つぼみたちの輝き Story.2

「Imperfection」


弓塚 潤奈(ゆみづか じゅんな)
 12歳  中学1年生
体型 身長:156cm 体重:49kg 3サイズ:81-50-81


 流れるような短髪に、真面目そうな眼鏡。威圧感のあるその雰囲気は、12歳の少女とは思えない。
 その雰囲気に違わぬ厳しい性格で、能力もそれに劣らず完璧。学力、運動力、性格、容姿……すべてに隙のない女子である。


 平成12年度桜ヶ丘中学校体育祭、その開会式。
 弓塚潤奈は、体育着姿で整列する全校生徒を一目に見渡していた。

 ほんの少し青みがかった髪は、短いながらも流れるようにさらさらだ。表情を見ると、きっと結ばれた口元に、見る者を射抜くような鋭い眼差し。それはとても、12歳の少女のものとは思えなかった。
 そんな彼女が、1年生にして実行委員として皆の前に立つ姿は、「選ばれた」存在である証だった。
 1年1組クラス委員長。
 学年運営委員学習部長。
 体育祭運営委員1年生代表。
 1学期中間試験、成績最優秀者。
 中学に入ったばかりの身で得た数々の称号に頼るまでもなく、彼女は生まれながらにして人の上に立つ存在だった。

 同年代の者とは一線を画す知性と学識。素早く正確な状況判断と決断力。有無を言わせぬ説得力を持つ言葉。知り合いの別なく公平に厳しい態度。
 それらを総合して表す言葉はただ一つ、「カリスマ」であった。最近はただ人気があるという安っぽい使われ方しか目立たないが、元々は指導力、決断力などをすべて兼ね備えた人間的魅力を表す言葉である。
 日本においては聖徳太子、織田信長。中国では秦始皇帝や劉備玄徳。西洋ではアレクサンダー、ナポレオン、あるいはヒトラー。そんな歴史上の人物が背負うにふさわしい言葉をもって、彼女は称えられていた。

 そんな称号で称えられてなお表情一つ変えない彼女は今日、中学に入って初めて、胸を張って全校生徒の前に立つ……はずであった。

 だが……彼女は身体中に汗を浮かべながら、いつもなら真面目に聞く校長先生の話を、この上なく上の空で聞いていたのである。

 ギュル……ゴロロロロロロッ……。
(お腹が……お腹が痛い…………トイレに…………)
 彼女は、激しい腹痛を伴う急激な便意の高まり……下痢に苦しんでいたのである。
 あまりの痛みに耐え切れず、ブルマの上から下腹部をさすったりもする。できることなら前かがみになり、おしりを押さえる我慢ポーズをとりたいほどだった。
 だが、実行委員としてみんなの前に出る立場と、彼女自身のプライドがそれを許してくれない。結局、必死の思いでおしりの穴を締め、中からあふれようとするものを押しとどめるしかないのだった。

 しかし、そんな彼女の思いも空しく、腹痛と便意はさらに急激に膨れ上がっていく。
「……くっ……あ……」
  ゴロロロ……ギュルルルルルッ……。

 朝起きた時から感じていた腹部の違和感は、開会式中の準備体操が始まった瞬間に猛烈な便意となって牙をむいた。全身から冷や汗を流しながら、かろうじて体操のリズムについていく。屈伸や跳躍の時など、いつもらしてもおかしくない状態だった。
「……うぅ…………」

「……弓塚さん、弓塚さん!」
「……え……? は、はい!!」
 慌てて振り向く。声をかけていたのは2年生の実行委員、藤倉学だった。
「ほら、閉式の言葉。担当、弓塚さんでしょ」
「あっ……そ、そうでした……すみません」
 痛むお腹をかばいながら、急いで壇上に駆け上がる。
『い、以上で開会式を終了します。1年生から順に退場し、席に戻ってください。第1競技、100m走に出場する選手のみなさん、は……す、すぐに入場門に集合してください』
 挨拶の途中で便意が押し寄せ、言葉に詰まってしまった。潤奈は誰かに気付かれたりしないかと不安だったが、とりあえずその心配はないようだった。
 壇上から駆け下り、実行委員テントに戻る。委員はみな競技の準備を始めていた。潤奈はこっそりとそこから離れ、校庭の端にあるトイレに向かった。

「よかった……誰もいない……」
 男女共用のトイレだけに、男子生徒がいたりしたらさすがに大便をするのは抵抗がある。しかし今は、全力で走ってきたこともあり自分ひとりであった。

 個室に駆け込み、ささっとブルマとパンツを下ろす。肛門の締めつけを緩めるだけで、大量の大便が飛び出してきた。
「あ……あぁぁ……」
  ブブッ!! ミチミチミチミチッ!!
  ニュルッ!! ニュルルルルルッ!!
 やや太めの硬質便に続いて、柔らかめの細長い便が出てくる。徐々に柔らかくなる便は、その形をどんどん失って行った。

  ブビチュッ!! ブビュルルルルッ!!
  ブリュブチュッ!! ビチビチビチビチッ!!
 液状のうんちがおしりから溢れていく。音を立てないようにするなど、もはや不可能だった。液便とガスで肛門が擦れ、凄まじい音を立てつづける。

「はぁ……はぁ……」
  ブビュルルルルルルッ!! ビチチチチッ!
  ブババババババッ! ビチャビチャッ!!
  ビュルビュルッ!! ジュブブブブブブッ!!

