪形も、逆立ったオオカミの毛のような野性を感じさせる。
(性格さえまともなら、格好いいんだけど……)
 眼鏡をかけているのをちょっと気にしている自分とは比べられないほど、完璧な容姿の持ち主……。格好いい男の子と二人、甘い言葉をささやきながら歩く……女の子なら誰でも、一度は描く幻想である。もちろん円佳もその例に漏れない。

「な、いいんちょ、せっかく一緒なんだしさ……」
「え……」
 どきっ、と心臓の鼓動が響く。
 見ず知らずの女の子(だけ)を虜にするその視線が、円佳を正面からとらえていた。
(な、なに、いきなり……こんな雰囲気……)
 意識せずとも足が止まる。
 京助の表情が、言葉が、円佳の頭の中を満たしていく。
 円佳は心の中を吹き荒れる嵐を止めることもできないまま、京助の次の言葉を待った。

「学校まで競走しようぜ!!」
「…………へ?」
 円佳はあっけにとられていた。
 辺りを一瞬包んだ薔薇色の背景は、ギャグ漫画のそれに変わっている。
「競走だよ、かけっこ。いいんちょも物分りが悪いなー」
「そ、そういうことじゃなくて、なんでいきなり、そんな……」
「ただ歩いてるだけじゃつまんないだろー。ほら、練習にもなるし」
 いつも通りのおちゃらけた口調で説明する京助を見て、円佳は全てを悟った。
「…………私がバカだったわ……」
 京助は、美青年とも言える外見に反して、中身はただの子供なのだ。悪ガキ、というのが一番適切な表現だろう。
「お、反省してるのかえらいえらい。じゃあ行くぞ、いいんちょ」
 円佳の婉曲な非難の言葉を逆に受け取って、京助は張り切っていた。……もちろん、円佳の返答は決まっている。
「……行きませんっ!」
 円佳はぷいと横を向いて、またも早足で歩き出した。

「ちぇっ、つきあい悪いな」
「……私ね、これでも風見君より人付き合いはいい方だと思うんだけど」
 はぁ。今日何度目かのため息である。川べりの空気はこんなにおいしいのに、なぜこうも気分が晴れないのだろう。
「じゃあ、こうしよっか…………忍法、狐狩りの術!!」
「あっ!?」
 京助が身体をひるがえした一瞬、その動きに気をとられた一瞬。
 その一瞬のうちに、京助は数メートルの先に移動していた。
 手に円佳の鞄を掲げて。

「あ……私の鞄っ……か、返してっ!!」
「返してほしかったら、ここまでおーいで、っと」
 そう軽く言い捨てて京助は走り出した。学校へ向かってである。
「ちょ、ちょっと……ま、待ちなさいっ!!」
 そう叫んで円佳も走り出す。
「へへん、これで学校まで競走できるな。勝負だ、いいんちょー!!」
「私はそんなことしたくないんだってば……ってそもそも、勝負って言ってフライングしてるじゃない!!」
「勝負に情けは無用!!」
「もう……信じらんないっ!!」

 かくして京助の望み……いや、悪巧みどおり、二人の追いかけっこが始まった。二人の距離は縮まるとも広がるともせず、ほぼ一定を保っていた。円佳には、京助が手加減をしているのがわかっている。
 男子と女子の運動能力の差を持ち出すまでもなく、風見京助の脚は学校で一番速かった。なにしろ陸上の運動特待で入学してきたほどなのである。もっとも今は陸上部をやめ、野球部、サッカー部、バスケ部などを転々としているらしいが……。
 比べて円佳の運動能力は平均的である。部活動も文芸部だから運動とは関係ない。体育の時間以外にはほとんど運動をする機会がない。一つだけ女子の平均を上回る点があるとすれば、授業を抜け出そうとする京助を捕まえようとして瞬発力が鍛えられたり、こうした追いかけっこで足が速くなっていたりするという点だ。……もちろん、彼女は望んでいないことだが。

 望んでいないにもかかわらず、この関係は4年半も続いていた。
 本当に嫌なら、相手にしなければいい。委員長の役職を投げ出せば、注意する義務もなくなる。そして円佳自身も、もっと平和な毎日を送りたいと友達に漏らしている。

 それでも、円佳と京助は今も、小言といたずらで小競り合いを続けているのだ。

「ほらほら、早くしないと見失っちゃうぞー!」
「うるさーーいっ!!」
 競走の舞台は、川べりから橋を渡り、住宅街へと移りつつあった。空気の綺麗な山の中とは言っても、人口20万に迫る県下一の都市の一部なのである。躑躅ヶ崎高校があるのは市外の外れに近いが、それでも周りには多数の住宅が林立している。
「お先にっ!!」
 京助が住宅の角を曲がる。初めて、彼の姿が円佳の視界から消えた。とはいえ、ここは4年以上通い慣れた通学路。その行き先を見失うことはない。
「く……逃がさないんだからっ!!」
 円佳はそう叫んで速度を上げた。

 その瞬間である。

  ずきっ……
「痛っ!!」
 上げかけた速度が急に落ちた。
 勢いのついた身体が倒れないように数歩足を前に出すが、加速度は完全に失われていた。
 前後に振っていた両手は、急に強烈な痛みを発した部分を押さえている。

(イタイ……お腹が……)
 円佳は急激な腹痛に襲われていた。
 お腹の中身を雑巾絞りにかけられるような強烈な痛み。
 最初の一撃の痛みが消えないうちに、新たな痛みがお腹の奥底から浮かび上がる。

(あ……お、追いかけなくちゃっ……)
 すっかり視界から消えてしまった京助を追いかけないといけない。ここから先は、住宅街の入り組んだ道が続く。あまり離されると本当に見失いかねない。
 お腹をさすりながら、円佳が一歩を踏み出したその瞬間。

  ギュルギュルギュルッ!!
「ひっ!?」
 不気味な音とともに、再び円佳のお腹が激しく痛んだ。音だけでなく、彼女にはお腹の中身がうごめくような異様な感覚が伝わってきた。
  ゴロロロロロッ!!
(うぅ……っ……なにこれ……イタタ……)
 間髪を入れず新たな音、そして新たな痛みが彼女の身体を苛む。
  グギュルルルルルルッ!!
「うぅ……っ!?」
 三度目にお腹が音を立てた時、円佳は痛みとは異なる新たな不快感に気づかされた。

(やだ……ウンチしたい……)
 お尻の穴に内側から圧力がかかっているのである。それは、腸内で生成された老廃物が、体外に排出されようとするときの感覚に他ならなかった。
  ゴロゴロギュルルルルルルルルッ!!
「つっ……うぅっ……なにこれっ…………」
 感じ始めたばかりの便意は、思考の流れより早く彼女の意識を支配していった。お腹が痛い。ウンチがしたい。漏れちゃいそうなほどウンチがしたい。今すぐトイレに駆け込みたいほど……。
(ト……トイレに行かなきゃ……)
 やっとの思いでそれだけの思考をまとめる。その間にも、腹痛と便意は急激な高まりを見せ、彼女の下腹部を蹂躙していく。

(ど、どうしよう……学校まで、我慢できる……?)
 学校まではここから歩いて10分ほどの道のり。普段なら難なくたどり着けるだろう……が、今この状態では、10分間歩くどころか、その時間じっと耐えていることすらおぼつかない。しかも学校に近づけばそれだけ周りには同じ学校の生徒が増える。もし間に合わなかった場合、とんでもない醜態をさらすことになりかねないのだ。
(じゃ、じゃあ……どうしよ……近くに、近くにトイレは……)
 便意に侵食されつつある脳細胞をフル回転させる。差し迫った便意の前には、一瞬の判断が運命を分けることになるのだ。寸断されそうな記憶力と判断力をかろうじてつなぎ止め、導き出した答え……。
(近くに公園があった……あそこなら!!)
 芝生と遊歩道からなる自然公園と、砂場と遊具が配置された児童公園が隣接した少し大きめの公園が、すぐ近くにある。自然公園の中に、確かにトイレがあったはずだ。
 ただ、円佳はそのトイレに入ったことがなかった。古く汚れている上に男女共同で、とても落ち着いて用を足す気にならなかったのである。だが、今の円佳はそのトイレを使わなければ漏らしてしまうという瀬戸際に追い込まれている。他の選択肢は思いつかなかった。
(な……なんとかそこまで行くしかない……)
 震える足を一歩、学校と逆の方向に踏み出す。
(あ……風見君に鞄……どうしよう……)
 一瞬、学校のほうに向かっていった京助の後姿がよぎる。
 が。
  グギュルルルルルルゴロロロロロッ!!
「や、いやっ!!」
 円佳のお腹が猛烈な音を立てて抗議をした。最短距離でトイレに駆け込まなければ、どうなるかわからない。
(と、とにかく今はトイレに……漏れちゃうっ……!!)
 円佳は排泄欲求の命じるまま、不本意な目的地へと小走りに駆け出した。


「うぅっ……」
  キュルルルルルーーーッ……
  ギュルルルルルゴロゴロゴロゴロッ!!
 駆け出してまもなく、円佳のお腹が大きな悲鳴を上げた。悲鳴は痛みとなってお腹の中を駆け巡り、圧力となってお尻の穴を執拗に攻撃する。円佳は思わずお腹を両手で抱えて立ち止まり、身体の中の荒波に耐えようとした。
(や、やだ……お腹……下っちゃってる……)
 これほど急激な便意の高まり、というのは、どう考えても普通の状態ではなかった。小学6年の時に、よりによって女の子のお祝いとして作ってもらったお赤飯を食べた時に、小豆の消化の悪さから水のような下痢をしてしまったときがあったが、その時に匹敵する強烈な便意である。
 その時は家にいたものの何度も下痢便の排泄を繰り返し、部屋からトイレにまで間に合わずに漏らしてしまった事もあった。
(いや……そ、そんなことになったら……)
 その時と違って、ここは通学路から程近い住宅街のど真ん中、しかも彼女は17歳の女子高生である。万が一の事態が起これば、子供だから許されるというわけにも、大人だから開き直るというわけにもいかない。最もお漏らしが許されない年齢と性別と立場なのである。
(と、とにかく我慢しなきゃっ……)


「はぁっ…………くぅっ……も、もう少し…………」
 狂おしい便意に苛まれながらも、円佳は着実にその歩を進めていた。目指す公園の入口が見えてきたのである。
  ギュルゴロギュルルルルグルルルルルッ!!
(あぁぁっ…………や、やだ……漏れそうっ……)
 お腹を下している、という円佳の予想は紛れもない真実だった。お尻の穴に押し寄せてくる便意が、固体ではなく液体のそれなのである。固形の便であれば、肛門を押し広げようとする横方向の圧力を強く受けるが、円佳の腸の中のものは流動性が高いため、無理に出口を押し広げようとせず、ひたすら肛門の穴を突き抜けようとする縦方向の圧力を押し付けてくる。肛門の締め付けが内側、すなわち横方向にしかできない以上、縦方向の圧力を加えてくる液状便を我慢し続けるのは困難であった。しかも肛門で閉じ込められた液状便は直腸内に溜まり、腸壁を刺激して熱さを伴う痛みを絶えず円佳の神経に送り込んでくる。腹痛と便意を感じてからわずか3分、温和にして気丈な委員長は、激しい下痢に苦しむ無力な少女となり果てていた。
  グギュルルルゴロロロロログルルルルルゴロロッ!!
「ふぅっ!!……う、うぁっ!!」
 腸内の液状物がさらに駆け下る音、そしてその分だけ高まる圧力。すでに限界を迎えつつあったお尻の穴が開きかける熱い感覚が走る。
(ダ、ダメっ!!)
 反射的に両手を尻たぶに当て、柔らかな肉付きを中央の谷間に押し集める。間接的に伝わる圧力で、開こうとする肛門を押さえつけたのだった。じかにお尻の穴を押さえなかったのは、恥ずかしさのためと、スカート越しにでも肛門に触れたくないという潔癖な神経によるものだった。
  ゴロロロロロロロキュルーーーーーーーーッ……
(おねがい……出ないでっ!!)
 悲痛な思いを念じ続けた数秒間。
 力がお尻の穴だけに集中し、内股になった脚がガクガクと痙攣する。
 
  キュルググッ……。
「……っは、ぁぁっ…………はぁ……はぁっ……」
 お尻が楽になる。
 出口をこじ開けようとしていた下痢便が、その必死の抵抗によって腸の奥へ押し戻されたのである。お腹の中をくすぐられるような寒気の走る感覚を覚えながらも、円佳はすさまじい便意から一時解放されたのだった。
(い、今のうちに……急がなきゃっ!!)
 便意の我慢に慣れているわけではない円佳だったが、これほどの腹痛と便意が完全に消え去るはずがないというのは誰でも想像できる。その便意がよみがえる前に、何としてもトイレにたどり着かなければ……。
 円佳は追いかけっこの時よりははるかに遅く、しかしお腹に負担をかけない限界の速さで公園の敷地へ飛び込み、まだ視界に見えないトイレを目掛けて走っていった。

