つぼみたちの輝き Story.9

「Fairy's day off...」


来島沙絵(くるしま さえ)
 13歳 桜ヶ丘中学校2年5組
体型 身長:155cm 体重:42kg 3サイズ:79-53-80



  キーンコーン……。
 5時間目の授業が終わる。金曜日の5時間目、それは1週間の最後の授業であり、その終了のチャイムは、週末の始まりの合図でもある。
 昼前の授業の終了、あるいは他の日の最後の授業の終了の時よりも、生徒たちの顔には解放感が目立つ。弾かれたように席を立つ生徒。早速何人かで集まり、週末の予定を話し出す生徒。
 教室中に、一瞬のうちに明るい声があふれた。

「んに〜…………」
 そんな中、情けない声を残して机に突っ伏す女の子が一人。
 頭のてっぺんで結んだしっぽのような髪の房が、ぱさっと机の前に垂れ下がる。

 来島沙絵。
 普段はどこかネジが抜けているのではないかと思われるほどの天然マイペース少女で、悩み事などとは無縁に見えるのだが……。
 下を向いて隠されたその表情には、はっきりと物憂げな様子が浮かんでいた。


「やっほー、沙絵ちゃーん!」
「沙絵ちゃん、こんにちは」
 そこへやってきた同級生が二人。1年の時同じクラスで、別のクラスになった今も親しくしている、澄沢百合と紀野里瑞奈である。
「あ……ゆーりーにみずぽん……どしたの?」
 見上げた顔は憂いに満ちている。明るい顔の二人とは対照的だ。

「沙絵ちゃん、明日さ、みんなで川向こうまで買い物に行かない?」
 瑞奈の呼びかけ。
 川向こう、というのはけやき野市の中心を流れる月ヶ瀬川の向こう側……桜ヶ丘から見て南側のことである。大型のショッピングセンターやアミューズメント施設がここ数年になって次々にオープンして、一躍けやき野市のレジャーやショッピングのメッカになった地域だ。
 市の中心部からやや離れた桜ヶ丘においても、その影響の大きさは忘れることができない。家族連れが車で、中高生が連れ立って自転車で、月ヶ瀬川にかかる橋を渡っていくのは、桜ヶ丘のごく一般的な週末の光景であった。
「新しい靴とかも買いたいし、夏物の服なんかもちゃんとそろってないしね」
「もう……本当は違う理由なんでしょ?」
「えへへ……」
 ちょっと顔を赤くする瑞奈。
「ほら、来週から3年生が修学旅行だよね? それで……ほら、その間ね、お姉さまに会えなくなっちゃうから……ボクの代わりに、何かお守りみたいに持ってってもらおうかなって……」
「ふふ……瑞奈ちゃんはいつもお姉さまべったりだもんね」
「べ、別にいけないことじゃないもん! それに、百合ちゃんも「センパイ」に何か渡したいんじゃないの?」
「え……っ!?」
 落ち着いて微笑んでいた百合の顔が、一瞬にして赤くなる。
 「先輩」という一般名詞は、彼女にとっては固有名詞に等しかったようだ。
「そ、そんなこと別に……そんな、しばらく会えないからなんて……まるで……こ、こ……」
「恋人みたい?」
「!!」
  ボッ。
 火がついた効果音が聞こえるほどに、顔中が真っ赤になる百合。煙が出ていてもおかしくない。
「もー。もっと素直になればいいのにー」
「だ、だって……そ、そそ、それよりその、今は沙絵ちゃんを誘いに来たんでしょ?」
「ちぇっ……。ま、そうだね。どう、沙絵ちゃん? 土曜ならお家の手伝いとか大丈夫だよね?」
「え……?」
 突然話を振られて顔を上げる。

 普段なら元気な二人の話をさらに盛り上げる……というか、わけのわからない方向に脱線させたりする沙絵なのだが、今は力なく下を向いたままだった。
「ほら、日曜はいつもお家の手伝いだって言ってたよね?」
「え? あ、うん……」
 気のない返事。
「だから、土曜日だったら一緒に、大丈夫かなって思ったんだけど……」
「あ……うーん……」
 考え込む沙絵。
「あ……用事あるんだったら、無理にってわけじゃないんだけど……」
「うーん……」

「ごめん……やっぱりさえはパスでお願い」
 ゆっくりと1分近く考えた後、沙絵はやっと顔を上げた。
「そっか……仕方ないね」
「あ、そうだ、史音ちゃんはどこかな? 忙しいかもしれないけど、一応、声だけはかけておこうと思って……」
「ふみふみ……? うーん、授業終わってすぐ出てったよ」
「そう……忙しそうだもんね史音ちゃん」
「じゃあ仕方ないか……二人だけだね」
「うん……それじゃ沙絵ちゃん、また来週ね」
「うん……」
 浮かない顔の沙絵を残し、百合と瑞奈は教室を後にした。
「…………」
「……来島さん、掃除だから机、動かさないと……」
 クラスメートから声がかかる。
「ん……ごめん……」
 物憂げに立ち上がった沙絵。

 その手が、無意識におなかに当てられた。
 かすかに膨らんでいるのが、服の上からでもはっきりとわかる。

 このおなかの張りこそが、すべての原因……気だるそうな表情の、買い物にいけないわけの、日曜は家の手伝いと嘘をついていることの、原因だった。


 ……1時間後。
 沙絵の姿は、公園のトイレの個室の中にあった。

「んんんんっ……くふっ!!」
 ………。
 ………………。

「はぁ……はぁ……ふんっ…………んにっ!!」
 ………。
 ………………。

 苦しげな息遣いは、沙絵がおなかに力を入れて息む声。
 そしてそのあとの沈黙は、沙絵の苦闘の目的が果たされていないことを意味していた。

 目的。トイレで肛門を全開にして、おなかに力を入れてすることはたった一つである。

 おなかの中に溜まった排泄物の解放……排便である。
 そして沙絵は、その目的が達せられない状態……便秘に陥っていた。
 それも、1日2日というレベルではない。日曜以来まる5日間、排泄物のかけらも出てきていないのだ。その間に摂取し、消化し養分と水分の吸収を終えた残りカスの全てが、沙絵の腸内に溜まっているのであった。
 中学2年生としては平均的な体格……いつも一緒にいる仲良しグループの百合、瑞奈、史音と比べるからこそふっくらと見えるのであって、客観的には平均程度の体格しかない彼女にとって、1週間分の排泄物を丸々溜めておくというのは苦行でしかなかった。