 ……全てを出し切るには、5分以上の時間を要した。

「んっ……ふ……ふぅ」
 お腹のうねりがおさまって、ほっとため息をついた。
(うう……ひどい……)
 便器の中に目を落とすと……もはや語ることもできないような状態になっていた。
 肛門の真下に横たわる太い便。その上に、ゲル状になった軟便がこんもりと山を作り、さらにその周りに液状の下痢便が海をなしている。便器の側面や淵にすらも茶色い雫が飛び散っていた。
(……綺麗にしなければ……)
 潤奈はまず水洗レバーを下げ、便器の中の大量の汚物を流した。
 そしてトイレットペーパーを勢いよく巻き取り、自分のお尻を拭き始めた。激しい下痢だったためにその汚れも尋常ではなく、拭いた紙が茶色くなくなるころには、便器の中が汚れた紙で一杯になっていた。
 その後便器の淵などを綺麗にしたが、個室内に充満した悪臭はいまだになくなっていなかった。
(外に……誰もいないといいのだけれど……)
 潤奈はそぉっと個室のドアを開ける。
 ……そこには上級生の女子が立っていた。
「ちょっと! 長すぎるわよ! 何度もノックしたんだから!」
「あ……す、すみませんっ!!」
「まったく……待ってる人のことも考えなさいよね」
「は……はい……」

 絡み付く視線から逃げるようにトイレを飛び出し、潤奈はやっと安堵のため息をつくことができた。
「早く、戻らないと……」
 あまりの便意のために、何も言わず実行委員のテントを飛び出してしまったから、戻って何事もなかったように振舞わねばならない。潤奈は、競技の開始を前にざわつきはじめる会場を急ぎ足で歩きつづけた。

(どうして、こんな……)
 まだジュクジュクと痛むおなかに手を当てる。これほど腹を下したのは何年ぶりだろうか。小学校6年の間にも、一度二度あったかどうかだ。低学年の頃に、間違って痛んだ牛乳を飲んで、おむつを当てながら病院に運ばれるほどのひどい下痢になったことはあったが……。
(よりによって、こんな日に……)
 体育祭。
 彼女にとっては、普通の生徒以上に大事な行事であった。
 実行委員としての初めての仕事。秋の選挙で生徒会に入ることを目指している彼女にとって、先生や先輩にアピールする最大のチャンスだった。

 ……なのに……今の自分は、みじめにも腹を下して苦しんでいる。治まらない腹痛を考えると、便意の波がこれ一回で済むとはとても思えない。
 だが、休むわけにはいかない。そんな頼りない人間と思われることは許されなかった。それよりは、体調不良にも負けず懸命に仕事に励む姿を見せる方がまだましである。だが、もし仕事中に便意をもよおしたら……あるいは、競技の前にトイレに行くタイミングを逃したら……。
(大丈夫。きっと……きっと我慢できるから)
 そう思い、潤奈は実行委員のテントに戻ることにした。

「あら、実行委員の……どうしましたかぁ?」
 保健委員の2年生の言葉。ここは、実行委員席からはかなり離れた、救護テントである。
 ……潤奈は、そこに来ていた。
「……あの…………」
 おなかが痛いので、薬をください……。
 そう言うつもりだった。もとは、開会式が終わった瞬間に実行委員席を抜け出した口実を考えてのことだった。体調が優れないので薬をもらいに行ったと。だがそれよりは、本当に下痢止めの薬をもらっておく方が望ましい。そう思って、わざわざ救護テントに立ち寄ったのだ。
「その、薬を……」
「薬……ですかぁ。頭が痛いんですか? それとも、おなかをこわしたんですかぁ?」
「え……あ………その……」
 下痢止めの薬をください。その言葉が、どうしても出て来ない。それは、自分が腹を壊して下痢をしていると宣言するも同然だった。だが、そう言わないことには薬ももらえない。そうしたら、一日中便意におびえながら過ごさねばならない。
「あ……そ、そう、実行委員の人が、お腹の具合が悪いって言っていまして……その……下痢に効く薬をもらってきてくれって……」
 必死の言い訳だった。明らかに青白い潤奈の顔色を見れば、こんな嘘……いや、実行委員の一人が腹具合を悪くしているのはまぎれもない事実だが……それが潤奈のことであるのは明白かもしれない。だがそれでも、彼女はその事実を隠そうとした。
「そうですかぁ。じゃあ……これを一粒飲んで、一時間以内に効かなかったらもう一粒飲むように言ってください。もし良くならなかったら、すぐこっちのテントに来てくださいね」
 そう言って、保健委員が潤奈に錠剤を二粒手渡す。潤奈はそれを受け取ると、逃げるようにそこを離れた。