 朝、登校時間である。
 学生や社会人が散歩をするには遅い時間だが、専業主婦やお年寄りなどには朝食の後、暇のできる時間帯である。当然この複合公園にも、それらの人影が少なからず見えた。
 砂場で遊ぶ幼稚園入園前の小さな子。世間話をしながらそれを見守る母親たち。杖を突きながら遊歩道を歩き、時々立ち止まって休憩をしている老人。
 それらの人影の中にあって、円佳の制服姿はひときわ異質に見えた。
 異質なのは服装だけではない。初冬の朝、まだ日差しより冷え込みが残る空気の中、彼女は額に脂汗を浮かべていた。走りながらも、片手はお腹に添えられている。そう……何より違うのは、時間を持て余している周りの人々と比べ、円佳はまさに一分一秒一瞬を争っていた。
 トイレを探す目、公園の中心へと走る脚、下痢便の噴出を食い止める括約筋。
 彼女の神経はこの3点だけに集中していたのである。


「っ…………あ、あった……ト、トイレ……!!」
 最初に朗報をもたらしたのは視覚だった。遊歩道の入口を曲がってすぐ、はっきりトイレとわかる建物が視界に入った。ざっと50メートル先。普段なら10秒も要せずにたどり着ける距離だ。
 だが、その50メートル先が、霞むように遠い。
  ギュルギュルギュルギュルギュルッ!!
「ひぁぁ…………ぁぁぁぁっ……」
 今にも限界を迎えそうな円佳のお尻の穴とは正反対に、お腹の痛みは限界を知らず膨れ上がっていく。この腹痛だけでも、走ることはおろか歩くことさえままならないほどの苦しみであった。
  ゴロロロロロ……ゴロゴロゴロキュルッ!!
(や、やだ、また…………だめ、出ちゃうっ!!)
 さらに追い討ちをかけるように、猛烈な圧力が肛門に押し寄せてくる。腹痛に満たされていた彼女の苦痛の感覚に、同じだけの便意がのしかかってきた。
「はぁ……うぅ…………あ、あぁっ!?」
 それでも歩みを止めなかった彼女。だが、進めたのもわずか3歩までだった。
  グギュルルルルルルーーーーーッ!!
「んうーーーーー…………っ!!」
 熱い!
 腸がちぎれる!
 ……思わずそう感じるほど強烈な痛みの前に、彼女の運動神経は完全に麻痺させられた。
 必死に動く足は止まり、お腹をさする手も止まり、お尻の穴の締め付けさえも、あふれる痛みが消し去っていく。

(あ…………)
 痛覚に満たされた身体に生じた、快感の前兆。
 それは、排泄物が肛門を通り抜けて体外に飛び出そうとする、生物としてきわめて自然な……
「ダ、ダメぇっ!!」
 お尻の穴はすでにゆるみ始めていた。最悪の事態を前に思わず声が出たが、それから反応したのでは間に合わなかったはずだ。彼女を救ったのは、思考力を失った大脳ではなく、女の子としてのDNAが組み込まれた脊髄の反射作用だった。

  グッ……
「あ…………」
 無意識のうちに、円佳はお尻の穴を押さえていた。
 制服のスカートの上から、両手で。
 開きかけていたお尻の穴が、外圧を味方につけて再び閉じようとする。
 が、今まさに流れ出そうとしていた下痢便は、その一点に集中してものすごい力をかける。
(ダメ……お願い出ないでっ!!)
 押さえる両手に力を込める。下痢便の圧力との戦いは、まさに五分と五分。あまりにも不安定な力のつりあいが、肛門の中と外でせめぎあっていた。
  ゴロ…………ギュルルルルルッ……
(や、やだ、またお腹が…………)
 強烈な痛みを発したばかりのお腹が、重苦しい音を立てる。つりあいを保ったままの肛門、指先の力はもう限界である。円佳にはもう、この便意が引き下がってくれるのを待つしかなかった。万が一便意がわずかでも強くなろうものなら、たちまち肛門のつりあいは破れて……すべてが終わるのだ。
  ゴロロロ!! ギュルゴロゴロゴログギュルッ!!
 お腹の鳴る音が続く。彼女がもよおし始めたとき、まず腹痛が襲い、それからお腹が鳴り出し、そして便意がやってきた。これが一定の法則を示すものだとしたら、次に来るのは……。

  ブププププッ!!
「あああっ!!」
 ……便意、とわかったときにはもう遅かった。つりあいの状態はわずかな力で崩れる、彼女の身体は中学で習った力学を身をもって証明したのだった。
(ど、どうしよう……私………………あれ?)
 肛門は開いた。
 が、中のものがあふれ出す感覚はなかった。意識の片隅に聞こえた音も、妙に乾いている。
(オナラ……だったの?)
 押さえる指先にも、湿った感覚はない。彼女の推測は当を得ていた。お尻の穴が開いた一瞬に漏れ出したのは、直腸の終端に溜まっていた空気だった。
 気づかないうちに肛門が開いてしまったのがよかったのかもしれない。開いたその瞬間も指先の押さえつけは残っており、ガス圧の解放で弱まった内側の力に打ち勝ち、肛門を閉めることができたからである。なまじ徐々にお尻の穴が開いていく感覚があって、あきらめて指を離していたら、今頃は空気の向こうにあった液状便が彼女の下着を埋め尽くしていたかもしれない。

「う……」
 お腹とお尻の感覚は楽になった、が、別の感覚が不快を訴えてくる。
 もちろん嗅覚だった。
 自らが放出したおならのにおいを吸い込んでいるのである。
 ひどいにおいだった。鼻の片方から肥溜めのにおいを、もう片方から腐った生ごみのにおいをノズルで噴射されているような、とんでもない悪臭。しかも、野外で、ごく少量のおならが、出てから1秒もしないうちにこれだけのにおいを発しているのだ。それがあった場所、そのにおいを凝縮した物体……いや液体がどんなにおいを発するのか、考えたくもなかった。
(は、早く行かなくちゃ……)
 お腹の痛みは治まっている、そして便意の圧力も、おならの解放で弱まっている。今こそ50メートル先のトイレへ駆け込むチャンスだ。
 そして何よりも、汚染してしまった空気から離れたかった。
 円佳はお腹とお尻をかばいながら、新たな一歩を踏み出した。

 50メートル60秒3。
 さっきまで追いかけっこをしていた相手のベストタイムの10倍以上の時間をかけて、円佳はトイレの目の粗いタイルの上へと震える足を踏み入れていた。
 が、ゴールテープはまだ切っていない。
 あと数メートル先にあるドアを開けて、その中にある便器にまたがり、ストッキングとショーツを下ろして初めて、彼女にとっての至福の瞬間が訪れるのである。

 今にも倒れそうな足を一歩、また一歩と進めていく。
(……やっぱり共同なんだ……)
 顔を向ける気力すらないが、目指す一つの個室と反対側にある3つの小便器が、自分と違う性の存在を意識させる。
(男の人が入ってきたらどうしよう……)
 自分が個室に入り、ものすごい音を立てながら下痢便を吐き出している最中に、その音を聞きながらドアの向こうで男性が用を足している……。十分ありえる可能性である。そんなことになったら恥ずかしいではすまない。一生その人に顔は見せられないだろう。

 が、今の彼女にはここしか排泄できる場所はない。
(あ……空いててよかった……)
 彼女の視界にはわずかに空いた個室のドアが見えている。
 今思えば博打もいいところだった。入ったことのないトイレ、使用中かも清掃中かもわからないトイレに駆け込もうとしたのだから。もしトイレが見つからなかったり、個室がふさがっていたりしたらそれで一巻の終わりだったのだ。

  ギュルルルルルゥゥゥーーーーッ……
「んっ……!!」
 ふたたびお腹に猛烈な痛みが走る。程なくお腹がひどい音を奏で、狂おしい便意が襲ってくるのだろう。
 だが、彼女はすでに個室のドアのノブをつかんでいた。
 今は彼女のためだけに存在するこの個室に飛び込み、彼女を苦しめ続けた下痢便を思う存分排泄する。ここまでたどり着いた円佳にはその権利がある。
 円佳は、不幸の中に残された一握りの幸運に感謝しながら、そのノブを回した。


「うそ……」
 円佳の幸運は、意識したその瞬間に消え去っていた。
 円佳が目指すものはそこにあった。その装置の機能は円佳が求めるものと一致していた。ただ、その形状が円佳の想像と異なる……正反対だった。
(絶対、和式だと思ったのに……!!)
 円佳が想像していたのは、もちろん公衆トイレ、このような古びた公衆トイレにふさわしい、和式の便所。地面に埋め込まれた白い陶器の中に薄く水がたたえられ、その上にまたがることで用を足す便所。
(もうっ!!……どうして洋式なのよっ!!)
 心の中で円佳は悲鳴をあげた。目の前にあるのは洋式便所。便座に腰掛け、椅子に座る形でその中央にある水溜りに尿道口と肛門を向けて用を足す便所であった。
 悲鳴を上げたのは、円佳が洋式便所を嫌っているからだった。
 家のトイレが和式、というのもあるが、それ以上に、どこの誰が使ったのかわからない便座に自分のお尻を乗せる、ということが円佳にはたまらなく嫌だった。特に潔癖症であると意識したことはないが、これだけはどうしても耐えられなかった。街中でトイレを探すときも、必ず和式を使うようにしているほどだ。
 おまけに、汚い。プラスチック製のの便座にはところどころ黄ばみが見え、また水滴も所々に浮かんでいる。ぱっと見て濁ってはいないが、便器の中の水かもしれない。もしかしたら誰かが用を足した際に跳ね上げられたものかもしれない。もしかしたら誰かの排泄したおしっこそのものかもしれない。
(こ、こんなの、使えるわけないじゃない!!)
 円佳の頭はそう結論付けた。
 が、体はそれと正反対の結論を導き出していた。

  グギュルルルルルルゴロロロロロギュルギュルギュルピーーーーーーッ!!
「あーーーーーーー…………っ!!」
 心の中の悲鳴が声になっていた。
 腹痛と腹鳴りと便意が同時に襲ってきたのである。それはまさに、下痢における不可分の三位一体だった。
 腹痛から便意までには間がある、などと甘く考えていたのがいけなかった。円佳のお腹の具合は今なお悪化しつつある、ということに気づいておくべきだったのだ。
 肛門を慌てて全力で閉める。だが、駆け下ってくる便意は、さっきおならを放出させたものよりはるかにすさまじかった。

  グキュゥゥゥーーーーーッ……キュルルルルルッ……
(ダメ……!! もうもたないっ!!)
 円佳の脳は無謀な我慢を放棄した。同時に、脊髄からの緊急指令が走る。
 脱ぐ。
 スカートのホックを外しながら、脇腹に爪を立てるように指を差し込み、両手を一杯に伸ばしてスカート、ストッキング、ショーツを全部まとめてずり下ろそうとする。ストッキングが伝線するかも、などと気を遣う余裕はなかった。

  プッ!! ブチュッ!!
 肛門が開き、ガスが漏れる。便意が前より強い上、押さえつける力がないのだから、当たり前のことだった。心なしか、空気の音に水気が混じっている。
(しちゃうしかないか……)
  キュルルルルッ……!!
 一瞬の逡巡を、便意の洪水が押し流す。
  プスッ……プブビチュッ!!
 ガスを吐き出している最中の肛門を、ずり下ろされる3枚の布切れが通過する。
 その内側からひくひくと震える肛門が現れた瞬間、その穴が再び開き、空気の音、そして茶色い水滴が弾けた。もう、お腹に残っているのはすべて「実弾」である。

  ギュルゴロロロロロロロロロッ!!
(あーーーーっ!! お腹イタイお腹イタイお腹イタイっ……!!)
 また襲ってきた腹痛に前かがみになりながら、左手でお腹を押さえながら、彼女のちぎれそうな心が悲鳴を上げる。
 お腹痛い。苦しんでいる彼女のみならず、その姿を見れば誰でもわかることを必死に訴える。一度、二度、三度……四度目はなかった。
 始まったからだ。


「!!」
 ブシュルルルルルルビシャァァァァァァーーーーーーーーーーブバババババッビチチチチチチチブビブビブビブジュルジュビュビュビュビュビュブリリリリリビシャシャシャシャシャブビチビリュリュリュリュリュブビュビヂヂヂヂヂビチャビチャビチャァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!!!!