 それも、望んでやっているわけではない。
 よく、人前での排泄を我慢するあまり排便の機会を逃し便秘になるという話は聞くが、彼女は授業中でも平気で「お便所行ってきまーす」と言ってのける図太い神経の持ち主である。
 そんな問題ではなく、純粋に大腸の機能が働きすぎて、水分を完全に奪ってしまうのが彼女の便秘の原因だった。結果、変形の余地を残さない巨大な硬質の便が腸の出口をふさぎ、排泄の妨げとなる。
 だから、便意を感じていて排泄の意思があってもそれを物理的に排出することができないという事態に陥るのだ。

 そして、沙絵にとってそれは珍しいことではない……というより、この便秘がもはや生活習慣として、その一部になってしまっている。
 あまりに頑固な便秘ゆえ、自分の力だけで出すことはもはや不可能である。

 今も、おそらく出ないだろうと思いながら、勝ち目のない戦いに挑んでいるのである。

「ふんっ…………んんんんっ!!」
  プスゥッ……………シュゥゥゥゥ……。
 かすかな、神経を集中していなければ聞き取れないような空気の摩擦音。
 硬質便といえど、完全に一つの大きな塊というわけではなく、コロコロの便が圧縮されていくつも固まったもので、ところどころ、その接合面には多少の隙間がある。その隙間を通って、こちらも十分すぎるほどに蓄積された腸内ガスが少しずつ放出されたのだ。
 だが……排泄を妨げる元凶である巨大便は頑として、その巨体を動かそうとしなかった。

 隣の個室からは、断続的な排泄音が聞こえてくる。
 シュルッ、ジュルっというその音はあたかも小便のようであったが、個室の隙間から漂ってくる匂いは間違いなく大便、しかも下痢のそれだ。
 腹痛を伴い、何度も繰り返される便意。そのつらさは沙絵にも十分すぎるほどわかる。だが、自然に排泄ができるという点においては、その下痢をうらやむことは止められなかった。

  コンコンコンコンッ!!
「あのっ……早く出てくれませんか……お願いしますっ……」
 突然のノックと催促の言葉。
 こっちの事情も知らないで、と少しカチンと来たが、どのみち落ち着いて排泄のできる状態ではなくなってしまった。仕方なく、沙絵は個室を出る準備をする。

 拭く必要もないおしりを形だけぬぐい、空っぽの便器に水を流す。
 そして扉を開けた先に待っていたのは、見知った顔だった。

「……んにっ!?」
 家庭部の後輩である香月幸華。
 料理にはこだわりがあるらしく、今日も調理実習で作ったとか言ってデザートを持ってきて押し付けていった。沙絵としてはとても食欲はなかったので、昼休みのうちに百合と瑞奈にあげてしまったが。
 その幸華と、同じ制服を着た……どう見ても1年生より上には見えない、というか1年生にすら見えない二人。沙絵を驚かせたのは、いずれも苦しげな顔をしておなかを押さえていたことだった。
「みな、早く入りなさい!」
 ………。
 幸華の声。
 どうやら、相当切迫した状況らしい。
 とはいえ、沙絵にできることは今個室を譲ったことだけだった。
 中にとどまるわけにも行かず、そそくさとトイレを出る。



「……に〜…………」
 情けない声が漏れる。
 身体全体にのしかかる気だるさ、重苦しさ、やるせなさ。
 その原因を身体から取り除かないことには、解放されることはない。
 そしてそれは、自分の力だけでは不可能だということがはっきりしていた。

「にゅ……ただいま〜……」
 そう言って沙絵が入っていった先は、商店街の一角にある洋食屋。
 沙絵の父、来島厚士が経営するグリル「くるくる」である。

「お帰りなさい、沙絵」
「に〜……」
 ふらつきながら、ガラス製のドアを開けた沙絵を父が出迎える。
「……その様子だと、まだ調子が良くないようですね」
「うん……」
「繊維質はちゃんと摂ってるはずなんでしょうけどね……」
「ごめん……さえ、お薬飲んで寝るね」
「……わかりました」
 そう言って、夜の部の仕込みを続ける父。
 娘に対してまで丁寧語でしゃべっているのは、気を遣っているわけではない。誰に対しても紳士然として丁寧語なのである。それとは逆に沙絵と友達感覚でしゃべる母親といい、一家揃ってマイペースな来島家であった。


「に〜……苦しいよ〜……」
 自分の部屋に帰ってくるなり、ぼふっとベッドにうつぶせになる沙絵。
 ぱんぱんに張ったおなかをさすりながら、しばらくそのまま横になる。
 何もする気が起こらず、そのまま目を閉じる。
 ……苦しさで、寝入ることすらできない。

 自然に出すことはもう期待できない。
 だから……少なくない代償を払ってでも、強制的な手段を用いるしかないのだ。
 ただ、今飲むと、その効果が現れるのはちょうど真夜中。
 そうすると、睡眠時間のほとんどを失うことになる。

 だが……飲む時間を遅らせれば、それだけ苦しみから解放されるのは遅くなるわけで。

「もう……こんな苦しいのやだ……」
 彼女の下した判断は、目先の苦痛からの解放だった。


 目を開け、ベッドから身体を起こす。
 数十分、いや1時間ほど経過していただろうか。
 
  ガサガサ。
 机の一番上の引き出し。
 そこにあるものは、ペンや日記帳など、普段からよく使うものの数々。
 ちなみに教科書などは全部2段目以下である。それでも成績は中の上をキープしているところがマイペースな彼女らしい。
 そしてその一番上の引き出しに、彼女の求めるものはある。

 ピンク色のパッケージ。
 表面の文字は便秘治療剤。とはいえ、強力で知られるその薬の効果はほとんど下剤である。
 コーラックと書かれたパッケージの中身を、取り出す。