「すみません、いま戻りました」
 潤奈は、水道の水で錠剤を二つ、一気に飲み下したあと、実行委員テントに駆け足で戻ってきた。
「あ……弓塚さん。どこにいってたの?」
 3年生の実行委員長、白宮純子が声をかけてくる。生徒会長こそ男子に譲ってはいるが、書記長にクラス委員も務め、行事では常に最前に立つ彼女は、間違いなく桜ヶ丘中の顔であった。
 同時に、その純子に顔と名前を覚えてもらっているということは、体育祭の準備における潤奈の働きが目覚ましかったということでもある。
「すみません……ちょっと頭痛がして……薬をもらいに行っていました」
「えっ……そうなの。確かに、顔色も良くないし……大丈夫? 休んでもいいのよ」
「いえ……ここまで来て休んだら、今まで準備した意味がないですから。仕事は大丈夫です」
「そう……無理しないでね」
「はい」
 そう言って、さっそく仕事に入る。
 実行委員の大きな仕事は前日までの準備が主で、当日は雑事程度だが、それがまた忙しい。点数の計算、順位の判定作業、競技用具の準備、放送委員への指示……。まさに忙殺と言うに等しい。特に、実行委員の大半は競技係、放送係、救護係などに専門化しており、そのような雑事はわずか3名の「総合職」だけで請け負わねばならなかった。
 ……だが、それだけ厳しい仕事にあたるだけあって、担当者は各学年の精鋭揃いである。
 3年生は、つい先ほど紹介した桜ヶ丘の顔、白宮純子。決して崩れない温和な態度と、一つ一つ説得力のある言葉で、的確な指示を下す。
 2年生は、3年生を差し置いて学校一の秀才と言われる藤倉学。野球部でも捕手という司令塔を務める彼は、競技の内容も熟知しており、ルール関連は彼に一任されていた。また計算も速く、送られてくる競技結果をすぐさま点数に変換し、各ブロックの順位を計算しなおして掲示係に送る。
 そして1年生は、とても12歳とは思えない落ち着き、カリスマ性を示す弓塚潤奈。小さな不正も見逃さない観察力で、競技場の秩序を保つ……はずだった。
 だが……。

「うっ……」
  グルルルルルルッ……。
 再び、彼女のおなかが急降下を始める。
(薬……まだ効いてこないの……?)
 一まとめに飲んだにもかかわらず効き目を表さない薬に恨みをぶつける。しかし、だからと言って腹具合が楽になるわけではない。
(どうしよう……今なら仕事もないけれど……)
 今は競技中とあって、自分たちは比較的楽な時間だ。白宮先輩は委員席で先生と雑談をしているし、藤倉先輩も席を外している。自分がトイレに立ったとて、さしたる不安はない。
(今のうちに行っておいた方がいいわね……)
 そう、決断する。
「白宮先輩……私、クラスの様子を見てきます」
 あらかじめ用意しておいた言い訳。実際、クラスの問題は副委員長に任せてあり、潤奈は一度も顔を出せないかもしれないと言ってある。だが、この場では最も効果的だった。
「あ……うん。たしか弓塚さん、委員長だったわね。行ってらっしゃい」
「はい。失礼します」
 何気ない顔で……実際はおなかからかすかな唸りを奏でながら、潤奈は席を立った。

 ……潤奈が向かったのは、旧校舎のトイレだった。
 何年前に建てられたかわからない、木造の校舎。ほとんどの教室が物置と化し、図書館くらいしか生徒が使う施設はない。当然トイレも古く、ろくに掃除もされていない水洗の和式トイレがあるだけだ。その汚さと場所の不便さもあって、使うような者はほとんどいない。それだけに、今の潤奈が下痢便を吐き出すには、これ以上ない場所であった。
 もとの職員玄関から、スリッパを拾って入り、そのままトイレに駆け込む。余裕のあるうちに来たとはいえ、下痢の時の便意の高まる速さはすさまじく、力さえ抜けばいつでも出てしまいそうだった。
  ギュルゴロロロロロロロッ!!
「くっ……まだ……」
 我慢。トイレの個室に入り、下着を下ろし、便意を解放する体勢を整えるまで、何があってもおしりの穴を開くわけにはいかない。完璧を目指す潤奈にとって、おもらしなどということは人生の破滅にも等しい醜態である。それだけは何としても避けなければならなかった。
 ……そして、彼女はやっとその体勢を整えた。
「んんんっ!!」
  ブリブリブリッ!! ブジュルルルルッ!!
  ジュルビィッ!! ビシャブビィィィッ!!
 あっという間に、便器の中の水が茶色く染まる。最初に出したときのような固形のものはもう、ほとんど見当たらなかった。圧倒的な勢いで噴き出す茶色の水流。個室の中、そしてトイレ中を、言い知れぬ悪臭が満たしていく。
「うぅぅっ……くっ!!」
  ブリュリュリュ……ブリュ……。
  ブビビビ………ブビチビチビブリュッ!!
 液便を垂らしていた彼女のおしりから突然、とてつもない大音響が響いた。空気混じりの液体が一斉に肛門に押し寄せ、四方八方に弾けて発生した音である。もちろん便器の中におさまらず、トイレの床、そしてスリッパ、靴下にまで飛び散ってしまったのである。
「あ……あぁ……」
(靴下が……汚れて……)
 視線を足元に落とす。下痢便を吐き出しつづけるお尻の穴を視界からそらしても、白い靴下の内側に飛び散った茶色い染みが、はっきりと目に入ってくる。
(こ、このままじゃみんなの前に出られなくなって……)
 それだけは避けなければならない。まだ下痢便の排泄は止まらないが、潤奈は手を伸ばして紙を……。
「えっ!?」
 ……手を伸ばした先、ペーパーホルダーには、紙の芯だけが空しく放置されていた。
(……私としたことが……)
 迂闊だった。手入れが行き届いていないトイレということは、人が来ないと同時に、紙が用意されていない可能性も高かったのだ。
(ど、どうしたら……どうしたらいいの……)
 ぐちゃぐちゃに汚れたおしりを拭かなければ、ショーツとブルマを履くわけにはいかない。さりとて、拭くための紙を手にするには、個室の外に出なければいけない。その上、助けなど呼ぶわけにもいかない。まさに八方ふさがりだった。
(どうしたら………あぁっ……)
  ブチュブチュブチュブチュッ!! ビビッ!!
  ブリブリブリブリビィィィィッ!! ジュバババッ!!
  ブビュルルルルルルーッ……!!
 彼女にできるのは、苦しみの元凶である汚物を吐き出しつづけることだけだった……。