 放水。
 大便の色とにおいを持った水が、彼女のお尻の穴からすさまじい勢いで噴き出していく。
 飛び出した水流は、放物線すら描かぬほどの勢いで、洋式の便器に降り注いだ。震える足腰は肛門の位置をぶれさせ、ずれた射線は床を、便器のふたを、便座の上を、便器と便座のその隙間を、その先に見える水洗のレバーを、そしてはるか後ろの壁をもとらえ、そのすべてに茶褐色の弾痕を刻み込んだ。

「…………っ……」
 ポタポタと音を立てて肛門からの放水が止まる。
 あまりの感覚に声も出ない。終わらないお腹の痛み、本能的な排泄の気持ちよさ、肛門を灼熱の液体が通り抜ける痛み、空気すら混じらない放水の音、茶色の液体が便器等々に衝突する音、閉鎖空間での下痢排泄による、開放空間でのおならとは比べ物にならない激臭、それらが彼女の意識の中で交じり合い、自分が排泄をしているということしか考えられなくなっていく。
 ただ一つ、茶色に染まった後方を見渡す機能を持たなかった視覚だけが、彼女の理性をつなぎとめた。

(あぁぁっ、ドア……開いてるっ!!)
 半開きのドア。トイレに入った瞬間に便器が洋式であることに驚愕した円佳は、すぐにはここで事を済ます決心がつかず、ドアを即座に閉めなかったのである。その後すぐ強烈な腹痛に襲われ、崩れ落ちるように液便の排泄が始まってしまった。ドアを半分も開けたままで。

(閉めなきゃっ!!)
  バタン!!
「はぁ、はぁ、はぁっ……!! …………ふぅ……」
 少し前かがみになるだけでドアに手が届くのが幸いし、円佳はその事実に気づいてから1秒で外界から自らの恥辱の跡を隔離することができた。トイレの中に人がいたかどうか、確認する勇気はなかった。足音も気配も、今の排泄音を聞いての動きもなかったから、おそらく大丈夫だとは思うが……。円佳の心拍数は、排泄を我慢していた時以上の値を示していた。

(私……どうしよう、ドア開けたままで、あんな音……)
 ノブから手を離しながら思う。誰にも見られていなかったとはいえ、ドアを開け放ったままで、すさまじい音を立てて下痢便を撒き散らしてしまったのである。もしかしたら、外を歩いている人に聞かれてしまったかもしれない。もっとも、あまりにも水気が多すぎて空気が入り込む余地がなかったため、排泄音というよりは水がびちゃびちゃと散らばる音だったのだが、恥ずかしさという点では違いがなかった。

「あ……」
 あまりの苦痛、そしてドアが開いていたという衝撃でおざなりになってしまったが、円佳は中腰のままで便意を解放してしまったのである。便器はすさまじい事になっているだろう。
 見るのもおぞましいが、確認しないわけにはいかない。上半身の向きをわずかに変え、肩越しに後ろを覗こうとする。……が、その行動は途中で妨げられた。体の内から湧き上がる衝動によって。
 ……もちろん、それは便意である。

  ゴロロッ!! ギュルグロロロロッ!!
「ひっ!!」
 腹痛、腹鳴り、そして便意。次々と、あまりにも早い周期で押し寄せるそれらの苦痛は、ブラウン管の電子線走査がテレビ画面を映すかのごとく、円佳にとっては同時に押し寄せ、また永遠に押し寄せ続けるように感じられていた。……もちろん、その三面同時攻撃に耐えられるはずもなかった。

「あっ、っっ!!」
  ビチャビチャビチャビチャブビチャァァァァッ!!
  ドボボボボボブリブジュビーーーーーーーーブピピピピピッ!!
  ブピュルルルルビリュリュリュリュリュジュビィィィィィィィィッ!!
  ビチャビシャシャシャブジューーーーーーーーービビビビビチビチビチブピピィッ!!

 1秒ともたず水便が噴出する。もはや後ろを確認するどころか、目を開けていることさえできない。ぎゅっと目を閉じ、歯を食いしばり、それでも止まぬ腹痛にうめき、彼女は再び放水装置となった。
 強烈な腹痛に前かがみになった姿勢は肛門を上方に向け、飛び出した液状便は便器のふたをぐちゃぐちゃに汚し、跳ね返って便器の中、便座の上に飛び散った。
 最初の、息も屁もつかせぬほどの連続的放水とは異なり、数秒おきに一瞬のインターバルが入る。だが、そのインターバルの前後では、その間隙を埋めるかのように、閉じようとする肛門が水便の圧力とぶつかり、個室中に反響するほどの破裂音を奏でるのだった。

「くっ……はぁ、はぁ……」
  ブッ、ビチッ……
  ブビビビッ!!……ブプッ、ビッ……ビチャビチャビビッ……
 第2波の激しい噴出が終わると、ようやく狂おしい腹痛が弱まり、意識と視界が回復していく。感覚を失いつつあるお尻の穴から水便を断続的に吐き出しながら、彼女はようやくにして後ろを振り向いた。

「え…………」

 一面の茶色。

 いまだかつて見たことがない光景。
 茶色の水が、ホースで水撒きをしたかのように、床、壁、便器……一面に撒き散らされていた。
(うわー……完全にミズじゃない……)
 お尻の穴を出て行くときの感覚――抵抗がなく、なおかつ肛門のしわの一本一本にまで行き渡るような湿り気――からうすうすわかってはいたが、これほどまでに水だとは思わなかった。ゲル状の粘性すらない、完全な水。
(何か悪いもの食べたっけ……?)
 これほどお腹が下ったのはあの時、小学校6年の時に小豆で消化不良を起こしたとき以来である。あの時と今、どちらがより水に近いだろうか……判断するのは難しい。
 食べたもの……昨日の夜はお刺身。海老やホタテ貝もあった。それからご飯とお味噌汁。朝はパンと牛乳と半熟卵に、生ハムとサラダ。
(うわ……どれも怪しすぎ……)
 生肉、魚介類、卵は食中毒の3大原因食物と言ってよい。ただ、どれも食べた時に変な味はしなかった。明らかに痛んでいる、というわけではなかったから、朝食の線は薄い。原因がわかったところで、今円佳を苦しめている腹痛が消えるわけでも、便意を生み出している腸内の液状便が消えるわけでもないが、それでも考えずにはいられなかった。
(とするとやっぱり、昨日の……)

  ギュルルルルルゴロロロロロロロッ!!
「ひぁっ!!」
 思考の流れが中断する。下腹部を突き刺すような激痛と便意が襲ってきたのだ。

「だ、だめっ……」
  ビュルルルルッ!! ジュピピピピッ!!
  ビシャビシャビシャッ!!
 抵抗を放棄したお尻から汚水が流れ出る。あれほど洋式便器を嫌がっていた円佳だが、皮肉にも腰掛ける前に排便が始まってしまったことが、便器にお尻をつけずに排泄する手段を彼女に示したことになる。そして、そうして便器を汚してしまったがために、彼女にはもう中腰で用を足すしかなくなってしまっていたのだ。
 すでに便器の中の水も完全な茶色に染まっていた。もともと少なくない真水が溜まっていたはずだが、今やその底は完全に見えない。……いや、見えなくてもその状態は彼女にはありありと想像できている。

(うー……クサい……)
 鼻が曲がるというのはまさにこのことだった。
 本来洋式便器にたたえられた水は、便器内に落ちた大便を水中に沈めにおいが拡散しないようにする意味もあるのだが、こうも水状の便では一緒になって混ざるだけである。そもそも、彼女のお尻から噴き出した液便の半分近くは、便器の外に飛び散っていたのである。そこから立ち上る強烈な刺激臭が、彼女の鼻腔のみならず、呼吸器すべてを埋め尽くしていく。

  ブピピピピピッ!! ビチャビチャビビッ!!
(ヤバ……足りるかな……紙……)
 止まらない排泄。お尻を締め付ける力も便を押し出す力も残っていない円佳のお尻は、ただ流れ落ちてくる茶色の水を吐き出していた。
 ただ、排泄の勢いが、通常のそれに比べればすさまじいものではあるが、一応の安定を見せたことで、円佳にも幾分の余裕が生まれていた。つい先ほど視界を埋め尽くし、今も嗅覚を埋め尽くしているお尻の下の惨状に、後始末のことをまず考えたのだった。
(せめて便座くらい拭かないと……確か鞄の中にティッシュが…………)
「あ……!!」
 鞄、という単語が頭に浮かんだ瞬間だった。
(私の鞄……風見君が持ったまま……!!)
 そう、追いかけっこの「人質」として持っていかれたまま、それを取り返すことができずに円佳はトイレに駆け込んでしまったのである。
(ど、どうしよう……!! このままじゃ……)
 慌てて拭けるものを探す。トイレに備え付けの紙などはない。服のポケット、スカートのポケット……。
「あっ……」
 手に当たったのは、柔らかな布……ハンカチ。白に緑のワンポイントが入ったもので、高校に入ったときから使っているお気に入りの品だった。
(…………)
 そう、すでに過去形である。
 これしかない。
 打ちひしがれた彼女に残された手段は、少しでも周りを、お尻を汚さないように排泄するだけ……

  ギュルゴログギュルッ!!
 そんなささやかな望みすら、絶え間なく襲い来る腹痛がかき消してしまう。
「ん……あああっ!!」
  ビリュッ!!
 爆音とともに液便が弾ける。満足な排泄体勢を取ることもできずに吐き出された液便は便器の手前に当たり、よりによって彼女のお尻と脚にその飛沫を飛び散らせた。

  キュルキュルキュルッ……
(あーっ痛……!! やだ……全然、止まんないっ……)
  ブチュブチュブチュッ!! ブ……ブチュッ!!
(うー……調子わる…………)
 便意、腹痛。そのどちらかが、常に円佳を苛み続けている。腹具合はまさに最悪であった。お腹の痛みだけでなく、たちこめる悪臭のせいか、頭痛さえ感じるようになってきている。お腹の不調が全身に伝染しつつあるのだった。
「く……」
  ブチュブチュッ!!
 断続的に、しかし長い目で見ればほとんど止まることなく出続けている水便。個室の中はとんでもない色ととんでもないにおいに支配されていた。
  ブポ……ピシュルルルッ……!!
(くぅ……もうヤダ……早く終わってっ!!)
 円佳の切実な願い。あれほど待ち遠しかった排泄も、いざ始まってみると苦痛にまみれたものに他ならなかった。出しても出さなくても彼女を苛む、苦痛のかたまり……もとい苦痛の濃縮液体は、まだ円佳の腸内に少なからず残されていた。

「……く、うー……っ!!」
 痛むお腹に力を込めて、痛みの素を流し出す。
  ブシュル……チュルチュルチュルッ……
  ビシャシャシャシャシャブッ……
  ブビィィィィィィーーーーーーーーーーーーーッ!!
(や、やだ……音……)
 轟音が響いた。
 個室の中はおろかトイレの中、果ては遊歩道を歩いている人にまで響き渡ったかもしれない、それほどの大音響。ぷっくりと膨らみ、苦しげに息づくお尻の穴から、液状便とともにすさまじい炸裂音が放たれる。今まで以上の勢いで吐き出された茶色い水は肛門を出る瞬間に弾け、もはや水流ではなく豪雨となって便器一面に降り注いでいった。

  ブチュブチュッ……ビッ……ブビチャッ……。
「っはぁ……はぁぁっ……」
 その噴出が、止まる。
(これで……これで終わりよね……)
 祈りにも似た推測。もっとも、重苦しかったお腹の痛みはだいぶひいている。肛門のすぐ内側にわだかまるような感覚もない。それ以上に、これだけの量の水を流し出しておいてまだお腹の中に残っているなど、そんな最悪の想像はしたくもなかった。


(大事に使わなきゃ……お尻、すごく汚れてるし……)
 ようやく、後始末である。
 ハンカチ……いや、15センチ四方の布切れを手に持ち、彼女は一瞬動きを止める。この布一枚で、汚れた肛門、お尻一面に飛び散った液体を拭かなければいけない。もはや便器を綺麗にすることはあきらめていた。

  じゅく……
「んっ!!」
 お尻の穴にまずその布を当てる。水がハンカチに染み通る感覚、腫れ上がった肛門に触れた痛みが腸内にもたらす刺激、その二つが同時に円佳の意識に飛び込んできた。
(は、早く拭かなきゃ……)
 その感覚が引かぬうちに、もう一度ハンカチをお尻に当てる。

  キュルルルルルルルルルーーーーッ……
「え……」
 覚悟していたのとは別の感覚が円佳を襲う。
 ついさっきまで親しんではいないが慣れてしまっていた感覚。
  ゴロロロロロロロロロッ!!
「うそ……」
 腹痛と、お腹の音と、そして……
(や、ヤバいっ!!)