「……あれ?」
 外に現れたのは、銀色の包み紙。子供のラムネ菓子のように、プチっと押して取り出すタイプの包装の中に、鮮やかな赤の錠剤が1つだけ残っている。

「どーしよー……1個じゃ足りないよー……」
 裏の説明書きには1回1〜3錠と書いてあるが、沙絵は一瞬にしてその判断を下した。

「とりあえず飲んじゃおう……」
 ポイっとその一粒を口の中に放り込み、立ち上がって部屋を出て行く。
 1階に降り、さっき脱いだばかりの靴をもう一度履き直す。服も制服のままだ。

「ん……沙絵、どうしました?」
「に〜……お薬切れてたから買ってくる……」
「そうですか……あまり、薬に頼るのも好ましくないですが……」
「……行ってくるよ〜」
 同じように表から出る。
 店の中を通らずに出られる勝手口も一応あるのだが、靴を置けるほどのスペースもなく、塀の間の細い隙間を無理して通らなければいけないので、沙絵はあまり使っていなかった。

 沙絵の家……「くるくる」は、商店街の北端、南端にある駅から見て反対側にある。そのまま北に向かうと桜ヶ丘。沙絵が通う桜ヶ丘中学校がある。
 家を出た沙絵は、普段の通学路とは逆方向に歩き出す。
 3軒先、そこが目指す店だった。

「あ……さえちゃん?」
 レジの中にいたのは、沙絵の幼なじみ。
 いや……こう言った方が早いだろうか。
 桜ヶ丘一の優等生、藤倉学。

 物心つく以前からのつきあいだった。
 小学校の頃は一緒に学校に通い、一緒に帰り、日が暮れるまで遊んだ。
 中学校に入ると、お互い違う部活に行って、また学の方は生徒会役員、学年トップということで立場もずいぶん違ってしまった。
 が、二人の関係自体も、互いに抱く感情も変わっていない。

 幼なじみ以上でもなく、以下でもなかった。
 決して仲が悪いわけではなく、友達としての仲のよさを保っている状態。それ以上には決してなることがなかった。

「にー……まなちゃん……いつものちょうだい……」
「いつもの……うん、いいけど……大丈夫なの?」
「あんまり大丈夫じゃないよ〜」
「わかった……えーと、60粒のでいいんだっけ?」
「うん……」
 学が赤くなりながらも、沙絵の部屋にあったのと同じ薬を手に取る。
「さえちゃん、確か先月も買いに来てなかった? あの時は母さんがいたと思うけど」
「うん……そうだね……あ、はいお金」
「ありがと。……はいおつり。その……そんなにいつも使って、大丈夫なの?」
「あんまり大丈夫じゃないよ〜」
「そう……だよね。母さんも心配してたよ」
「でも……しょうがないんだよね……」
「そっか……お大事に、と言うしかないかな……」
「うん、お大事にするよ〜」
 袋に入れられた下剤を持って、沙絵が藤倉薬局を後にする。
 学はその姿を、心配げな面持ちで見送った。


「ふっ…………んっ」
  プチプチプチプチ……
  ………ゴクッ。

 買ってきた錠剤。
 その実に1/4が一度に、沙絵の腸内に消えた。

 使用量は1〜3粒と書いてある。
 その最大量の実に5倍である。
 その結果、すさまじい下痢を起こすであろうことは、沙絵にもわかっていた。
 だが……栓になってしまった巨大な便を押し出すには、この量以下ではだめだと、今までの経験が教えてくれていたのである。

 下剤を使っても出ない、これほどの苦しみはない。
 腸がねじ切れるような激痛を伴っておなかの中で下痢便が大量生産されているのに、それを排泄することすらできないのである。腹痛と肛門の圧迫感の二重苦、それだけはなんとしてでも避けたかった。
 だから、過剰ともいえる量を摂取して、なんとしてでも排泄を完了しなければいけないのである。


 ……とはいえ、即座に効果が現れるわけではない。
 市販の下剤で、1時間以内に効果が現れるものなどないのである。
 効果が出るまでには早くて3時間、遅ければ6時間は見なければいけなかった。

 寝間着を兼ねた部屋着に着替えた沙絵は、習慣となっている日記をつけ終わると、さっきと同じようにベッドに横になった。


「くるしいよぉ……」
「うぅぅぅ……」
「早くぅ……」

 時おり響く苦しげな声。
 寝返りを打っても、荒い息をついても、決して楽にならないおなかの中の圧迫感。

 早く出したい。

 それだけを願って、沙絵は永遠とも思える時間をベッドの上で過ごした。



「沙絵、夕食の準備ができましたが……」
「……ごめん……」
「そうですか……わかりました。おかゆでも用意しておきましょう」
「うん……ごめんねパパ……」


「さえー、お友達から電話よー?」
「…………いま動けないの……」
「……わかったわ。また後で、って言っておくわね」
「うん……」



 どれだけ時間が経ったかも、どんな言葉をかけられたかも覚えていない。
 自分の身体の中に、かすかな変化が起こるまでは。


  キュゥッ……。
「あ……」
 まだ音にもならない、おなかの中のかすかなうごめき。
 だがそれは、いつまで続くかわからない便秘に苦しむ沙絵にとって、かすかな希望の芽生えだった。

  ゴロン。
 ベッドの上でうつぶせになり、両手をおなかに当てて、上下左右にさする。
 すこしでもおなかの活動を活性化しようとするように。


  キュルッ……。
「っ……」
 鈍い痛みを伴って、おなかの鳴動が大きくなる。

  ギュルゴロッ……。
「んあぁぁ……」
 待ち望んでいた、でも苦しい便意。
 はっきりとふくらみがわかるようになっていたおなかから、低くうなるような音が聞こえてくる。