「はぁ、はぁ……」
 お尻からの噴出が、やっとおさまる。今ごろ薬が効いてきたのか、おなかの具合も楽になっていた。
 開会式の直後にした時のように、便器の中に大便の山こそ作らなかったが、お尻の下は一面液状便の海となっていた。
 とりあえずは、これを流して……。
  チョロチョロチョロ……
「え……ちょ、ちょっと……!?」
 水流が弱い。こんな勢いでは、下痢便の海をただかき混ぜるだけだ。
(な、流れてっ……)
 そう念じながら、何度もレバーを押し下げる。だが、水勢は全く強くならない。それどころかだんだん弱くなり……ついには、レバーを押しても全く反応しなくなってしまった。
「………う……」
 便器の中は、薄まったとはいえはっきりと茶色を残す水たまり。その淵には、飛び散らせてしまった下痢便……おしりからも、ぽたぽたと同じ色の滴が垂れている。
(………………)
 思わず絶望感に囚われる。だが……それだけでは何も始まらない。一刻も早く戻らないと、自分の身体の不調が知られてしまう。
(やるしかない……)
 茶色のしずくを滴らせるおしりをそのままに、脱いだブルマで前だけを隠す。個室のドアをかすかに開け、人がいないかどうかを視覚、聴覚を駆使して観察する……大丈夫そうだ。
(お、おねがい……誰も来ないでっ……)
 入口をうかがいながら、隣の個室を覗き込む。決して量は多くないが、芯に巻きついた白い紙がそこにはあった。わき目も振らず駆け込み、鍵を閉める。
「はぁ……はぁ……」
 一瞬で最高まで上がりきった心拍数を何とか押さえると、潤奈は念願の紙を手にしておしりを拭き始めた。靴下の汚れもぬぐおうとしたが、時間が経ってすっかり布地に吸収されてしまっていたため、あきらめるしかなかった。元いた個室……残された下痢便を流そうとしたが、結果は同じだった。ただ、ある程度の水は流れたから、時間が経てば大丈夫なのかもしれない。

「ふぅ……」
 後始末の際に汚れてしまった手を洗い終える。
(誰にも、会わないといいけど……)
 そう思いながら、女子便所を出る。
 ……紙。そして水洗。彼女の願いは、二度にわたって裏切られてきた。
 ……二度あることは、三度あったのである。
「あっ……」
「え……ふ、藤倉先輩!?」
 トイレを出た瞬間、同じように出てきた男子……それも顔見知り、もしかしたら生徒会でこれからも仕事をすることになるかもしれない、藤倉学と鉢合わせしてしまったのだ。
 ……考えうる最悪の事態であった。
「せ、先輩、どうしてこんなところにっ!?」
 また絶望に突き落とされる潤奈。口を開いたのは、自分を落ち着いて観察させないための防衛反応だった。必死に脚を閉じ、靴下の内側に付着した汚れを隠す。脱いでしまうことも考えたが、何らかのアクシデントがあったことを告白しているようなものだ。これくらいしか、彼女にできることはなかった。
「え……い、いや僕は……生徒会室に忘れ物をしていて……取りに寄ったついでなんだけど」
 気まずそうな雰囲気で答える学。どこか、顔も赤い気がする。
「そ……そうですか……」
 もっとも、潤奈の方も、表情にこそ出さないものの心の中は恥ずかしさで一杯だ。
「えと……その………」
 沈黙。お互い、かける言葉が見つからないのだろう。
 ………やがて。
「あ、私、すぐ戻らないといけないので……失礼しますっ!!」
 潤奈はそう言い放ち、逃げるようにその場を離れた。
 学はその背中を、黙って見送るしかなかった……。