  ブリブリブリブリブリブビューーーーーーーーーーッ!!

 よみがえった便意の波は、一瞬にして円佳の肛門を乗り越えた。
 手を離すのが一瞬遅れていたら、その飛沫に直撃されたハンカチは使い物にならなくなっていただろう。それほどに激しい噴出だった。

  グギュルルルルルルルルッ!!
(や、ヤダ、うそ、まだこんなに……!?)
 新たに腸内を駆け下る液体。
 円佳の最悪の想像は、今まさにその姿を外界に現そうとしていた。

「ふぅ……あぁぁぁぁっ!!」

  ブリリリリリリリリリリリリリッ!!
  ビチャブビチャブリュルルルルルルビチチチチッ!!
  ビシャビジュブジュジュジューーーーーーーードボボボボッ!!
  ジュブビチブリビシャブビュルルルルルルルルルーーーーーーーーーッ!!
  ブブブ…………ブジュビチャビチャブジュブリブビュルーーーーーーーーーーーーッ!!


「…………」
 悲痛な表情。
 声は出ない。
 再び汚れてしまった肛門を拭いた段階で、ハンカチに白い部分はほぼなくなっていた。
 角の部分で引っかくようにお尻に付いた茶色の水滴を拭く、涙ぐましい努力の果てに、円佳はようやく自分のお尻を自分の排泄液の汚れから解放した。

 ようやく綺麗になったお尻に、下着を戻す……。
「え……うそっっ!?」
 彼女の視線の先。真っ白だったはずのショーツの中心部に、はっきりくっきりと染みが浮かんでいた。色はもはや言うまでもない。
(ま……間に合ったと思ったのに……)
 下着を下ろすのは、便液が噴き出すより先だった。それは間違いない。……とすれば、それより前、おならを出しながら我慢している過程で、漏れてしまったということ。
(どうしよう……)
 汚れてしまったショーツ。ハンカチで拭いても、茶色の染みは取れないだろう。それどころか逆に、ハンカチの汚れを移してしまう可能性すらある。仕方ない、ストッキングもあることだし、脱いで……。

「あぁっ!?」
 そのストッキングが。
 茶色の水滴をいくつも浮かべていた。
 さらに、伝線したいくつもの無色のライン。なりふりかまわずお尻の穴からの射出液を回避した代償だった。
(や、やだ……こんなに……)
 とりあえず円佳は一歩便器から離れ、ストッキングとショーツをひざ下まで下ろした。

(ど、どうしよう……)
 汚れたショーツとストッキングをどうすべきか。
 当初は、ショーツを脱ぎ捨ててストッキングだけを身に着けようと思っていた。だが、こうして汚れてしまっている上、伝線の跡はいかにも見苦しい。これを身に着けて学校に行ったら、いろいろとからかわれかねない。
 ならば、ストッキングを捨てるか……。その場合、何も身につけないという選択肢はさすがに存在しない。汚れているのを我慢して、ショーツを履いておくしかないが……。
(私……どうしたら……)
 どうしようもない。かといって、誰かに助けてもらえるあてもない。
 思えば、最初に腹痛を感じたとき、京助を呼び止めておけばよかったのかもしれない。でも、それはできなかった。腹痛の激しさもあったが、なにより恥ずかしさのために。

(そうだ……伝線したストッキングなんか履いてたら……)
 たちまち京助がちょっかいをかけてくるに違いない。その時にストッキングをまじまじと見られたら、茶色の残りかすを見つけられてしまうかも。それ以前に、においで……。
(もう……これっきゃない……)
 ストッキングとショーツの間に手を入れる。
 多少寒いのを我慢すれば、ショーツはきちんと指定の長さを守っているスカートの丈に隠れたまま見えない。スカートをめくられたり中をのぞかれたりしたら別だが……。

(スカートめくり……)
 一瞬、思考が停止する。あまり考えたくはないが……。
 ……。
(う、ううん、いくら風見君でも、まさかそんなことまで……!!)
 さすがに、その考えは頭の中で像を結ばなかった。中学校の頃は何度もあったスカートめくり攻撃だが、高校に入ってからはさすがになくなっていた。
「…………」
 円佳は決意して、重なった布の一枚を下ろした。

(だ、大丈夫、これで……)
 とても大丈夫とは言えない惨状を残し、円佳の白い脚が個室の入口をまたいだ。
 便器、床、壁。すべて現状保存である。便器の中に溜まった大量の汚水も流していない。水洗のレバーまでもが汚物にまみれてしまって、とても触れなかったからだ。さらには汚れたハンカチ。汚物入れもない個室の中、床に置くわけにもいかない。これで拭いた、ということまでありありと想像させてしまうからだ。結局、木を隠すには森の中、汚物を隠すには肥溜めの中……。便器の中に放り込み、とりあえず見えなくすることには成功した。

(し、仕方なかったのよ……緊急事態だったんだからっ……)
 それにしてもすさまじい状態だった。おもらしでも、便座に座っての排泄でも、これほどにトイレの中を汚すことはありえないだろう。下痢便を一杯に溜めたバケツをひっくり返す……などでもしない限り生まれようのない惨状を、円佳は本意ならず作り上げてしまっていた。

「…………」
 罪悪感を感じないではないが、そもそもこれをどうにかする手段も時間も彼女にはない。旅の恥はかき捨て、という言葉が一瞬胸をよぎる。今まで使わなかったトイレ、これからも二度と使うことはないだろう……いや、決して使うまい。

 そんな情けない決意を胸に秘めて、円佳は再び学校への道を歩き出した。



「あっ、円佳ちゃん、おはよう!!」
「あ……愛佳……おはよ」
 教室に入ると同時に、明るく響くソプラノが円佳を出迎えた。それまでその空間を満たしていたざわめきが単なるBGMへと変わる、それほどによく通る綺麗な声だった。
 円佳が入口からすぐ近くにある自分の席に着くのと、対角線の頂点にいた彼女がぱたぱたと駆けてきて両手をつくのはほぼ同時だった。もちろん円佳が先ほどの腹痛の後遺症たる気だるさを覚えていたのも一因だったが、机や椅子の合間を縫って跳ねるように駆けてくる少女の身のこなしこそ賞賛されるべきだろう。
 少女の名は、海野愛佳。漢字は違うが名前の読みは円佳と同じ、まどか、である。もっとも、同じクラスで同じ読みが2人で紛らわしい上、愛佳の方がまどかという読みが想像しにくい。誰かが間違えて読んだ「あいか」を愛佳自身が「あいかの方が可愛いからそっちでいいよ」と言ったことから、女子にはほとんど「あいか」と呼ばれている。円佳もそう呼んでいるし、愛佳自身の一人称も、入学1年経たないうちに「あいか」になっていた。「あぃか」、というように中間の音を弱く、2音節のように可愛らしいソプラノで発音するのを聞くと、その姿、振る舞いの印象にぴったりに思え、その愛称には誰も違和感を抱かなくなっていた。
 身長は円佳の目線ほど。頭の両脇に、つむじとほぼ同じ高さでリボンでしばった髪が、首筋よりやや下まで二房、流れ落ちている。円佳の髪のような黒く輝くつやはないが、赤みが混じったその色は彼女の活発さを見事に表している。その髪に包まれた表情、目は大きく丸く、朝の眠気など微塵も感じさせない。微笑を浮かべる口元はわずかに開かれ、次の言葉を発するのを楽しみにしているようにすら見える。
「……何か、いいことでもあったの?」
「うん!!」
 体全体を沈めるような大げさな動作でうなずく。二房に分かれた髪、額に薄くかかる前髪が一瞬遅れて重力の命令に従った。
「あのね、昌弘くんうちに受かったんだって! 運動特待で!!」
「昌弘君って……たしか、愛佳のいとこの?」
「うん。昨日わかったみたいで、すごく嬉しそうだったよ」
 そう話す愛佳も、話の内容に劣らず嬉しそうだ。愛佳は高等部からの入学だが、その持ち前の明るさで、中等部からの生徒たちの輪にもすぐに溶け込むことができた。中でも円佳とは1年から同じクラスで、また名前が似ていることが話すきっかけとなり、愛佳の性格もあってすぐに打ち解け、今では一番の仲良しといっても過言ではない。
「運動特待って確か……野球部だっけ?」
「うん。甲子園で投げるんだーって、もう練習始めたんだって。あぃかもがんばらなくっちゃ」
 両手を肩の高さまで上げて、しゃん、と手首を振る。それだけなら意味のない動作にも見えるが、円佳にはわかっていた。再び揺れた髪と同じ動きをする物体を持っているのが、いつもの愛佳の姿だから。両手に持つものはビニールの切れ端でできたふわふわの球形……ポンポン。チアリーディング部のエースと言われる愛佳の象徴ともいえる存在だった。
 余談だが、スポーツチアリーディングと呼ばれるものを除いて、チアリーディングにおいてエースと呼ばれるためには、技術や運動神経以外に、先天的にある要素を備えていなければならない。もちろん愛佳は、その要素――容姿――に関しては超一流の素質を備えている。男子の評価という点ではクラス内どころか学年内を二分するほどだ。もっとも、本人には特に気になる男子はいないらしい。ただ時々話に上がる「昌弘くん」をどう思っているのかは円佳も教えてもらっていないが。
 さらに言えば、こちらも本人に意識はないのだが、二分されるもう一方の男子の視線は、同じ机を挟んでいる円佳に注がれているのだ。子供らしい爛漫な愛佳の魅力とは逆の、大人らしい落ち着いた魅力だった。他のクラスの男子からは、クラス編成に対する不評の声すらあがったらしい。……もっとも、円佳のほうも気になる男子はいないといつも答えている。

「誰かさんのおもりが忙しくて、それどころじゃないわよ」
「その誰かさんは? 気にならないの?」
 二つ目の質問を投げかけたクラスメートは、愛佳を含めて10人以上に上るが、いずれも返答は同じだった。
「はぁ? あんなやつ、男子じゃなくてただのお子様よ」

「風見くんも、ちゃんと野球部に入ってくれたらいいのにな。そしたらすごく強くなるよきっと」
 いつもチアリーディング部として応援しているだけあって、愛佳は時々野球部のマネージャーのように振舞うことがある。
「え? やめといた方がいいって。あんなの入れたら問題起こして出場停止よ」
 建設的とも思える愛佳の提案を、円佳は文字通り切って捨てた。
 悪意あってのことではない。円佳も、ふらふらしてないでスポーツにでも打ち込めと、運動部入部を京助に勧めたことがあったのだ。どれも持ち前の運動神経で適応してみせるのだが、飽きっぽい性格で長続きせず、文字通り各部活を転々とする有様だったのだ。円佳は中等部時代からその一部始終を見てきている。

(あ……)
 京助の話題が出たことで思い出した。鞄をまだ返してもらっていない。学校の入口か、昇降口で待っているものと思っていたし、最悪教室で会えると思っていたのだ。だが、いればすぐにわかるその姿は教室に、ない。
「愛佳、風見君ってまだ来てないの?」
「うん。いつも通り遅刻だと思うけど。どうかしたの?」
「う、ううん……なんでもない。もう……今日ちゃんと来なかったら、13日連続よ遅刻!」
 強い語調で内心の動揺をごまかす。

「風見君なら、10分くらい前に屋上で見ましたよ」
「え……?」
 落ち着いた……というよりは物静かな男子の声が響く。
「校旗が少し下がっていたので様子を見に行ったんですが……帰りにすれ違いまして」
 丁寧すぎる語調は、その語調に恥じぬ顔つきの男子から発せられていた。円佳のものより細く薄いフレームの眼鏡をかけた、真面目というよりは神経質そうな男子。生徒会書記を務める、林葉秀範というのが彼の名だった。

「ねえ円佳ちゃん、風見くん、また授業サボるつもりなんじゃないかな?」
「そうね。そうとしか考えらんない」
 きっ、と教室の入口を見据える。その漆黒の瞳の中では、決意の炎がめらめらと燃え上がっていた。
「……僕が、連れ戻してきましょうか」
 その瞳の炎を2枚のレンズ越しに見据えて、秀範が声をかける。
 円佳は一瞬だけ目を合わせ、すぐ視線を逸らせて立ち上がった。
「ううん、やっぱりこれはクラスの問題だし……生徒会の林葉君の手を煩わせるわけにはいかないわよ。私が行かなくちゃ……ね」
 ため息をつきながら円佳が告げる。それを聞いて、秀範は肩をすくめてうなずいた。
「そうですか……わかりました」
「じゃあ愛佳、あのバカ捕まえてすぐ戻ってくるから」
「うん、いってらっしゃい」
 教室を駆け出していく円佳を、愛佳は机の横にしゃがんだ体勢のまま見送った。その姿が見えなくなって初めて、立ち上がる。
「もう……円佳ちゃんったら、ぜんぜん素直じゃないんだから……そうだよね、林葉くん?」
「……ええ、そうですね」
 そうつぶやく彼の表情は、一秒の逡巡にもかかわらず全く変化しなかった。