 下剤が効き目を現し始めた。
 通常の排泄欲求を通り越して、下痢の強烈な便意へと変じようとしている。

「に……にゅっ!!」
 重い身体を起こし、立ち上がって部屋を出る。
 よろけながら向かう先は、1階のトイレ。

 必死とも思える表情で、一目散にトイレを目指す。
 その姿は、数分前まで便秘の倦怠感に包まれていたとは思えない。

 だが、下剤の効力を甘く見るととんでもない目にあう。
 数ヶ月前、あまりにも身体が重いので、便意が限界になるまで横になって待ってからトイレに行こうとして、急激な便意をこらえきれずに漏らしてしまったことがあるのだ。
 トイレに行く障害は何もない、自分の家の中。しかも下剤という、自ら望んで引き起こしたはずの便意。それによっておもらしをしてしまうなど、これ以上ないほど情けない話である。

 その経験を忘れず、沙絵は下剤が効き始めたら即座にトイレに駆け込むようにしている。

「ん……」
  パタン。
 沙絵が駆け込んだトイレのドアが、力なく閉じられた。

 ゆったりした寝間着のズボンをするっと下ろし、便座カバーのついた便器に座り込む。

「はぁ……」
 小さなため息の後、沙絵の表情が真剣なものに変わった。


 沙絵には見る機会はなかったが、時計の針はちょうど、午前零時を差していた。
 トイレの中で過ごす一日が……今始まる。



「んん〜……」
 まだ、さほどの便意はないが、おなかに力を入れてふんばってみる。
 ………。
 ………………反応はない。

  ギュルッ……。
 先ほどから同じくらいの周期で、おなかが音を立てている。
 だが、まだ峻烈な便意に転換されるまでには至らない。
 やはり、しばらくは自分の腹圧に頼るしかないようだ。

  ガササ……
 思う存分力を入れるため、ズボンを完全に脱ぎ捨てる。
 これで足を肩幅以上に開き、腹筋に遠慮なく力をこめられるようになる。

「ふん……っ……」
 腹筋が強張る。
 ………。
「くぅっ…………」
 肛門が開く。
 …………
「んんんっ…………」
 両足が震える。
 …………。

「………くはぁっ…」
 大きく息をついて、背もたれに寄りかかる。
 身体中の力が抜け、頭が後ろに反り返った。それによって、ゆったりしたパジャマに包まれた胸が、そのなだらかなふくらみの形を見せる。
「はぁ……はぁ……」
 顔をしかめながら口を小さく開け、何度も荒い息で呼吸を繰り返す。

 揉みほぐすようにおなかを押す。

  ギュルルルルルルルッ!!
「んっ!?」
 痛み。
 膨満感による鈍い痛みではない。
 腸の内部から巻き起こる強烈な刺激。
 急激な腹痛……それは、沙絵のおなかの中で下痢が起こっている証だった。

  グルゴロロロロロロロロッ!!
「ふぁ……っ!!」
 程なく、その圧迫感の矛先が、おなかの中ほどではなく消化管の出口に向けられる。
 肛門に直結する直腸の中まで、液状の排泄物が降りてきた結果である。

「ん…………んぐぐぐっ!!」
 下痢の腹痛を生み出しつづけるおなか。普通の下痢であれば、痛みからかばうように、力加減を調節しながら排泄することもできる。
 だが、この頑固極まりない便秘である。
 生半可な力の入れ方では、そのとんでもなく硬い便のかけらさえも出てこない。
 
 だから沙絵は……胸一杯に息を吸い込み、その空気の圧力も加えるかのように、おなかに全ての力をこめるしかないのである。
 当然、突き刺すような痛みは何倍にも増幅される。
 その痛みに耐えながら、さらに力をこめる。さらに増していく痛み……。

 だが、沙絵が味わう苦しみは無駄ではない。
 やがて少しずつ肛門が開き、腹筋が膨らみ……。

「ふぐ…………っ!!」
 ……………その肛門の中から……。

「…………っぁ……!!」
  プスッ!!

 かすかな空気音。
 だが、久しく変化を受けることがなかった沙絵の肛門内膜は、そのわずかな微粒子の流れを敏感に感じ取った。
 このまま行けば……出せる。

「ぁぁぁ……………っ」
 呼吸を入れずに、ふんばる。息む。気張る。
 …………出す!


  ブフォブププププププピッ!!

「………………あ……」
 固く閉じられていた眼が、ゆっくりと開いていく。
 その瞳に映るのは、落胆の色。

 おしりの穴から出て行ったのは、腸内で熟成されたガス。
 本来出るはずだった排泄物の、臭いだけを凝縮した気体だった。

 おしりの圧迫感は、急激に薄らいでいく。
 便意に勢いを加えていたガスが、外部に出てしまったからである。

「うにゅ……………」
 再び脱力する沙絵。

 だが、今度は便器の背もたれに寄りかかることすらできない。
 猛烈な下痢を起こしている腸が、わずかな腹筋の動きさえも痛みに変えていくからだ。
 前かがみになっておなかを押さえたまま、口を苦しげに開けて息をつく。
 発生源に近づいたためか、沙絵の敏感な嗅覚は、自分の身体の中の臭いをはっきりと嗅ぎ取っていた。

「うぁ……くさぁ…………ぐっ!!」
 思わず鼻をつまんで顔を上げたその瞬間、腸内を直接しごくような激痛が沙絵を襲う。
 再び前かがみになった彼女の鼻に、生温かい腐臭が飛び込んでくる。

 ……沙絵がやっと顔を上げた時には、おならの臭いはトイレ中に拡散していた。
 換気扇がなく、小さな通気口が外壁についているだけのトイレは、空気の循環がほとんどないに等しい。
 発生した臭いは、逃げることなくトイレの中に蓄積されていくのだ。

「うぅ……っ?」
  ピチョ。
 おなかをさすっていた沙絵の耳に、予想していなかった音が飛び込んできた。

 水音。
 小さな滴が、硬い面に当たって弾ける音。
 
 その発生源となる可能性があるのは、タンクの上の蛇口か、もしくは便器の中――。
「えぇぇ……!?」

 便器の中をのぞきこんだ沙絵が、驚きの声を上げた。

 おしりから……おしりの穴から、茶色い汁が滴っている。
 考えるまでもなかった。
 下痢によって腸の奥から送られてきた液状便が、固形物の隙間をすり抜けて外に漏れ出しているのだ。