 それ以降、体育祭は順調に進んだ。実行委員としても、潤奈個人としても……。
 何事もなく午前の競技が終了し、昼食を挟んで午後一の応援合戦が始まる。
 1〜3年をまとめたブロックごとに、演技の優劣を競う。
 潤奈たちの赤ブロックの番。練習こそしていたものの、時おり乱れが出る演技、ダンスに苦々しさを感じていた。
(私が指揮をすれば、一糸乱れぬ統率にしてやれるのに……)
 また、そう思うことができる程度に、彼女の体調は回復していた。

 そして、その後も予定は順調に消化され、最後から3番目の種目。女子全員参加による棒倒しだ。ブロックの女子が全員参加し、相手の守備隊が支える長さ3mの細身の丸太を攻撃部隊が倒し、その頂点にある旗を奪って本部に届けた方が勝ち。
 棒を強引に力で倒す、ということでかなり危険もあるが、この後に続く男子全員による騎馬戦、各ブロックの精鋭による対抗リレーと並び、最も派手で人気のある種目である。
 潤奈は、1回戦シードとなる自分たちの出番を、静かに待っていた。目の前で、壮絶なぶつかり合いが繰り広げられている。
(勝てるわ……)
 その様子を見ながら、潤奈は心の中で笑みを浮かべていた。他のブロックは、攻撃と守備にきっちり分かれ、攻撃は闇雲に突撃するだけ。守備は目の前まで来た敵を水際で押し返すだけ。
 赤ブロックには、潤奈が自ら提案した策があった。原則として3年生を攻撃部隊、1年生を守備部隊とし、各学年から力ではなく身軽さに優れた者を攻撃部隊に加え、棒を倒さずして飛び登って旗を奪う奇襲作戦を取る。
 同時に、2年生を中心とした遊撃部隊を組み、棒を囲む守備隊より10mほど前で防衛ラインを組む。各員が手をつないで防壁を作り、ここでいったん敵の進撃速度を0にする。
 人間が走るのなど等加速度運動のようなものだから、これにより棒に突撃する速度は半分にも4分の1にもなるはずだ。もちろん、遊撃隊も後退しながら守備に参加する。
 攻守ともに仕掛けを施したこの作戦。潤奈がこれを指揮する限り、負けるはずはなかった。実行委員として体育祭全体の成功を演出するのとは別に、いざ競技となれば冷徹に自軍の勝利のみを考える参謀となるのである。

 しかし、彼女にはもうひとつだけ、考えるべきことがあった……。
  グギュルルルルルルルルッ!!
(えっ……)
 朝、散々に下っていた彼女のおなかが、再びその活発な活動を開始したのである。
  ゴロロロ……グルルルルルルッ!!
(ちょ、ちょっと……どうして……)
 薬の効果が切れた、その反動だろうか。凄まじい速さでお腹が音を立て、便意が加速度をつけて高まっていく。
「2回戦第1試合、赤ブロック対黄色ブロック! 出場選手は位置についてください!」
 放送席から元気の良い声が聞こえる。一度聞いたら忘れない、クラスメートの香月幸華の声だ。潤奈は、その有り余る元気をねたましく思いながらも、痛むおなかを抱えて立ち上がった。

「あ、あの、弓塚さん……」
「は、はい……?」
 遊撃隊の2年生が声をかけてくる。いつも図書室で見かけるので、潤奈もその顔と名前を覚えている。図書委員の舟崎史音だ。潤奈はお腹の痛みに精神力で耐え、彼女の方を向いた。
「ほ、本当に私たちで止めるんですか……?」
 度の強い眼鏡をかけたその顔に、不安げな表情が浮かぶ。確かに細身の彼女には、突進してくる相手を止めることなど無理そうだ。だが……少しでも相手の勢いを殺しておかねばならない。
「完全に止める必要はありません。ぶつかりそうになったら、こちらからも少しだけ前に出てください。怖かったら、目をつぶっていてかまいません。一度……っ……ぶつかったら、あとは真後ろに逃げて合流してください。……簡単ですよ」
「わ、わかりました……」
 不安げな表情を残しながらも、史音が防衛ラインに戻る。
  ギュルルルルルルッ!!
「く、くぅっ……」
 押さえていた反動のように、お腹がものすごい音を立てる。同時に凄まじい便意が、彼女に降りかかってくる。
(まだ……せめて、この試合が終わるまでは……)
 勝てばもう一試合あるが、そこまで自分の我慢は保ちそうになかった。だが、位置についてしまった今となっては、抜け出すわけにはいかない。それに、自分を除いてはこの防衛ラインの指揮が取れる人間はいないのだ。どちらの意味でも、潤奈にできるのはこの一戦を乗り切ることだけなのだ。