  ヒュゥゥゥゥゥゥッ……
「きゃ……」
 屋上の扉を開けると、その隙間から冷たい風が吹き込んでくる。北西の季節風が、冠雪したアルプスの山々から吹き降ろす強風。円佳の長い黒髪が、スカートの裾がその風にはためき、ざわめきのような音を立てる。

「ぁ……」
 その風に向かって。
 円佳の目の前を、もう一つの風が走り抜けた。

 向かい風をものともせずに、さっき円佳が1分をかけて歩いたのと同じ距離を、まさにその十分の一の時間で、風の一字を苗字に持つ青年は駆け抜けていた。
 風のざわめきがどこかに消えたかのように、その足が地面を蹴る音だけが規則正しく響く。
 その脚が止まったのは、屋上の端の柵、そこからわずか1メートル。トップスピードから静止に至るまでには、わずか数歩の距離しか要していなかった。

「……あれ、いいんちょ、どーしたんだこんなとこで?」
 円佳が我に返ったのは、彼女の意識を奪った本人に声をかけられた瞬間だった。
「え、あ……」
 当然、呆然自失状態である。
(わ、私……えっと、何しに……)

「そ、そうよ、風見君、私の鞄!!」
 たっぷり10秒ほどの静止の後、やっと円佳は本題を思い出したのだった。ちなみにその間、京助は円佳の顔を上下左右から覗き込みながらぐるりと彼女の周りを一周していた。
「え……あー、鞄かぁ。すっかり忘れてた」
 そう言って、階段から続く扉がある突き出した4階部分の裏へと入っていく。彼の姿が消えた瞬間、彼女の聴覚と視覚を吹きすさぶ風が満たした。ざわめきが再び大きくなり、なびく黒髪が視界を奪う。

 その風が収まった後、円佳の目の前には彼女の鞄を手にした京助が立っていた。
「ほら、返すぞいいんちょー」
 ぽい、っとその鞄を投げてよこす。
「あ……ありがと……」
 本来なら礼を言う場面ではない。それどころか、鞄を無理やり奪ったことを糾弾する権利が彼女にはあり、そうしようと思って教室を出てきたのだった。だがその決意の光は瞳の中から消失し、次の瞬間には吸い込まれるように胸の前に手を差し出していたのだった。

 宙を舞った鞄が彼女の差し出した手に吸い込まれる――かに見えた。
 だが、円佳はその鞄を受け止めることはできなかった。

「――いただきっ!!」
 鞄を投げた京助の姿は、その時円佳の視界になかった。
 声が聞こえたのは左の耳元。
 円佳の視線が横に向いた時、すでに京助の姿はそこになかった。
 彼が上体を屈めていたゆえだったが、円佳がそのことに気づくより、京助の企み……いたずら心が結果を結ぶ方が早かった。

  ぱさっ……。

「え……」
 彼女の腰の辺りで響いた音は、吹き付ける風の中でもはっきりと彼女の耳に届いた。何が起こったか見るより先に、太腿とお尻を吹き抜けていく風の冷たさが、円佳の心を包んだ。
 下半身に直に風が当たっている。……めくれ上がったスカートは、その下に覆われるべきものを隠してはくれなかった。風からも。京助の視線からも。

  どさ……
 受け損ねた鞄が手を弾き、地面に落ちる。その間も、風のいたずらは円佳のスカートを捲り上げたまま、腰にまとわりつかせていた。
(スカートの……中……)
 めくれ上がったスカートの下には、当然円佳が身に着けている下着がのぞいている。だが、常日頃ならともかく、円佳の下着、そのお尻の部分は、今……。
(あ――――!!)

「いいんちょーのパンツの色は…………げっ!?」

 その瞬間、二人の間の時間は停止した。
 理性の限界を超えた驚きと、理性の限界を超えた羞恥のために。

(風見君に……見られた……!?)
 茶色に汚れた下着を。
 水状の便を漏らしてしまった下着を。

「あ……あぁ……」
 崩れるように座り込む。屋上のコンクリートの冷たさよりも、熱い熱い恥ずかしさの奔流が彼女の心を満たしていた。

「い、いいんちょ……今の……まさか……」
 あんぐりと口を開けたまま彼女を見下ろす京助。その推測は当然正しかった。ショーツに茶色の染み……これが何を意味するか、小学生にもわかることだった。

「あ、あの……これは……その……」
 言い訳の言葉すらも出てこない。だが、言い訳をしたところでどうなるだろう。たとえお腹を壊していて我慢できないほどの激しい下痢をしていたと言っても、それはお漏らしをした事実を消すどころか、その光景を想像させる材料を増やす効果しかない。一度押されたお漏らしの烙印は、決して消えることはないのだ。

「……すっげー!!」
「……!?」
 視線を上げた円佳の表情に写ったのは……京助の顔。歓喜をわずかに交えた驚きの表情だった。
「すげー、いいんちょがうんこ漏らしてる!!」
「っ……!!」
「なあ、ハラ壊してたのか? ガッコ来る途中で漏らしたのか?」
「…………っ……」

 矢継ぎ早に繰り出される質問。
 円佳は答えられなかったし、答える気もなかった。
(なんで……なんでそんな、嬉しそうな顔するのよ……)
 見られた瞬間、羞恥の次に心を満たしたのは、嫌われる、という思いだった。もともと好かれているとは思っていないが、汚いと罵られるくらいは覚悟していた。
 そして……限りなく薄い期待として、優しく慰めてくれたらいいな、と思ったのである。もっとも、京助に対してそんな光景は想像すらできなかったが。

 だが、京助の態度から感じられるものは嫌悪でも同情でもなかった。
 それは純粋な好奇心。
 円佳に突然訪れたアクシデントを、滅多に見られないものとして珍重する……そんな気持ちだった。小学生の男子が野糞の跡を見つけて棒で突っつくのと変わりない。
 そう思った瞬間、円佳はとてもみじめな気持ちになった。

「いいんちょのお漏らしなんて、大ニュースだぜ……みんなに教えてやろっ」
「!!」
 限界まで沈んでいた円佳の心が、その一言によって沸騰する。
 他の人に知られたくないという羞恥。京助の態度に対する言いようのない不満。そして、このような事態を招いてしまった自分への怒り。
 錯綜する感情が、円佳の右手に宿った。

  パシィン!!

「……ぐ……」
 左頬を渾身の力で叩かれた京助は、わずかにうめき声を漏らした。
「ぁ……」
 自分が放った平手打ちの音で我に返った円佳は、自分がやってしまった事の大きさに気づいた。
 手を上げたのは初めてだった。今まで、京助がどんないたずらをしても、追いかける、捕まえる、文句を言う……ということはあったが、本気で叩いてしまったのは初めてだった。
 京助の態度は、今このときも、悪ふざけの範囲を出るものではなかった。それに相応しいあしらい方があったのかもしれない。だが、円佳はその一線を踏み越えてしまった。
(わ……私のせいじゃない……元はといえば風見君がすべて悪いんだからっ!!)
 そう思うしか、円佳が自分の心を守る手段は残されていなかった。

「いいんちょ……」
「いい加減にしてよっ!! 私だって……わ、私だって……」

 辛かったのは、苦しかったのは自分の方なのに。汚したくて汚したわけじゃないのに。少しくらいなぐさめてくれてもいいじゃない……。
 続く言葉がいくつも、円佳の頭の中を駆け巡る。だが、口はかすかに嗚咽を紡ぎ出すだけで、残りの言葉はまぶたに滲んだ涙に閉じ込められていた。

「……ぐす……ぅっ…………」

 それでも、涙腺は決壊しない。レンズの向こうに水滴をたたえながら、彼女の目はしっかりと京助を見据えていた。

「………………ちぇっ」

 風のざわめきが三度、二人の間を満たした後、先に目を逸らしたのは京助だった。
 腰に手を当ててため息をつく。視線を落として、円佳に一歩、二歩と近づく。

「な、何よ……近寄らないでっ!!」
「ほらよ」
 京助は円佳の手前で身をかがめ、地面に落ちた鞄を拾った。それを、彼女の前にずいと突き出す。

「…………」
 円佳は憮然としたまま鞄を受け取った。が、その気丈さはもちろん、とめどなく湧き上がる羞恥心を押さえ込むために、無理をして作っているものに過ぎない。いくつかの透明な流れが頬を伝ってもまだ、彼女のまぶたには一杯の水滴が残されているのだ。

「授業、受けりゃいーんだろ」
「あ……」
 すれ違いざまにそういい残して、京助は階段へと去っていった。円佳にはもう、追う気力も体力も残っていなかった。

(見られちゃった……風見君に、お漏らしの跡……)

 円佳はその場にへたり込んだまま、呆然と数分間の出来事を思い返した。自分がお漏らしをした事実。それを京助に見られた事実。それは決して消えることがないのだ。
 ほんの数十分前には、今までどおり、何年も変わらなかったように、他愛のない追いかけっこに興じていたはずなのに、今ではそれが遠い遠い昔のように感じる。そして、過去のものと感じて初めて、円佳はその時間が大切なものだったということを自覚したのだ。
 だが、今となってはそれは失われた過去にすぎなかった。男と女としての関係はお漏らしショーツを見られたことで、悪ガキと委員長としての関係は本気の平手打ちを浴びせてしまったことで、根底から崩れ去ってしまったのだから。二人の間にはただ何もない空間、その確かな距離だけが横たわっていた。

  キーンコーン……。

「…………」
 始業ベルが鳴る。
 が、円佳は座り込んだまま動けなかった。委員長という立場が彼女に教室に戻ることを促すが、もう円佳は自分をそんな立場にあるとは思っていなかった。ただの無力な一少女が、吹きすさぶ風に身をさらしていた。


「円佳ちゃん遅いね……」
 教室では、話し相手を失った愛佳が、生徒会役員の林葉秀範と向かい合っていた。この二人の仲は悪い方ではないが、屈託のない愛佳の性格からすれば、それほど話が弾んでいるわけでもなかった。
「そうですね、ミイラ取りがミイラになってなければいいんですけどね」
 こういった秀範のゆったりした言い回しが、愛佳の快活なリズムに合わないのかもしれない。

「ん……」
 秀範が教室の入口に視線を向ける。引き戸が開くかすかな音を聞き取ったのだ。一瞬遅れて、愛佳も同じ方向を向く。

 ……入ってきたのは風見京助。一人だった。

「……ねえ、林葉くん?」
「はい?」
 想像していなかった光景に、愛佳も自分のリズムを失った様子である。少し遅い口調で、言葉を続けた。
「……ミイラだけが帰ってきてミイラ取りが帰ってこないのって、どういう諺になるのかな?」
「………………さあ、聞いたことがないですね」
 秀範がそう気のない返事をしたのは、本当に適切な諺を思いつかなかったのか、考えるのを途中でやめてしまったのか。いずれにせよ、無言で席に着く京助を見ながら、二人が思ったのは同じことである。

 円佳はどうしたのだろうか、と。



「うぅ……はぁっ…………ぁっ……」
 円佳はすでに屋上を離れていた。
 精神状態が回復したのではない。それどころか、身体状態が悪化したために、彼女は放心状態からの復帰を強制されたのだった。

 吹き付ける風の寒さ。
 ストッキングをなくした、むき出しの脚。
 スカートめくりを受けた際に、風を吹き付けられた下腹部。
 数十分前に、その調子を激しく狂わせていたお腹――。

  グギュルルルルルルルルッ!!
「……えっ……ああぁぁっ!?」

 下痢が再発することは想像に難くなかった。……彼女以外の人間には。
 腹痛と腹鳴りと便意が放心の海からその姿を現したとき、すでに彼女の直腸には液状便がたっぷりと充填され、湿り気すら残す肛門を激しく圧迫していたのである。

 本来使うべき自分の学年のトイレは2階にあるが、そこに向かう余裕は残されていなかった。円佳には登校時と同じ選択肢しか残されていなかったのだ。「一番近いトイレに駆け込む」……3階にある3年生用のトイレに。始業ベルが鳴って生徒が教室に戻っていたことが、彼女には幸いした。