  グルルル……
  プチュプチュッ……。
「う……あぐっ……」
 便意を感じた瞬間、滴がまだほとんど透明な便器の水面に落下する。

  ギュルッ!!
「あぅっ……」
 おなかにさらに激しい痛みが走る。
 痛む腹部を抱え込み、さっきまで全開にしていたおしりの穴を締める。

「うぅ……」
  ギュルギュルギュルッ……。

 容赦なく下痢便を駆け下らせ、圧力を強めていく腸の活動。
 本能が出す排泄欲求。
 理性が下す排泄命令。
 その目指すところは同じはずだった。
 だが……このまま肛門を開きつづけていては、肝心の便塊は排泄できず、下痢液便をちびちびと垂れ流すだけになってしまう。
 それでは、何のためにこれほどの苦痛を味わっているのかわからない。

 何とかして、おしりにつっかえている巨大な硬質の便を出さなければいけない。


「んー……こうなったら……」

 最後の手段。

 内から開けられないものは、外からこじ開けるしかない。

 沙絵はわずかに腰を浮かせ、その下に両手を差し入れた。おなかから手を離した瞬間、たちまち腹痛が激化する。しかし、それであきらめるわけにはいかない。
 がしっと音がするほどに強く、両方の尻たぶをつかむ。

「ふんっ…………」

 その手を、上方に引っ張る。
 おしりを両側に開く。
 肛門が引っ張られ、その口がわずかに大きくなる。

 ……無理やり手の力で肛門を広げ、便を通過させようというのだ。

「すぅっ…………」
 深呼吸。
 肺がふくらみ、最後の一踏ん張りをする準備が整う。

 そして……沙絵は息み始めた。

「くぅっ……」
「んぐぐぐっ………」
「ううううううっ……」

 両手によって全開にされた肛門。
 股間を露わにして、肩幅より広く開かれた両脚。
 目を固く閉じ、歯を食いしばり、強張りゆがんだ表情。
 力を入れるごとに、どうしても出てしまう唸り声。

 いかに沙絵がさほど恥ずかしがりではないといえ、女の子として決して他人に見せられる姿ではなかった。

「ふぬぅぅぅぅっ!!」

 だが、その奮闘は決して無駄ではなかった。
 わずかに広くなった出口から、下痢便に押し出された硬質の便塊が顔を出したのである。

 それはもう排泄と呼べるものではなかった。
 ひねり出す、押し出すという言葉すら生ぬるい。
 それは……巨大な障害物の排除作業に他ならなかった。

 太さ、長さ、固さ……どれをとっても極大級の黒ずんだ物体が、沙絵の直腸内を少しずつ移動していく。もちろんそのたびに腸内壁が擦れることになる。
 排泄には快感を伴うものであるが、沙絵が今感じているのはもちろん純粋な痛覚。直腸、肛門を限界を超えて引き伸ばされているための激痛である。

  ポタ、ポタ……
 おしりの穴のふちから、茶色い滴が落ちる間隔が短くなる。
 わずかに染み出してくる下痢便は、硬質便と腸壁との間で潤滑液の役割を果たしていた。……とはいえ、その痛みを抑える力はないに等しいのだが……。

「うぅぅぅ……」

 顔を出した硬質便。
 股間を覗き見ることをしなくても、その巨大な存在感は痛みとなって伝わってくる。
 あと一息。

  ギュルギュルギュルッ!!
 すぐ後ろに控えている下痢便が何度も腸内を行き来し、排泄要求を繰り返し突きつける。
 その追い風を受け、沙絵は最後の力をおなかに集中した。


「ふぐぅぅぅぅぅぅっ!!」

  ミチ………チ…………
 少しずつ。
 少しずつ、その巨大な便が姿を現し始めた。
  ピチッ……ピッ……
 何層にも固形便が圧縮された石のような便。その接合面のわずかな隙間には下痢便が混ざりこみ、肛門で弾けてわずかな音を立てる。

  ピチッ…ミチチチッ……
 わずか……わずかながらも、確かな加速度を持って、真っ黒な巨体が沙絵のおしりの穴からせり出してくる。
 その太さは沙絵の手首ほどにもなるだろうか。表面にわずかに下痢便の液滴が付着しているが、基本的にはほとんど黒色に近い。
 水分の大半を失った便は、直腸内壁、肛門括約筋の圧迫にさらされ、重力の支配を受けてもなお、その形状をわずかたりとも変えてはいなかった。

  ミチ……。
 体外に出る部分が増えるごとに、その太さは少しづつ増していく。
 その変化率に、排出の勢いが戦いを挑む。
 いま、一度でも息をついたら、これ以上の排出は極めて困難になるだろう。

「くふ……うぅぅぅっ……」
 沙絵がもう一歩の力をおなかに込めた瞬間。
 ……便の太さが、ついに極大を迎えた。

  ミチチチチチチチュッ!!
「……くあっ……!!」
 肛門を通り抜ける壮絶な感覚。
 拡張の痛みから解放された、しかし今なお刺激が残っている肛門内壁を、度重なる圧縮により多数の凹凸を含む巨大な便塊が、すさまじい勢いで駆け抜けていく!

「あぁぁぁぁぁっ!!」
  ドポォン!!
 便の先端が便器の水面に落下……いや、その後端はいまだ沙絵の腸内にあるのだから、先端が着水と言った方が正しいか。水面に達した巨大な便が、大音響の水音を立てる。

  ミチミチミチミチミチミチミチ……ブポォッ!!
 その長さが10cm、20cmと、どんどん伸びていく。
 やがて……沙絵の肛門と便器の底を、巨大な便の柱が貫く瞬間が訪れる。
 その瞬間……わずかな抵抗だけを残して……硬質の便が途切れた。

 その便の柱が倒れるより早く、沙絵の肛門で下痢便が弾けた。
 空気に触れたとたんに弾けた飛沫は、便器の水面はもちろん、真っ白な壁面にまで付着していく。

  ブジュルルルルルルッ!!
  ビジュジュジュジュジューーーッ!!
 続いて下痢便……いや、ほとんど液状の水便が、音を立てず肛門から発射される。
 巨大便の先端が沈む水の底を、あっという間に下痢便のこげ茶色が覆い尽くす。