「位置について……」
  バン!
 ピストルの音とともに、両陣営の攻撃部隊が一斉に突撃を開始する。
「正面を迂回してきます! 広がって!」
 相手の動きを見切り、潤奈が防衛ラインに指示を出す。
「きゃあっ……」
「怖がらないで! くっ……うぅぅぅ……」
  ギュルルルルルルルッ!!
 また潤奈のお腹が壮絶なうごめきをみせる。並の人間なら、顔面蒼白でトイレに駆け込んでいるところだ。しかし潤奈は顔色一つ変えず、括約筋の力だけで便意に耐えている。
「そう……今です、一歩前へ!!」
 相手の攻撃部隊が防衛ラインに達する直前、潤奈は号令を下した。
「りゃああああっ!!」
「えーーーーいっ!!」
 女子の高い声とはいえ、相当に迫力のある怒声が響く。そして直後、攻撃部隊が真っ正面からショルダーチャージをかけてきた。こちらも前に出る勢いがあるといっても、さすがに数に押され崩される。
「後退して! 守備隊の援護に回ってくださ……うぅっ!!」
  ゴロロロロロロッ!!
 後退の指示を出した瞬間、潤奈を最大級の腹痛が襲う。お尻の圧迫感はそれほどでもないが、あまりの激痛に、身体が反射的に固まってしまう。
(しまった……)
 一瞬の遅れ。だが、再度の突撃が始まった中での一瞬は十分に致命的だった。潤奈は、押し寄せる相手攻撃部隊の真ん中に一人、取り残されたのである。
「くっ……!!」
 体勢を立て直し、自分も後退しようとする。だが、それよりも相手が押し寄せてくる方が早かった。
「いやあぁぁぁぁっ!!」
 彼女には珍しい悲鳴を上げる。鉄の女との呼び声高い彼女も、こうなってはただの細腕の女の子である。押し寄せる血気盛んな相手の群れに、あっという間に棒のそばまで押し流される。
「どきなさいっ!!」
 猛烈な勢いで押してくる相手。
「くっ……」
 ろくに力も入らない身体で、必死に押し返す……というより、ただ重心を前に倒しているだけだ。脚の力を使ってふんばろうものなら、今すぐにも茶色い液体が漏れてしまいそうだったのだ。
「邪魔よっ!!」
 最前線でしぶとく粘る潤奈を前に、相手が最後の賭けに出る。
 体勢を低くしての突撃であった。

「えっ――!?」
  ドスッ……。
 その頭突きが、ちょうど潤奈の腹部を直撃した。
 凄まじい便意が荒れ狂っている腸が、外部から強烈な刺激を受けたのである。

 ……結末は明らかだった。


  ブビビビッ!!
「!!」
 おしりに走るおぞましい感覚。
 潤奈の頭の中が、一瞬真っ白になった。そのままおしりから地面に倒れこむ。攻撃部隊は彼女には目もくれず、棒を倒そうと突撃していた。
 だが……。
  ピィィィィィ!!
 澄んだ笛の音が、競技場にこだまする。
「勝者、赤ブロック!!」
 放送委員の声。
 潤奈が差し向けた奇襲部隊が、防衛隊を押しのけて棒に飛びつき、その旗を奪ったのである。対する赤ブロックは、まだ棒に取り付かれてすらいない。完全な圧勝だった。
 だが……。

(……私……漏らしたの…………?)
 誰に問うまでもなく、答えは明らかだった。
 地面に接したおしりに感じる湿った感触が、すべてを物語っていた。
 ……ビチビチに下した液状便を、ショーツの中に漏らしてしまったのだ……。

「あぁぁぁ………」
 心の中に、絶望が広がっていく。
 さっきの頭突きの衝撃もあって、立つことすらできなかった。
 誰かが助けに起こそうとすれば、自分の周りに人が集まって、誰かが湿ったブルマか、異様な臭いに気付いて……
 そうしたら……全生徒にこの醜態が……。

(もう……もうおしまいよ……何もかも……)
 これから起こるべき悲劇を思い、潤奈の目のふちに涙が浮かんだ。


 ………だが。
 騒ぎは、別のところで起こっていた。
「た、大変!」
「大丈夫!!」
「しっかりして!!」
 黄色ブロックの方で、人だかりができている。誰かの安否を気遣う声。担架が呼ばれ、その中心へ……
  ギュルゴロロロロロッ!!
「くっ、うぅぅっ……」
 潤奈には、それをゆっくりと眺める余裕はなかった。少量もらしただけでは済まず、第二波の下痢便が今にもあふれようとしていたのである。
「せ、先輩、あとお願いしますっ!!」
「えっ……ゆ、弓塚さん……ちょっと!?」
 手近にいた史音が返事をするが、その瞬間には、潤奈はもう人のいない入場門に向かって走り出していた。

「はぁ……はぁ……」
 ふらつく足取りで、さっきと同じ旧校舎のトイレに向かう潤奈。
  ブビビビビッ!!
 時おり足を止めるごとに、言い知れぬくぐもった炸裂音が響く。限界を迎えた身体で、ここまで歩いてきたのである。もう、我慢する力など残っていなかった。その音を聞くのが自分だけだということが、唯一の救いだった。