 だが、屋上の冷たい風に長い間さらされた彼女の腹具合は、公園のトイレに駆け込んだ時よりさらに悪化していた。屋上で便意に気づいてからわずか2分、鞄を持った手でお腹を押さえながら内股で階段を駆け下り、廊下からトイレに至るドアを開けた時には、円佳はすでに限界を迎えていた。

  ギュルギュルゴロロロロロロログギュルッ!!
(だ、だめ……出ちゃだめっ!!)
 肛門が盛り上がる熱い感覚が意識を満たし、反射的に円佳はスカート越しにお尻の穴を押さえた。グッ、と指先に力を込めた瞬間、圧力のつりあいに押しつぶされた肛門がすさまじい熱さと痛みを訴える。だが、そのつりあいは一瞬しか続かなかった。
 直腸内の圧力は、登校の時より倍増していた。
 お尻の穴は、排泄時の緩みからまだ回復しきっていなかった。
 苦しみに満ちた我慢を支える精神力も、彼女には残っていなかった。

  ギュルギュルギュルギュルーーーーーーーッ!!
(やだ……出ちゃうっ……!!)
 敗北の予感。

  ブビジュルッ!!
「ぁ…………」
 その予感は、一秒も経たぬうちに現実に変わった。現実の感覚に変わった。スカート越しに肛門に当てた右手に、温かい湿り気がにじんでいたのだ。もちろんおならなどではない、液状便のお漏らし。それも、ショーツを越えてスカートにまで染みるほどの量、である。

  ビュルッ!! ビュルルッ!!
「や、やだっ……!!」
 熱いもの……もとい液体が肛門を流れ抜け、わずかに押さえつけが緩んだ指先を、湿り気などではない水そのものが包む。反射的に円佳は指を離した。このまま押さえつけていたら、ショーツのみならずスカートまでもが液状便まみれになってしまう。外を歩けないような状態になるのは避けねばならなかった。

  ピュルピュルルッ!! ピシュルルルッ!!
(漏らしてる……私……あぁっ……)
 外からの圧力を失ったお尻の穴から、液状便が流れ出す。もっともその内側は直腸から下ってくる液状便で一杯であり、外側はショーツに漏らした液状便で一杯である。水をかき混ぜるだけのような、音のない……それでもお尻の穴にははっきり伝わってくる排泄が続く。

(は、早く……トイレ……ウンチ……)
 個室の外とはいえ彼女はトイレの中におり、また彼女が排泄しようとしているものも大便と言うより汚れた水である。そんな判断すらできないほど、彼女の精神は排泄欲求に支配されていた。
 その欲求とひとかけらの理性が命じるまま、ふらつく脚を前に出す。洗面所を通り過ぎる数歩が、限りなく遠い。

  チョロ……
  チョロチョロロ……
「っ……!!」
 脚に違和感。ショーツの中に着々と蓄えられていた液状便が、歩くことでできたショーツの隙間から脚に流れ出したのだ。ストッキングも靴下もない、付け根から足首までむき出しの肌。そこに茶色い筋が一本……二本、三本……。

「くっ……」
 一番手前の個室、半開きのドアを倒れ込むようにして開ける。片足を個室の中へ下ろそうとした瞬間、彼女のお腹が何度目かわからない悲鳴を上げた。

  ゴロロロロロロロッ…………!!
「あ……あぁ……っ……」
(もう……もうヤダ……助けて……)
 ……もちろん、円佳にはなす術がなかった。
 肛門が焼き切れるように熱くなり、そして……。

  ビチブジュビジュゴボボボボボボボゴボゴボボボッ!!!

 一気に吐き出された液体便が、尾てい骨に密着したショーツをも押し広げた。流れ込もうとする気体と液体が無秩序に泡を作っては弾け、ショーツ越しに炸裂音を響かせる。もちろん、溜まるだけでなくあふれ出してもいる。円佳の左足が個室の中の地面に着く前には四本だった茶色の流れは、地面を踏んだときには十一本になっていた。両足を伝うだけでなく、ショーツのクロッチの部分からも、水滴が連続して滴り茶色の小滝をなしている。

「うぅっ……」
 もう一歩、右足を出して便器をまたぐ。次いで左足もその横に。お尻の位置が移動するにつれて、そこから降り注ぐ茶色の水流も位置を変え、リノリウムの床から陶器製の便器の淵、水が張られた和式便器の中へ、そして反対側の床へと落下点を変えていた。材質こそ異なるがいずれも真っ白な色を、薄い色ながらはっきり汚物とわかる茶褐色が塗りつぶしていく。

  ガチャッ!!
  グギュルルルルルルルッ!!
「くっ……!!」
 ドアを閉めた瞬間、腹痛がその波を再び荒立てた。際限を知らず高まりゆく苦しみの中、円佳は倒れるようにしゃがみながら鞄を前方に投げ捨て、スカートをお腹の前に集め、むき出しになったショーツ……下半分に溢れそうな水様便を溜め込んだショーツを下ろした。ショーツを満たしていた汚水が滝のように流れ込む――と同時に、彼女の肛門はもう一つの滝を作り出していた。

「んーーっ!!」
  ブリビジャァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
  ドポポポポポ……
  ビジャバジャバジャビジャジャジャッ!!
  ジュバッ!! ジュビビチャビチャビチャビシャァァァァッ!!

 便器の底が削られるのではないかというほど、すさまじい勢いでの放水。それはまさに全開にした水道の蛇口であった。十円玉ほどもある太さの茶色の水流が、途切れることのない柱となって、円佳のお尻とそれを受け止める便器の間、およそ20センチの距離を5秒にわたって結び続けた。
 さすがに陶器を削り取るまでは行かなかったが、便器の底に張られていた水を茶色に染めながら跳ね上げるには十分な勢いだった。便器の側面、淵の盛り上がり、外の床面……すでにお漏らしショーツからこぼれていた汚水の茶色の上を、新たな茶色が上塗りしていく。さらに、すでに脚を伝っていた液便の筋がその上端に染み込んでいた布製の上履きにも、同じ色が点々どころかまだら模様をなすほどたっぷりと降りかかっていた。高圧大量の液状便は、和式便器にまたがっての正常な排泄であっても、その足元に回復不可能な被害をもたらしてしまうのだった。

  グキュルルルルルルッ……
(なんで……これだけ出したのに……なんでお腹がこんなに痛いの……っ!!)
  ギュルゴロロロロロギュルルルルッ……
「あぁ…………」
  プジュッ!!
  ビジュルルルジュビッ!!
  ブリビチッ!! ジュブビリュッ!!
  ビチチチブリッ!! ブッ、ブバババババババッ!!
 収まるどころか強くなる腹痛と、便意を感じる間もない放水。嫌いな洋式トイレでの不安定な体勢での排泄とは異なり、和式で落ち着いて排便ができるはずなのに、あまりにひどすぎる腹具合がそれを許してくれなかった。お腹とお尻の痛みが交互に円佳を襲う。左手で激しく腹部をさすり、両膝の間に渡した右腕に顔を押し付け体を強張らせても、その痛みは決して消えてくれなかった。

(お、お願いだから出るなら早くーーっ……イタイ……お腹イタイよ……)
  ビュルビュルビュルルルルッ!!
  ドポポポッ!!
  ビジャビジャビジャッ!!
  ジュブピピピッ!!
  ブリビチピブブブブッ!!
 そもそも、排泄そのものが円佳の意思を離れてしまっていた。出そうとお腹に力を入れても出ず、気を抜いた瞬間にお尻から水流が噴き出す。円佳の苦しみをあざ笑うかのように、便意の間欠泉は活動を続けていた。

  ビチビチッ……
  ジュビプボッ……
  ジュブビビビビビビッ……
  ビジュビジュビジュッ……
  ジュルルルルルビッ……
  トポトポトポ……
  ビジャッ……
  ジュビ……
  ブッ……

「……っはぁ……はぁ……ぁぁっ…………」
 その間欠泉が活動をやっと停止したとき、円佳は息も絶え絶えで、今にも倒れてしまいそうな状態だった。すっかり血色を失った表情は、涙と脂汗でぐちゃぐちゃになっていた。さらにしゃがみこんだ足腰は震え、その両手はしきりに下腹部をさすっていた。排泄が止まってもなお、差し込むような腹痛が円佳を苛み続けていたのである。今また液状便が噴き出してもおかしくないほどの痛みだった。
 その中で、円佳は自らの排泄の後始末をしなければならない。とても円佳一人が出したものとは思えない便器一杯の汚水からは、鼻を突く強烈なにおいが立ち上り、彼女の嗅覚をすでに麻痺させてしまっている。さらには、便器の側面、淵、外側の床、果ては個室の外にまでも、飛び散った便液が滴、あるいは水たまりを作り上げている。そして彼女の体……お尻の穴からは今もポタポタと茶色の滴が滴っている。太ももやふくらはぎに伝った液便の筋はその下の靴まで達して消えていたが、しゃがんでからは肛門からお尻の球形の頂点にかけて二本の筋が伝っていた。今も肛門からに加え、その2頂点からも滴がこぼれている。そして……極めつけはいまだ両足首にかけられたショーツ……だった汚物である。その面積の半分以上を茶色に染め、ここからもまだ汚液が滴り続けていた。京助に見られた最初のお漏らしの跡がどこにあるかわからないほどの汚れ方である。

 排泄前は、急降下するお腹の違和感と、激しく波打つ便意との瀬戸際の戦い。
 排泄中は、締め付けるような腹痛と、灼熱感のあるお尻の痛みの波状攻撃。
 排泄後は、じくじくとお腹を突き刺す痛みと、便意の再発におびえながらの後始末。

 通常の排便なら、それに先立つ我慢が多少苦しくても、排泄中排泄後にはすっきりとした快感を味わうことができる。便秘であっても、排泄に多少の困難を伴うだけで、排泄後にはそれ以上の爽快感が待っているだろう。だが、下痢に至っては、我慢の苦しみは忍耐力の限界を極め、排泄中の痛みはお尻の粘膜を傷つけるほどに激しく、さらに排泄後にも終わらない苦しみを味わい続けることになるのだ。身も心も一瞬たりとも休まる時がないのである。その下痢の中でも間違いなく劇症に分類されるものにお腹を冒されてしまった円佳は、これまでの17年間の人生で最大の苦しみにあえぎ続けていた。


「ふぅ…………くぅっ!?」
  じゅくじゅくっ……
 10分を越える後始末を終えて個室の扉を開けた瞬間、円佳のお腹が再び強烈な痛みを発した。
「…………」
 呼吸を止めて一秒、円佳は襲ってくるかもしれない便意に対して身構えた。なにせもう下着はなく、しかも肛門はその締め付けをほとんど失っているのである。気を抜けば垂れ流し状態になることは容易に想像できる。

(……だ、大丈夫みたい……大丈夫よね……?)
 意識すらもお腹を刺激しないように弱々しくなっている。その気遣いのせいか、彼女のお腹は唸りを上げて駆け下る様子は見せず、再び沈黙……もとい、鈍い痛みという平衡状態に戻ったのだった。

  ジャーーーーーーーーーーーーー……
(やだ……泡がこんな色にっ……)
 洗面所の水道の前にやや前かがみに立った円佳。その両手に十分につけたはずの石鹸の泡が、瞬く間に変色していった。
 もちろん茶色に、である。ペーパーで拭き取っても拭き取りきれなかった手のしわの間の便液の汚れが、石鹸と水で溶かし出されたのである。
 後始末……手を汚さずにすることは不可能だった。肛門を拭き、お尻の肌を拭き、脚に伝った液便の流れを拭き、水便まみれのショーツを脱ぎ、その水分を拭き取り、紙でくるんで汚物入れに捨てる。その後に床の掃除……それは、円佳がしてしまった恥ずかしい排泄行為の再確認でもあった。心を痛めながら、手を汚しながら、自らの心にはっきり刻まれた排泄行為の痕跡を、他人に知られないためだけに消していく。
 そう、もはやここに至っては、排泄現場を人に見られていないことだけが、円佳の心のよりどころだった。お漏らししたショーツを京助に見られてしまったけれど、排泄の現場そのものを見られたわけではない。あまりに惨めな羞恥心のひとしずくが、円佳の最後の希望だった。

(……こんなお腹じゃ、授業なんて絶対出られない……)
 円佳はそう判断した。授業中に便意に襲われたら、トイレに行くどころか椅子から立つことすらできずお漏らしに至ってしまうかもしれない。そうしたら京助はもちろん、愛佳にまで一番恥ずかしい姿をさらしてしまう。そもそも教室に行くことが怖い。京助と顔を合わせるのが怖い。どういう顔をして会えばいいかわからない……。