「あぁ…………あぁぁぁっ………」
 下痢便を排泄しながら放心状態の沙絵。
 苦しげに口を開いて、目を閉じたまま、感じ入るように身体を震わせている。

 さっきまでの糞詰まりが嘘のように、スムーズ……というより垂れ流しという勢いで、下痢便がおしりから洋式便器の中に降りそそぐ。
 その度に酸っぱい悪臭が少しずつ加わっていくが、それを打ち消すかのような巨大な便塊の臭いが、部屋中を覆い尽くしていた。何日も何日も腸内で熟成され、おならの臭いまで凝縮したかのような濃密な大便臭。
 熱帯夜の蒸し暑さとあいまって、その臭いがものすごい不快感となって宿主であった沙絵を襲う。

「はぅっ……あぁぁっ…………」
  ブチュルルルルル……ブボビチュッ!!
  ビチチチチチチチブビッ! ブビュゥッ!!
  ジュルブビビビビビブバッ!! ビリュリュリュッ!!
 まだかろうじて形を保っていた便が、下痢便の奔流に押し流されて排泄される。
 おそらく、あと数日便秘が続いていたら、今なお水面の上にその姿の一部をさらしている巨大な便塊の一部となっていたことだろう。

「ふぅぅぅっ……うぅっ……」
  ビュチュッ……ビチッ……ブビリュッ!!
  ジュルブプププッ!! ブシュブビッ!!
 やがて……その排泄の勢いが、ふっと弱くなる。
 湿った水音より、空気の破裂音が目立つようになってくる。
 排泄がゆるやかに収束に向かっているのだ。

 ……だが、腹痛は少しも楽になってはくれない。
 先ほどまでの重苦しい鈍痛と異なり、熱した針で刺されるような激痛だ。
  ギュルッ……グギュルッ……。
 腸の奥が、はっきりとわかる音でうなりを上げる。
 その衝動に急かされ、沙絵は痛むおなかにぐっと力を入れる。

「ふん……はぁぁぁぁっ………」
  ブジュッ……ビチュッ!!
  ビジュルルブッ!! ブビブビビビッ!!
  ピジュブビュルビッ!! ブポジュブビチュッ!!

 断続的な排泄。
 汚物が肛門を突き抜けるその一瞬だけは、わずかな排泄の快感が身体に走り、苦闘の労苦が報われた満足を得ることができる。

 だが、それ以外の時間は……。
 自らの汚物の臭気が充満する狭苦しい密室の中で、激しい痛みを生み出しつづけるおなかに鞭を打って、わずかずつしか排泄物を送り出してくれない腸を恨みながら息みつづけなければならないのだ。

「くぅぅぅっ……」
  ブビッ……ブチュ……ブシュッ……。
  ブッ……ビブッ……プスッ……ジュブリュ……。
 やがて、その断続的な放出さえも途切れがちになってくる。
 空気だけが噴き出し、肛門に付着した便液を飛散させるのみ、ということも少なくない。

 それでも……おなかの痛みは消える様子がない。

「ふぅぅぅ…………」
  プシュゥゥゥゥ…………
 気の抜けるような長いおならの音を最後に、質量を持った物体の排泄が見られなくなる。


「んく……ふぅっ……」
「あぁぁ……くぁっ……」
「はぁぁぁ……ぁぁっ……」
 うめき声だけが響く来島家のトイレ。
 排泄は一段落している。
 真っ黒に染まった便器の上に座り、おなかをさすりながら息を整えている沙絵の姿が、そこにあった。
 沙絵は、まず便器の中に溜まった汚物を流そうとしていた。

「な、流れるかなぁ……」
 おしりの下に広がった惨状を見て、思わず不安の言葉が出る。
 もちろん、流れない可能性があるのは硬い・太い・長いの三拍子揃った巨大便である。
 以前便器を詰まらせた巨塊よりは小さいサイズではあるが……無事に流れてくれる保証はない。

 とはいえ、沙絵にできるのは、水洗レバーを引くことだけなのだ。
 「大」の側に、その金属製のレバーを引っ張る。

  ジャァァァァァァァァァッ!!
「おねがい……流れてっ……」

  ジャアアアアアアア!!

  ………ゴボボボボボボボッ!!

 ……行った。
 沙絵を数日間に渡って苦しめていた巨大な塊が。
 下水の彼方に……消えていった。

 ふっと、肩の力が抜ける。
 このために……これを排出するために、腸がねじ切れるような苦痛まで味わったのだ。
 やっと……その苦労が報われた。

「はぁ…………っ!?」
 安堵のため息をつこうとしたその瞬間。

  ギュルルルルルルルルルルッ!!

 おなかがものすごい唸りを上げる。
 おしりの穴に、さっきまでの圧迫感とは違う、熱いうずきが押し寄せる。

「うぅっ…………」
 力の入れ続けで感覚が麻痺しかけている肛門。
 新たに生み出された便意に押され、そこにごくわずかな力を込める。
 さっきまでに比べれば、あまりに弱々しい排泄行動。
 ……だが。

  ビシュブチュチュチュッ!!
  ビチチチチチブリッ!!

 ほとんど液状化した、わずかな粘性のみを残すゲル状の大便が、勢いよく便器に叩きつけられる。
 盛大な排泄を終えてから、おしりを拭くほどの余裕もなかった。

  ギュルルルッ!!
「うくっ!?」
 繰り返す腹痛。

  ビチビチビチビチビチッ!!
「あは……あぁぁぁっ……」
 溢れつづける下痢便。

 そう……沙絵の排泄は、終わったのではない。
 たったいま、始まったばかりなのだ。



「……っはぁ……はぁ…………うぅっ!」
  グギュルルルルルルッ!!
  ビチチチブビビビビビブジュビュッ!!

「……くぅぅぅっ……あくっ……」
 終わった、と思ったら瞬間を見透かしたように襲ってくる腹痛。
 そして、1秒も経たないうちに噴き出す液状便。

 そんな苦しみを、何度繰り返したことだろう。
 出しても出しても出しても出しても、決して楽にならない。
 おなかの奥に、気持ち悪さをもたらす何かが残っている。
 しかし出すそばから、新たな腹痛の素が生み出され、沙絵の神経を苛むのだ。

「はぁ……はぁ……は………っ!!」
  グルゴロロロロロロロッ!!
  ビジュルルルルルルッ!!