 入り口にあったトイレットペーパーをつかんで、個室に飛び込む。
  ブボボボボッ!!
「あっ……あぁっ……」
 思わずおしりを押さえる。ブルマの上からでもはっきりと、生ぬるい湿り気が感じられた。
「くっ……」
 躊躇する余裕などない。一気にブルマと中のショーツを引き下ろし、便器の上にしゃがみこむ。それと同時に……
  ブビビビビビビィッ!! ブブブプッ!! ジュルッ!!
  ブィィィィッビブチュブチュッ!! ジュブルルルルルッ!!
 壮絶な勢いでのほとばしり。あまりの水気の多さにうっすらと透き通った茶色い流動物が、滝のように肛門から放たれていく。
「く……うぅぅぅ……」
 苦しみに歪んだ表情。その神経をすべてお尻の穴に集中させ、一心に下痢便を出しまくる。お尻にべったりと張り付く、手のひら程度の大きさに広がった液体状の汚れ……膝の間で垂れ下がり、もとの白い色と吐き出された茶色とのまだら模様を見せ付けているショーツ……それすらも気にかけられないほど、彼女は排泄に夢中になっていた。
「ふぅ……ぁぁぁぁ……」
  ビビビビビッ!! ブビチビチビチッ!!
  ジュルブピピピピッ!! ブビュルルルルルッ!!
 空気で擦れて、肛門がものすごい音を立てる。仮にすぐ隣の個室に誰かいたとしても、この勢いは止められなかっただろう。
「くぅぅぅぅぅっ!!」
  ギュルルルルルルッ!!
  ブチュブチュブチュブチュッ!! ジュビビビビビビッ!!
 締め付けられるような腹痛にお腹を抱え込んだ次の瞬間には、お尻の穴から猛烈な勢いの液状便が噴出する。
 食いしばった歯、ぎゅっと閉じたまぶたが、ブルブルと震える。念願の排泄を始めてなお治まらない身体の苦痛に、潤奈は目の淵からも、そして心の中からも涙を流し続けた。
 そして、流れつづけたものはあと一つ……。
「んんんっ……くふっ…………」
  ビチュビチュビィィィッ!! ブリリリリリビシャァァァッ!!
  ジュビブブブブボリュッ!! ジュルビチビチビチッ!!
  ブシュシュシュビチビィィィッ!! ブビュビュルルルルルッ!!
  ブビュッ!! ビチチチ……ブリリリビチビチビチビチビチィィィッ!!

 便器に叩きつけられる茶色い水流は、数分に渡って流れつづけたのである……。



「つっ……」
(冷たい……)
 履きなおしたブルマの湿った感覚に、蒼白になった顔をさらにしかめる。

 排泄を終えたあと、潤奈はまず汚れたおしりを拭き清めた。トイレットペーパーを何メートル使ったか覚えていない。茶色の水分が紙につかなくなるまで、狂ったように肛門とその周辺を拭いつづけた。さっきの排泄物がまだ残っているであろう隣の個室と違い、満足に水が流れてくれるのが救いだった。
 ショーツはひどい有様だった。お尻の穴の真下の部分にゲル状の未消化物。その周りには、生地の表側まで染み込んだ茶色の液状便。洗剤で洗っても落ちそうになく、紙でくるんで汚物入れに放り込むしかなかった。
 だが、ブルマは捨てるわけにはいかない。両面から大量の紙を当てて、少しでも下痢便の水分を吸収する。それを何度も繰り返した後、臭いを確認した。至近距離では当然、吐き気をもよおす悪臭を感じたものの、少し離れれば気にはならなくなった。あとは、自分がこの湿った嫌な感触さえ我慢すればいい。

 湿り気を目立たせないため、体育着のシャツを外に出して、ブルマの上半分を隠す。普段はだらしない印象があってやらない格好なのだが、事ここに至っては仕方がなかった。
(誰にも気付かれてなければいいけど……)
 不安な気持ちを抱えながら、潤奈は競技場へと戻っていった……。


 果たして、潤奈のおもらしに気付いたものはいなかった。
 あの棒倒しの試合は、黄色ブロックの女子生徒が倒れたことによって一時中断し、会場はそのことで大騒ぎになっていたらしい。中断のあと決勝戦が続行されたが、防衛ラインの統率を欠いた赤ブロックは、半ば自滅に近い形で敗れ去ったという。
 それ自体は、潤奈も十分予測していたことだった。あの作戦は、的中すれば敵の進撃の足を止め有利になるが、部隊を3つに分ける作戦は個々の人数が少なくなり、配置を一つ間違えれば数で押し切られてしまう。その統率ができる中学生など、潤奈以外にいないはずだ。……ただ、わかっていても、トイレから離れられなかった潤奈にはどうしようもなかったのである。
 それより潤奈を驚かせたのは、倒れたという黄色ブロックの女子のことである。聞くところによると、救護テントではなく校舎内の保健室まで運ばれていったらしい。怪我ではなく、青白い顔で全身に汗を浮かべていたとのことだが、それ以上は保健委員に聞いても教えてもらえなかった。
 潤奈の耳に止まったのは、その子の容態ではなく名前である。自分自身切迫していたため顔を見る余裕などなかったが、見てさえいれば記憶にあった名前と一致しただろう。まだ気持ちの整理こそついていないが、可能な限り正確に言えば「ライバルになるかもしれない」と、そう思っている女子だった。
 中学に入って初めての学力試験である、1学期中間試験。
 潤奈の成績は、5科目総合472点で1位だった。4科目で90点台後半を連発した中、一つだけ90点を切った科目が数学だった。知識にとらわれない思考力を見るため、と言って、先生が出したのは私立中学の入試問題のアレンジだった。
 結局は学費の問題から公立中学校を選んだとはいえ、潤奈自身も塾で中学入試の練習くらいは十分に積んでいた。それでも歯が立たなかった問題……1年生193人中、それを解いたのは女子一人だけだったと、先生が教えてくれた。
 この中学校に、そんな秀才、いや天才というべきか……そんな人間がいたとは。そう思い身構えた彼女だったが、いざ総合結果が発表されてみると、その子は上位20人にも入っていなかった。何でも、国語では赤点、理科でも平均以下だったらしい。それを聞いて拍子抜けしていた。少しでもその子の能力について恐れを抱いていた自分がバカバカしいと。
 だが、今日もう一度その名前を耳にしたことによって、潤奈の胸の中にその名が刻み直された。同時に、消しがたい一つの考えも。
(その子が、たまたま試験の日に体調が悪かっただけだとしたら……)
 体育祭の最中に倒れるほどである。身体が弱いことは想像に難くなかった。さらに、自分のような者でも、体調を崩すことはある。だとしたら……もしその子が完全な体調で試験を受けたら……。
 潤奈は、心の中で大きな存在になっていく一つの名前を、どうしても押さえ込むことができなかった。