(……早退しよう……それしかないわ……)
 幸いにして鞄は手元にある。保健室にでも行って早退の旨を伝えれば、あとは家までたどり着くだけである。教室の中に入る必要は……。

「あ――――」
 血色の悪い顔に朱を差して口を開ける。
(……だ、大丈夫、あれはロッカーの中だから……)
 円佳の手が膨らみの少し上の胸に当てられた。
 左手が体の下腹部以外の場所に触れるのは、実に数十分ぶりだった……。



「風見くん!! 円佳ちゃんに何したの!!」
 教室。水道に水を飲みに行った愛佳は、廊下で出会った担任の先生に呼び止められ……すぐ教室に駆け戻って、珍しく席に着いている京助に詰め寄っていた。
「な、なんだよ……いきなり」
「円佳ちゃん早退したって……風見くん、円佳ちゃんが嫌がるようなことしたんでしょ!!」
 ばん、と京助の机に両手を突く。二房の髪がふわりと舞うが、小柄な彼女の体重ではさほどの音が立たない。
「……知らねーよ」
 愛佳の勢いを前にしても、京助は意に介さなかった。もっとも、普段の子供っぽい明るさは影を潜めていた。
「体調が悪いからって、先生言ってたけど……教室にいたときは元気で……」
 そこで言葉を詰まらせる。普段と変わらない態度の中にも、円佳の表情に疲れの色が見えていたことを、愛佳の理性ではなく感性が覚えていたのだ。
「体調がわりぃのはホントだよ。それだけで早退するかは知らねーけどさ……!!」
 ガタッ、と椅子を後ろに動かし、立ち上がる。愛佳は反射的に一歩後ずさった。京助の言葉に、今まで感じたことのない怒気が含まれていたからだ。その怒気は円佳にも愛佳にも向かうものではないのはわかったが、誰に向けてのものなのかはわからなかった。

「あ……風見くん!!」
「…………」
  ガラッ……。
 愛佳の言葉を聞いてか聞かずか、京助はそのまま教室を出て行ってしまった。
  キーンコーン……。
「ぁ……」
 追おうとした愛佳の足を、チャイムの音が止める。
(……円佳ちゃん……どうしちゃったの……?)
 足を止めたまま、愛佳は突然姿を消してしまった親友のことを思う。今までの円佳の姿からは、今彼女が陥っている苦境を想像することは愛佳にもできなかった。後にこの苦しみを限りない共感をもって理解することになる愛佳にも。



「うぅ……あぁぁっ…………」
 そう、円佳は今また苦境に陥っていた。排泄前、最中、その後と苦しみが続くこともさりながら、その便意と排泄が何度も繰り返し襲ってくることが、下痢の最大の苦しみなのである。
 もちろん、便意の再発が時間の問題であることはわかっていた。その時間が、たまたま最悪の位置で訪れただけなのだ。……通学路のちょうど中間で。

 もはや選択肢を浮かべる余裕もなく、彼女は一番近いトイレを目指して走った。その場所はわかっていた。そこはわずか1時間ほど前に駆け込んだ場所だからだ。二度と使うまいと思った彼女の誓いは思考に浮かびすらしなかった。それは今現在の円佳の便意と忍耐力の力関係をはっきりと示していた。

「えっ…………えぇぇっ!?」
 あふれそうな汚水を必死に肛門で堰き止めながら自然公園のトイレにたどり着いた円佳。
 彼女を待っていたのは、トイレの中から響く水音と何かを擦る音、そしてその様子を示す三文字、「清掃中」の表示だった。

(う……ウソ……そんなっ……こんなことって……)
 トイレに駆け込んで排泄する、汚水を吐き出すことだけが彼女の望みだった。もう洋式の便器に座ることもいとわないほど、彼女は排泄のことしか考えられなくなっていた。
 だが、その排泄ができない。清掃中の表示の下には「もうしばらくお待ちください」とある。だが、彼女の体は、そんな指示を守ることはできそうになかった。

  ギュルルルルルルウゥゥゥーーーーッ……!!
「あ、あぁっ……」
 ガクガクと足が震える。便意が高まり肛門が開きそうになる。涙が出そうなほどの苦痛をこらえながら、必死の我慢を続ける円佳。額にじっとりと浮かんだ汗がその苦しみを象徴していた。

「す、すみませんっ……」
 もうなりふりをかまっていられない。掃除中の人に言って、トイレを使わせてもらおう。それしか再度のお漏らしを免れる方法はないのだから。

  シャカ、シャカ……ジャブジャブ……
「……あ、あのっ! すみませんっ!!」
 掃除の水音に阻まれながらも、絞り出すような声で訴える。その訴えが通じたのか、トイレの奥から掃除の担当者が顔を出した。頭髪の3割が白くなった温和そうな初老の……男性だった。

(うそ……男の人……!?)
 共同トイレだから十分ありうることだったが、もし願い叶って清掃中に個室を使わせてもらうことになったら、この人に音を聞かれながら排泄することになるのである。

「おやおや、こりゃまた綺麗なお嬢ちゃんじゃな、どうしたね」
「あ…………」
 デッキブラシを持った老人が目を細めてつぶやく。円佳は言わなければならなかった。下痢でうんちを我慢できないから今すぐトイレを使わせてほしいと。が、事実をそのまま言葉にするのは、円佳にとってあまりにも恥ずかしい行為だった。

「す、すみません……あの……トイレ……使わせてくださいっ……」
  ギュルギュルギュルギュルッ……
 円佳のお腹から響く音はもう止まらなくなっていた。その音が、彼女の言葉よりもはっきりと、その体の苦しみを伝えてくれる。

「おやおや、困ったの……男の方はかまわんのじゃがの……女の方はちぃと無理じゃな」
「そ、そんな……お、お願いです! 私お腹壊してて、本当にもう……」
 円佳はお腹をさすりながら訴えた。その訴えには一片の偽りも誇張もなかった。今にも彼女の肛門は決壊しそうなのである。だが、返ってきた答えは変わらなかった。

「いやいや、使わせてやりたいのはやまやまなんじゃが……どこぞの不届き者が、便器から床までぐっちゃぐちゃに汚しておっての、掃除せんと使えそうにないんじゃよ。あと10分はかかるかのお……」
「え……!!」
 円佳の驚愕の表情は、思いもよらないことを聞かされたからではなく、心当たりがありすぎることを聞かされたからである。1時間前、このトイレの個室を便器から床まで一面下痢便で汚してしまったのは、他ならぬ円佳本人なのだから。

「水みたいなひどいビチビチの糞がな、便器の中から外まで、床から壁まで撒き散らしてあってな……足の踏みようもないんじゃ。腹を壊してるなら壊してるで、便器に座るまで我慢できんとは呆れたもんじゃ、後始末もせんで逃げおって、どこのクソガキやら…………いや、子供があんなたくさんの糞はせんな、頭がおかしいデブオヤジかなんかじゃな……迷惑千万じゃよ、なぁお嬢ちゃん?」
「…………」
 円佳は言葉を失っていた。円佳に対しては全く悪意のない、老人の言葉が胸に突き刺さる。大人はもちろん、子供でもしない、正気の人間は決してしないような行為。円佳が1時間前に行ったのはそんな行為だったのだ。円佳もしようと思ってしたことではないが、自分がしでかした結果からの言い逃れはできなかった。あまりの衝撃に反論はおろか、知らん振りをすることもできず、円佳はその場に立ちつくしていた。

「……と、すまんすまん、こんな綺麗なお嬢ちゃんにする話じゃあなかったの」
 円佳の胸はさらに痛んだ。老人はこんな下品な話は円佳に似合わないと言うが、その目の前の女子学生が、この個室汚しの真犯人なのである。綺麗どころか汚さの極みなのである。本来なら、その事実を言って謝らなければならない……だが、そんなことはできようはずがなかった。

「そういえば、大丈夫かね、お腹の具合が悪いんじゃろ?」
「え……い、いえ、大丈夫で……」
  ギュルゴログルルルルルルギュルッ……!!
「あ……だ、大丈夫ですっ!! 何でもないんですっ!!」
 円佳は前かがみのまま後ずさって、トイレの床から外の土の上に出た。もしお腹の調子が悪いことを知られてしまったら、あの下痢便を出したのが円佳だと気づかれてしまうかもしれない。そうなったら生きていられないほどの恥辱である。

「おーい、お嬢ちゃん!?」
「すみません、別のトイレ行きますから……すみませんでした、失礼しますっ!!」
 そう言って円佳は入口の横に身を動かし、老人の視界から姿を消した。……これが、円佳がこの時初めて明示的についた嘘になった。
 ……別のトイレに行くことが不可能だということは、円佳本人が一番よくわかっていたからだ。

  グギュルルルルルルルルルゴロロロロロロロロッ!!
(あぁぁぁ……だめっ、お腹がっ……)
 できるだけ遠く、この場所から離れたいという円佳の願いは、わずか3歩で潰えることになった。へそから背骨までを貫くようなお腹全体の痛みの前に、円佳は歩くどころか立っていることもできなかった。

  ギュルグルルルルルゴロロロロログギュルッ!!
(うぁ……ダメ、今出したら……)
 トイレの中を掃除していた老人に音を聞かれてしまう。それどころか様子を見に外に出て来られたら……。

  キュル…………キュゥゥゥ…………。
(お、収まった……? もう、お尻がおかしくなってわかんない……)
 腹部で響く音がその質をわずかに変えた。急峻な便意が同時に引いていくが、肛門の内側で波打つ感覚はなくならない。繰り返し円佳を襲い続けた便意が、肛門の知覚神経を麻痺させてしまっているのだ。

(もし、このまま収まってくれれば……10分……がまん……)
 10分。600秒。便意のうなり約5周期分。臨界を越えた頂点を30回も越えた向こう側。
 それは絶望的な時間だった。

(できれ……)
  ギュルルルルルルゴロロロロロログリュルルルルッ!!
(ば……)
  ビヂヂヂヂヂヂヂヂッ!!

「……っ…………」
 円佳は今日3度目のお漏らしをした。いや、し始めた。
 それは最悪のお漏らしになる予定であった。場所が公衆の面前である。腹具合は限界まで悪化している。そしてなにより、彼女の両足は、そのひざの裏までスカートを巻き込んで折り曲げられていたのである。漏らしたものの逃げ場はどこにもなかった。もっとも、液状の汚物はやがてスカートを浸し切り、そこから地面へとこぼれるだろう。

  ゴロロロロロ……
  ビュルビュルビュチュルルルルルルッ!!
「あぁぁっ…………」
 お尻から溢れ出す液体の勢いがぐんと増し、円佳は反射的にお尻に手を当てた。それで噴出が収まるはずもなく、水様便でびしょびしょになったスカートを確認するだけになるはずであった。

「え…………?」
 円佳の予想は外れた。今日初めての嬉しい誤算だった。円佳の制服のスカートは、学校のトイレで湿らせてしまった以上に濡れてはいなかったのだ。
 それは、学校を出る前に一つ、彼女がしておいた準備のおかげだった。下着を使い物にならなくしてしまった円佳は、教室の前にあるロッカーから体操着のブルマを取り出し、今度は自分の学年のトイレでそれを身につけたのだった。念のためしゃがんでお腹に力を入れてみたが、出てほしい時に限って出ないという円佳の腹具合はその首尾を一貫していた。そして、出てはいけないときに限って出てしまうということも。

  ピブブブブブブジュッ!!
(だめ……このままじゃっ……)
 ブルマの中をさらに汚水が満たす。学校の色と同じで赤いブルマは、今頃その色を茶色に変えているに違いない。円佳は唯一の希望を無駄にしないために、痛むお腹を抱えながら立ち上がった。

  ギュルグルルルルルルゴロッ!!
  ビジュジュジュブジュッ!!
「くっ……」
 わずかに残った精神力を振り絞る。一歩歩くごとにお尻から液体が漏れ出し、ブルマの中を満たす。だが、それで足を止めることはできない。せめて膝まである植え込みの向こうまで、あと5歩……。

  ビジュブジュッ!!
  ジュルブピピピッ!!
「うぅ……」
 あと3歩。立ち上がった円佳の脚に、今度は液便の筋は伝わない。ブルマの厚手の生地が、スカートと脚を守ってくれているのだ。だがその分、ブルマの中の不快感は倍増している。お尻の穴の周りはともかく、前方の秘部とそれを覆う茂りさえも、液状便の中に浸ってしまっているのだから。