 いつまで経っても終わりが見えない腹痛地獄。

「くぁっ…………」
  カサカサ……
  ジャアアアアアアアアア……。
 排泄の波が終わり。
 下痢液便の噴射で汚れたおしりを紙で拭き、便器の中の水を濁らせた下痢便を流す。
 たったそれだけの間に、直腸には次なる液状汚物が充填されているのだ。

「はぅっ……!」
  ブビブビビビビビブジュビィィィィィッ!!

「うぅっ………」
  ジャァァァァァァァァ……

「がふっ…………」
  ビチチチチチチブリブリブリビブッ!!

「はぁっ……」
  ジャアアアア……ゴボボボボボ……

 肛門から液便がほとばしった回数。
 汚れたお尻を拭った回数。
 茶色く染まった便器の水を流した回数。
 それらを数えるのが嫌になり始めたころ……。

「うぅっ……」
 目の前が白くなっていく。

  ブビチチチチブジュブジュッ!!
 変わらず、お尻から流れ出る熱い感覚。

  ギュルゴロロロロロロロッ!!
 変わらず、神経を苛む腹痛。

 圧倒的に強力な、不快な刺激。
 だが、間断なく沙絵を襲うそれは、徐々に「慣れ」へと化していった。
 いや……沙絵の心と身体が、そのつらさからの逃避を試みたのかもしれない。

 薄れゆく意識。
 沙絵は最後の気力を振り絞って、トイレの水を流した。

  ジャアアアアアアアァァァァァァ………。

 渦を巻いてどこかに消えて行く水のように。
 沙絵の意識も、ここではないどこかへ消えていった。

 そのころ……誰もいない部屋で、目覚し時計が鳴り響いていた。
 その時計の針は、昨日指定した時間のまま。
 朝7時30分を指していた。


「おっはよー、百合ちゃん」
「瑞奈ちゃん、遅いよ……」
「ごめーん。ちょっといろいろあって」
「もう……」
「ねえ、百合ちゃん……昨日……大丈夫だった?」
「え……えっ!?」
「ボクね……なんか、放課後に急におなか痛くなっちゃって……全然我慢できなくて、ランニングの途中で、トイレに駆け込んじゃって……百合ちゃんは何ともなかった?」
「え……? う、うん、わ、私はその、別に……な、なんともなかったから……」
「そう……おかしいなぁ……」
「………」
(言えない……先輩の見てる前でおなか押さえておトイレに駆け込んじゃったなんて……)


 目覚めた時。
 沙絵が感じたのは、強烈な悪臭だった。

 わずかに遅れて目を開き、視界に飛び込んできたのは両足の間の黒い汚水。
 寝ている間に、かなりの量……もともと便器の中にあった水と同じくらいの量の下痢便が、その中に注ぎ込まれ、腐った悪臭を放っている。出してかなりの時間が経っているのだろうが、その臭いは弱まるどころかいっそう増してすらいる。

 わずかに身体を動かすと、まとわりつくような熱気。
 この気温から考えるに、昼過ぎまで倒れていたようだ。

「うぅ……」
  ジャァァァァァァァァァァッ……

 何度目かわからない水洗の水を流して、よろよろと立ち上がる。
 幸い、便意と腹痛は切迫してはいない。

  ガチャ。
 半日近くに渡って閉められていたドアが開く。
「沙絵……」
 その音を聞きつけてか、母が心配げな声をかけてくる。
「ママ……」
「大丈夫……?」
「……お水……」
「わかったわ。台所まで歩ける?」
「うん…………うぅっ!?」
  ギュルルルルルルルルッ!!

 沙絵のおなかから、すさまじい鳴動音が巻き起こる。
 眠っている間感じずに済んでいた痛みを、取り返そうとするかのように。
 瞬間、沙絵はおなかを押さえ、踵を返す。
 向かう先は、さっきまで指定席だったトイレだ。

  バタン!
  ガサササッ!!
  ……
  ビチビチビチビチビチビチビチビチッ!!

「……沙絵……お水、ここに置くから……落ち着いたら飲みなさい」
「うん……」

 結局、沙絵が水分を補給したのは、それから数十分の後だった。


「くふっ…………!!」
  ブリリリリリリリリッ!!
  ビジュブジュブビビビビビッ!!
  ジュルビブバビュルルルルルルルッ!!

 そしてその水分が新たな下痢の呼び水になるのに、さほど時間はかからなかった。
 ちびちびとしか出なくなっていた排泄に、固形便を押し出した直後のような勢いが加えられた。

「はぁ…………あぁぁぁぁぁっ……」
  ブチュビリュリュリュリュッ!!
  ブババババババブリッ!!
  ジュルブジュブピピピピピピッ!!


「……これ、百合ちゃんに似合うんじゃないかな?」
「え……うーん……色は涼しくていいんだけど……ちょっと男の子っぽいかな……」
「そーかなー……」
「瑞奈ちゃんこそ、たまにはスカートとか履いてみたらいいと思うんだけど……これとか」
「ボクはこれでいいよ。そんなの、ひらひらしてて走りにくいもん」
「うーん……」
「あ、ごめんね百合ちゃん、ボク、ちょっとトイレに行ってくる」
「まだ……調子悪いの?」
「え? ううん、さっきからおしっこしたくて」
「あ、そ、そう……ごめんね。待ってるから」
「うん。行ってくるね」

「ただいまー」
「は、早かったね……」
「うん」



「あぁっ……」
  ビジュジュジュジュジュッ!!

 来島家のトイレでは、沙絵が一人孤独な戦いを続けていた。

「沙絵……大丈夫ですか?」
 昼の部の営業を終え、店に「準備中」の看板を出した父が家の中に戻ってくる。

「な、なんと……か……はうっ……」
  ブビビビビビビィッ!! ビチチチチチッ!!