「負けた……わね…………」
 潤奈が戻ってきた時にはすでに男子の騎馬戦も終わり、最終種目のブロック対抗リレーもアンカーにバトンが渡っていた。赤ブロックは2位。1位の黄色ブロックとは、半周近い差がある。……逆転は不可能だろう。学がつけていた得点表を見ると、最後のリレーを残して、赤ブロックは3点差で1位だった。
(……私の責任ね…………)
 最終3種目はすべて、1位と2位の得点差が5点。3点差で2位につけている黄色ブロックは、1位にさえなれば逆転が可能である。
 もし、棒倒しで赤ブロックが決勝も勝利していれば、この時点での得点差は8。リレーで4位以下にならない限り優勝が確定していたはずだ。それを……自分の不始末で無にしてしまった。
 もちろん、あの棒倒しの1回戦で負けていたなら2位入賞もならなかった。完璧な作戦を立案し、身体の不調にも耐え、大切な1勝を勝ち取った潤奈は、決して責められるべき存在ではない。
 だが……潤奈本人は当然、その結果に満足などしていなかった。誰よりも一番、自分で自分を責めていた。
(……私がもっと……もっと…………)
 目の前で、黄色ブロックのアンカーがゴールテープを切る。そのまま歓喜の輪に包まれる。潤奈は目を伏せ、その光景を視界から消した。


「以上を持ちまして、平成12年度体育祭を終了します……」
 潤奈はその声を、生徒たちの一番後ろから聞いていた。本来潤奈が担当するはずだった閉式の言葉。潤奈はその役目を先輩の純子に譲って、自らは自分のクラスの最後尾に並んだのである。……ブルマの湿り気に象徴されるみじめさを感じながら。

(今の私には……あそこに立つ資格なんてない……)
 断固とした思いだった。誰にも知られてないとはいえ、競技中に大便をもらし、自分のクラスの勝利も、実行委員の仕事も放棄してトイレに逃げ込んでしまった。何より自分の情けなさが許せない。
(だけど……だけどいつか…………)
 だがその後悔と同時に、熱く燃える決意があった。いつか必ずこの失敗を取り返し、自分の力をより多くの人に認めてもらう。
 もともと、おもらしにしても他の人は知らないし、競技の敗北も誰も潤奈のせいとは思っていない。自分の心の整理の問題に過ぎなかった。
(そして……)
 心の整理といえば、あと一つ。今日再び耳にした、自分を上回るかもしれない秀才の名前。
 それだけではない。その子が倒れて騒ぎが起こったからこそ、自分のおもらしが露見せずに済んだとも言える。言わば、潤奈の社会的生命の恩人かもしれないのだ。
 安堵、感謝、そして、未来のライバルになるかもしれないという緊張感……それらが入り混じった不安定な気持ちを振り払うように、潤奈はその子の名前をもう一度だけ思い浮かべた。


(……1年3組、早坂ひかり――)


To be continued...


あとがき

 桜ヶ丘シリーズ第2弾です。第2弾と言っておきながら話的なつながりはあまりありませんが、あと2回はこのような調子で進めようと思います。別のキャラ二人……必然的におもらしヒロインということになりますが、その子を中心に2年生、3年生の人間関係を描ければなと思っています。

 今回は隙のない女・潤奈さんが主役ということで展開に苦労しました。あらゆる行動に正当性をつけないといけませんから。正直言って、多少無理のある展開かなと思っています。自信を持ってよく書けたと言えるのは、称号連呼から始まる冒頭のキャラ紹介くらいですかね。

 ともあれ、これで1年生4人が揃ったことになります。仲良し3人組と鋼鉄の委員長・潤奈。一見関係なさそうですが、ひかり、幸華を通して話を作っていきたいと思います。そして、中間試験の時、体育祭の時のひかりの様子は……? それはまた別の機会に。きっと、皆さんの期待を裏切らない出来事が起こっているはずです。
 2年生の新キャラが何人か出てきましたが、さすがに今回は顔見せだけですね。次回は2年生メインの作品になりますので、どういう役回りかご期待ください。

 それでは、また次回お会いしましょう。


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