  ブビビビビッ!!
  ジュピィィィィッ!!
「あぁ……」
 あと1歩。高まり続ける腹痛に、円佳の体が悲鳴を上げた。もう歩けない……円佳は鞄を放り出し、スカートをめくり上げ、最後の一歩を踏み出しながらしゃがみこんだ。
 ブルマを脱ぎ去る余力は、なかった。

  ブジュボブッビチィッ!!
  ブビリュゴボボボボボボボボボボッ!!
  グボボボボボゴボゴボゴボゴボゴボゴボッ!!!
(あぁぁ……やっちゃった…………)
 学校のトイレにしゃがみこんだ時と同じような、お尻の穴を全開にしての排泄。それを円佳は、ブルマの中にしてしまったのだ。当然ブルマははちきれんばかりにふくらみ、お尻の穴を中心にして外側にも染みが浮かび、一瞬にしてブルマの下半分を暗色に塗りつぶした。

「く、ぅっ……」
  ビジュルジュボボボボボボボボッ!!
  ビシャシャシャブビビビビビジュルルルルルルッ!!
  ブボッ!! ブジュルルルルルビチュブチュゴボボボボボボッ!!
 排泄が、お漏らしが止まらない。まるでおしっこのように、水状の便がただの膜となったブルマを透過し、お尻の真下から垂れ始める。ただ、その色はもちろん、黄色ではなく茶色である。ポツポツとこぼれていた茶色の滴がチョロチョロとした流れになり、やがてジャージャーと滝のような流れをなしていく。この流れは、トイレでしたときの噴射より勢いは緩いが、ブルマの中に十分な水便のストックがあるため、途切れることなく流れ続けていくのである。

(ぬ、脱がなきゃ……)
 ブルマを脱ぐために手をお腹から離す。
  グルルルルルルゴロロロロロロギュルピーーーーーッ!!
「痛ぁっ!!……ぐ、ぁあ……」
 その手はすぐ元に戻された。すさまじい腹痛が、彼女の体を痙攣させ、反射的に手を戻させたのだった。その間にも液便はブルマの中へ、そしてブルマの外へと吐き出されていく。
  ブジュブジュブジュブジュッ!!
  ジュビブブブッ……ブボボボボボボッ!!
  ビシャビシャビシャブピピピピブジュビチビジャァァァァァッ!!

(もう……もういい……このままでも同じよ……)
  ピュルルルルルッ!!
  ジュボボボボビジュッ!!
  ジュプビシャブジュビジュジュジュッ!!
 円佳はブルマを脱ぐことを諦めた。もう、このブルマも洗ったところで元には戻らないだろうし、例え綺麗になっても履く気にはなれない。そう決意を固めた円佳だったが、だからといって排泄の速度が上がるわけではなかった。すでに肛門は完全に開いてしまっているのだから。

「ふ……っ…………ぁあ…………」
  ビジュブジュビジュブジュッ!!
  ジュブブブブビブボボボボボボボボボッ!!
  ビジュビジュブジュルルルルルルルルルルルーーーーッ!!
  ゴボゴボゴボビチュゴボゴボゴボゴボゴボゴボッ!!
  ジュビビチャブビビビビビブチャゴボグボボボボボボボッ!!
  ビチャビチャビチャビチャジュプビジュブビビビブボボボボボボボーーーッ!!
 躑躅ヶ丘高校の制服を着た女子が、排泄をしている。
 底なしに下ったお腹から生み出される水そのものの下痢便を。
 すでに同じ感覚で満たされ同じ色に染め上げられたたブルマの中に。
 スカートだけをめくり、そのブルマににじんだ暗赤色と表面に浮かんだ茶色の滴をむき出しにして。
 人通りから10メートルも離れていない茂みの中で、土の上にブルマから液便をこぼしながら。

「……………………」
 たった一人、その光景を目撃した青年は、手に持ったビニール袋を彼女の近くの地面に投げ置くと、一度だけ振り返りながらその場を去っていった。

 彼女が排泄を終えたのはそれから5分後。
 ブルマからの滴りが止まり、それを脱ぎ去ることができたのは、さらに3分の後だった。外側が変色し茶色の滴が滲んでいたのが可愛らしく見えるほどの汚れが、ブルマの中を満たしていた。一面の茶色。液状便のわずかな粘液質が茶色の凹凸を作っている。肥溜めにでも落としたかのような惨状だった。

(どうしよう……紙もないし……服も……)
 排泄を終えた円佳は、今度は精神的な試練に直面していた。鞄の中には使いかけのティッシュがわずか3枚、それだけだった。もう、替えるべき下着もブルマもない。

「うぅ……」
(全然足りない……わかってたけど……)
 その一枚のハンカチは、あっという間に茶色に染まった。お尻の半分も拭き切れてはいない状態で。
(このまま帰るしかないの……だめ、垂れてきちゃう……)
 スカートの下に汚れた素肌を隠しながら、円佳は周りを見渡した。

「あ……」
 右斜め後ろの地面に置かれたビニール袋。
 恐る恐るそれを手に取り、中身を見てみる。

「あぁっ…………」
 久しく感じていなかった感情……喜びに胸が満たされる。トイレットペーパーが一巻き、それに、汚れていない綺麗なブルマ……。それがビニール袋の中、彼女の視界で輝きを放っていた。

(で、でも何で……誰が……こんなもの…………)
「あ……」
 そのブルマ。どう見ても、円佳がついさっき汚してしまったものと同じ、躑躅ヶ崎高校の指定のものだった。それがここにあるということは、これを置いたのは同じ高校の生徒……

(まさか――!!)
 その瞬間浮かんだのは……彼女の一番近くにいた男子生徒、風見京助の整った顔だち。
 それ以外考えられなかった。彼女の体調不良、それも下痢をしていると知っているのは彼しかいないのだから。
 だが、どうしても引っかかるものがあった。そちらの理由は簡単である。

 あいつがこんな親切なことするわけない――。

 屋上で円佳のお漏らしショーツをあれほどからかった京助が、円佳のためにお尻を拭く紙と替えの衣類を用意し、何も言わず去っていくというようなことをするはずがない。
 でも、現にここにあるこの袋の中身は……。

「…………」
 とにかく、考えている暇はなかった。今ここに誰が来るかもわからないのだ。
 むき出しのお尻をトイレットペーパーで拭き、その上にブルマを履く。彼女の腰より二周りほど小さいサイズのブルマはきつきつの圧迫感を彼女に与えたが、その弾力性が幸いして何とか履くことができた。空になった袋に紙でくるんだブルマを入れ、公園のゴミ箱に捨てることにする。地面にこぼれた液状便はどうしようもなかったが、ペーパーで隠すことはできた。余計にその惨めさを際立たせているかもしれないが……。

 直線距離にして10メートルもない個室の中でしたのよりはるかに充実した後始末を終え、円佳は疲れた体に鞭打ってもう一度立ち上がった。

 誰のかわからないが確かな心遣いを無駄にするわけにはいかなかった。
 ……いや、本当は誰のものかわかっていた。だが、それを認めることは円佳にはできなかった。

 その誰かの心遣いは見事に満たされた。
 衣服の役割が、意に反して漏れてしまった便を受け止めることだとすれば――。

 円佳の4度目のお漏らしは、家のトイレの前であった。
 安息の場所と思っていた家のトイレには、母親が先客として入っていたのだ。
 同じ物を食べていたのだから、食中りも同じように起こる。少し考えればわかることだったが、もう円佳にそこまでの思考力は残っていなかった。

「お、お母さん……お願い、私もう……出ちゃう……だめっ…………だめぇっ!!」
  ビジュブジュジュビビビビビビビビビッ!!
  ブジュブビビビビビブジュジュジュジュリュッ!!
  ジュプゴボブボボボボボゴボゴボゴボゴボゴボゴボッ!!
  ビチャビチャビチャビチャブビゴボボボボボボボボボビチャァァァァァァァッ!!
 サイズの小さいブルマで締め付けられたお腹は、今日一番とも思われる勢いで液状便を吐き出してしまった。とはいえ、円佳は辛うじて風呂場に倒れ込み、ブルマを犠牲にすることで家の床を汚物溜まりにする悲劇を回避できたのである。「誰か」の好意は、決して無駄にはならなかったのだった。


 その日一日、円佳と母はトイレと風呂場を舞台に、何度も何度も排泄を繰り返すことになった。早く回復した母は円佳におもゆを作ってあげたが、その水分を採ったせいか、円佳はその夜が明けるまで下痢に苦しみ続けたのだった。

 翌日行った病院では、ナグビブリオ食中毒という聞いたことのない、二度と聞きたくない病名を言い渡された。昼過ぎには便が形状を回復し、この24時間が嘘のように腹痛が消えていった。

 その翌日には円佳は学校に通えるようになっていた。京助に会ったら何て言おう、と悩んでいた円佳に、その一言を決めさせてくれたのは、教室に入ってすぐ、2日前と同じように駆け寄ってきた愛佳との会話だった。

「円佳ちゃん、もう大丈夫なの?」
「うん……ごめんね、心配かけちゃった……」
「ううん……それより、ひどいんだよ……おとといね、誰かが愛佳のブルマ盗んじゃったの!!」
「え――」
 円佳の自主的な思考が止まった。
 情報の断片がいくつも、彼女の思考に飛び込んでくる。
「3時間目の体育で着替えようと思ったらロッカーになくて……でね、その前の時間から、また風見くんいなくなってたの」
 ブルマ。
 風見君。
「ぜったい風見くんが犯人だと思うんだけど、聞いても答えてくれないの。……愛佳悲しいな……風見くん、いたずらはしても、こういうことはしないって思ってたのに……」
 自分より二回り小さい……愛佳の腰つき。
「あ……あぁ……」
 家のトイレの前で……あのブルマの中に……。
「もしかしたら、円佳ちゃんが言えばほんとのこと教えてくれるかもしれないから…………あれ、円佳ちゃん?」
「……ごめん、ごめんね、愛佳……私……」

 ガララ。
「さて今日もゆっくり寝るぞー……あ、いいんちょ。アレ、役に立ったか?」
「風見く……」
「…………っ……」
「いいんちょ……?」
「円佳ちゃん……?」
「風見君………………風見君の………………」
「…………ぅ……」
「…………ぁ……」

「風見君のばかぁぁーーーーーーーっ!!!」


 その一言をきっかけに、京助と円佳は表面上、以前の関係を取り戻した。
 だが、この日を境に二人の意識の水面下で何かが変わったことは、二人とも否定できなかった。……もっとも、円佳は「この日」を境として思い出すことを必死に拒んでいたが。

 形持たざる水の如く、形にならない思いを胸に。
 波乱に満ちた日常は、ただ明日へと流れていく…………。


あとがき

 何とか書きあがりました。久しぶりにつぼみ以外のオリジナル作品です。
 今回のコンセプトは3つ、1つ目は完全に水となった下痢を描く。2つ目は委員長らしい委員長を描く、3つ目は新しい世界を広げるということですね。
 水状の下痢、というのは何度か書いてますが、今回はそれぞれの排泄シーンの第一射、強烈な噴射に力を入れました。特に最初の洋式トイレですね。ショーツへのおもらし、ブルマへのおもらしと、液状便の描写としては大体のパターンを確立できたと思います。
 委員長らしい委員長、というのはつぼみの委員長キャラたる潤奈がどうも委員長というよりひかりのライバルたる秀才キャラというイメージになってしまったので、もう少し親しみやすく、好きな相手に突っかかるだけしかできないという可愛げを出そうとしました。その材料が風見君ですね。ガキっぽい性格は「スカートをめくったらおもらしパンツが!」という光景が見たくて作ったのもありますが。
 あとはつぼみ以外でもいろいろオリジナル作品を作っておこうと思いまして、一話完結の中にも世界を広げられるような魅力のあるキャラたちを出しておこうとがんばりました。作者お気に入りの愛佳をヒロインにした作品もまた後ほど書きますのでご期待ください。

 元ネタなどの話は今回たくさんあるのですが、とりあえず躑躅ヶ崎高校は甲府市にある、とだけ言うといろんなネタがわかるかもしれません。キャラの苗字とか。
 円佳については絵はもちろんあるのですが、声のイメージが結構悩みます。三石琴乃あたりでいいかなと思ってますが。普段はミサトさんっぽく、風見君の相手をするときはうさぎっぽく。愛佳については本当はいろいろ別のモデルがいたのですが、髪型から何から最近やったToHeart2のメインヒロインの柚原このみに似ていることがわかりました(笑) なので声も落合祐里香ということに。

 今回はMelty Showerとしての最初の作品「聖少女の汚れ」と同じような気持ちで書きましたが、その頃の情熱と現在の技術力をある程度両立した作品になったと思います。お楽しみいただければ幸いです。
 それでは、次回の作品にもご期待ください。


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