「……落ち着いたら、病院に行きましょうか?」
 目を伏せた父が、トイレのドアに向かって声をかける。もちろん、下痢の排泄音が途切れた隙をうかがって、だが。
「やだ……病院はやだっ……」
 混濁する意識の中、沙絵が必死に否定の言葉をつぶやく。
「…………仕方ありませんね……」
 ……数秒の後、父はそっとトイレの前から離れる。

「ふぅ……」
 下痢の差し込みが一段落した後、沙絵は安堵のため息をつく。

 病院。
 そこで適切な処置を受ければ、こんな苦しみを味わわずに排泄することができるのかもしれない。
 だが、沙絵はどうしても病院にだけは行きたくなかった。

 小学校に入って間もないころ、その頃から便秘症だった沙絵は、1ヶ月近くもの便秘に陥ってしまい、病院に行くことになった。
 下剤と浣腸による治療を受けたものの、凝り固まった巨大な便を排泄することはできず、薬液と液状便が漏れ出るのみ。そこで、子供の身体には限界と思えるほどの大量の浣腸をして、外から数十分間に渡って押さえつけ、その勢いでもって排泄するという荒業に挑まねばならなくなった。
 腸がちぎれそうな腹痛。引き裂かれそうな肛門の圧迫感。あまりの痛みに耐え切れず、10分もしないうちに沙絵は意識を失った。
 次に目覚めた時、沙絵の意識を満たしていたのはその限界を遥かに超えた痛みだった。肛門を押し広げて大人の腕ほどもある長大な便がすさまじい勢いで通過していく。その排泄が終わった後、沙絵は便液を病院のベッドに撒き散らしながら、再び意識を失った。

 とてつもない苦痛。
 見られながらの排泄。
 その二つとも、沙絵は二度と経験したくないことだった。
 だからこうして、自分の家で、誰にも見られずに下剤を用いて苦痛に満ちた排泄を繰り返している。

 決してやりたくてやっているわけではない。
 だが、沙絵が取りうる中は最善の方法である。

「くぅ……あ……はぁっ……」
  グギュルルルルルルル……
  ビチチチチチチチチチチチチッ!!
  ブジュビュルルルルルルルッ!!

 沙絵は……ただひたすらに耐えるしかなかった。


「百合ちゃん、それだけしか買わなくていいの?」
「うん……だって、その……あんまり、見てもらう機会もないから……」
「そんなことないって。お休みの日とか……」
「そ、そんなのまだ無理だよっ………」
「本当に学校と部活だけ……?」
「うん……」
「えーと、ほら、合宿の時とか」
「マネージャーも体操着ですっ」
「部屋着とかは? パジャマとかなら自由でしょ?」
「そんなの、よけい見せられるわけないよっ……」
「そっか……」
「瑞奈ちゃんは、何買ったの?」
「髪を結ぶリボン。お姉さまに似合う色って、結構悩んだんだけど……」
「うん、いいと思うよ……」


「くは……っ……」
  ビチチチチチチチチチッ!!

 何十回目かに、こげ茶色に染まる便器。
 沙絵の苦闘は……日が暮れる頃になっても続いていた。
 普通の女の子なら、友達と過ごし、趣味を嗜み、楽しく過ごせるはずの休日。

 だが、沙絵にとっては……。

「はぁ……あぁぁぁっ……」
  ビチビチビチビチビチブッ!!
  キュルゴロロロロロロ……
  ジュバババババババビィッ!!
  グルルルルルギュルッ……
  ビチブリリリリリリリリリーッ!!



 沙絵が苦痛から解放されたのは、その日の夜も遅くなってからだった。
 消化の良いものを選んで作ってもらった食事を口に運び、沙絵はやっと生きている実感を味わうことができた。

 そして……月曜日。

「に……おはよー!」
「おはよ、沙絵ちゃん」
「今日は遅かったにゃー、どしたの?」
「うん……先輩たちの見送りに行ってて」
「そっかー」

 いつも通りの会話を、いつも通りの友人と繰り返す。


 ……沙絵の部屋の机の中には、鍵のかけられた日記があった。


 6月16日金曜日
  ちょっとだけ学校に遅刻してしまった。
  学校でずっと寝てた。
  百合ちゃんたちとお買い物、行きたかったなー。

 6月18日日曜日。
  パパに新しい料理を教わった。
  コンニャクイモのバター風味炒め。
  レシピ:コンニャクイモ中1個
      塩小さじ1
      バター大さじ1
      オールスパイス少々
  感想:びみょー。改良の余地あり。

  コンニャクイモの大きさって初めて知った。



 この3日間の記述は、それだけである。


 ……日記に記されなかった、一人の少女の休日。

 いや、記されなかったのではない。
 彼女には、その日は初めから存在しなかったのだ。

 それが、来島沙絵の日常だった――。



あとがき

 おそらく初めての便秘描写だと思うのですが、いかがだったでしょうか。

 一人は下剤依存症にしようと思って、沙絵にその役目が回ってきました。とりあえず下させておけば楽かと思ったのですが、なかなか丸一日下痢ってのも書きにくいものですね。結局最大のヤマは便秘解消の一瞬だったような。

 百合たんや瑞奈たんとの対比、(……)による心情描写の封印など、いろいろチャレンジしてみましたが、やはり絶対の自信のある出来にはなってないかもしれませんね。

 ちなみに、謎プリンを押し付けられてしまった百合たんと瑞奈たんがどんな排泄を繰り広げたかは……ご自由にご想像ください。結構こういう暗示(?)描写は好評だったので、今後もちょこちょこ入れるかもしれません。

 さて、それでは次でリベンジの予告を。

 桜ヶ丘中学3年生、京都への2泊3日修学旅行。
 排泄に大きな不安を抱える純子、叶絵の運命やいかに……。
 そして……誰も考えていなかった事件が起こる。
 隆の幼なじみ・淡倉美典の失踪。
 夜になっても戻って来ない彼女を追って、隆は宿を飛び出した。
 どこに。何を。なぜ……。
 全ての疑問の答えは、はるかな思い出の中にあった――。

 つぼみたちの輝き Story.10「未来と過去の記憶」。
 刻まれた記憶は過去から現在へ、そして未来へ……。


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